石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 綴喜郡宇治田原町禅定寺 禅定寺五輪塔

2008-10-28 00:40:03 | 五輪塔

京都府 綴喜郡宇治田原町禅定寺 禅定寺五輪塔

宇治田原町が誇る数々の文化財を有する古刹、禅定寺の山門をくぐるとすぐ石段の左上に立派な五輪塔が立っている。03花崗岩製で高さ約192cm。基礎下に反花座を備え、その下には切石の基壇を設けている。反花座は一側面あたり024葉の複弁を主弁とし、それぞれの間に小花(間弁)を挟み、隅が小花になる大和に多くみられるタイプである。先に紹介した岩山の真言院塔では隅が小花とならない。さらに反花蓮弁の彫りは真言院のものに比べると心もち平板な印象でやや抑揚感に欠ける。真言院塔の反花座と比べると側面幅に対する受座の幅が大きく、幅に対して背が高い台座となっていることがわかる。以下真言院塔と比較しながら各部の特長を述べていくと、地輪の幅:高さ比は禅定寺塔の方がやや背が高い。禅定寺塔は水輪の最大径が下にあることから、天地がひっくり返っている可能性がある。したが01って、禅定寺塔の方が若干ながら水輪の裾すぼまり感が強いといえるかもしれない。火輪軒反の力強さは禅定寺塔が勝っているように見える。これは軒下の反りが真言院塔に比べるとはっきりしていることによる視覚効果と思われる。軒先中央の直線部分が広く隅近くで急激に反転する反りの調子には硬さが現れている。空風輪は大きめでその造形は優れているが、禅定寺塔の空風輪には少し直線的なところが出てきている。禅定寺塔では空輪の最大径の位置をやや04 低くくしており、風輪との間のくびれの深さが逆に脆弱な印象を与える結果になっているように思える。空輪先端の突起は禅定寺塔の方がやや大きい。真言院塔との相違点を列記しながら禅定寺塔を紹介したが、これらはいずれもわずかな違いであり、総じて述べれば両者はサイズも意匠表現も非常に似かよった五輪塔といえ、造立年代には大差がないものと考えられる。禅定寺塔の価値を一層高めているのは、地輪南側面の中央に「康永壬午十二月四日」の刻銘がある点である。康永の文字は肉眼でもはっきり確認できる。康永は北朝年号で壬午は元年(1342年)にあたる。川勝博士が指摘されるように、南山城に多く分布する大和系の反花座を持つ五輪塔にあって在銘の稀有な事例であり、南山城の五輪塔を考えていくメルクマルとして極めて貴重である。町指定文化財。

参考:川勝政太郎 「京都の石造美術」 149~150ページ

    〃 「禅定寺五輪塔」『史迹と美術』113号

川勝博士が最初に報告された昭和15年の『史迹と美術』113号の報文では康永元年とされていますが、昭和47年の「京都の石造美術」で康永2年となっている点は謎です。壬午と読むと元年、癸未と読むと2年になります。南朝年号では興国3年ないし4年ということになります。小生の拙い表面観察では極めて心許ないわけですが、癸未よりも壬午の方がよいように見えます。なお、当日は実地採寸できませんでした。したがって縷々述べた記述は、肉眼での大雑把な観察による主観的な印象を多々交えており、勘違いがあるかもしれませんがご諒承賜りたい。他日各部の寸法を確かめる機会を期したいと思っています、ハイ。