朝早く実家を出て京都・東山と山科と堀川元誓願寺に墓参。午後は、京都府立総合資料館に出向き「中将棋全集」についての資料を調べました。右も左もわからないわたしに、職員の方がたいへん親切に対応してくださいました。全集の存在は、昨年の公開対局でお世話になった神崎七段から教えていただきました。この度、資料館で現物を目にして「中将棋を幻の将棋にしない」として11巻を手書きされた松田正一先生の思いを受け止めました。大きなテーマですが、心して取り組みます。
明日、午前中は「ふるさと島本案内ボランティアの会」の勉強会(テーマは水無瀬神宮。水無瀬駒も関連します)。大文字の送り火はあきらめ、朝一番に実家を出て島本町ふれあいセンターに向かいます。実家からは徒歩5分で鴨川の出雲路橋周辺に出られますが、そこからの「大」の字はとても綺麗。子どもの頃は松ヶ崎の「妙」「法」を拝むこともできましたが、次々とビルが立ち並び、とうとう川沿いからは見えなくなってしまいました。
「妙」「法」は送り火が仏事であることを思わせ、この年になると「大」よりも有難く思えます。「送り火」に思うのは、昔の人は今よりも「宇宙観」をもって生きておられたのではないか、ということです。セシウム検出をめぐる京都の右往左往。現実は人を小さくしてしまう。被災地の木材で送り火を、という京都の思いには、思いもかけずに、どこかしら傲りがあったのかもしれません。原子力発電所の事故は、核の平和利用が不可能なこと、生命と核の共存は望めないことを告げています。
画像は、京都府立総合資料館の入り口にあった洛中図
山紫水明
わたしの通った小学校は「紫明小学校」と言います
明日、午前中は「ふるさと島本案内ボランティアの会」の勉強会(テーマは水無瀬神宮。水無瀬駒も関連します)。大文字の送り火はあきらめ、朝一番に実家を出て島本町ふれあいセンターに向かいます。実家からは徒歩5分で鴨川の出雲路橋周辺に出られますが、そこからの「大」の字はとても綺麗。子どもの頃は松ヶ崎の「妙」「法」を拝むこともできましたが、次々とビルが立ち並び、とうとう川沿いからは見えなくなってしまいました。
「妙」「法」は送り火が仏事であることを思わせ、この年になると「大」よりも有難く思えます。「送り火」に思うのは、昔の人は今よりも「宇宙観」をもって生きておられたのではないか、ということです。セシウム検出をめぐる京都の右往左往。現実は人を小さくしてしまう。被災地の木材で送り火を、という京都の思いには、思いもかけずに、どこかしら傲りがあったのかもしれません。原子力発電所の事故は、核の平和利用が不可能なこと、生命と核の共存は望めないことを告げています。
画像は、京都府立総合資料館の入り口にあった洛中図
山紫水明
わたしの通った小学校は「紫明小学校」と言います