とだ*やすこの「いまここ@島本」

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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

2015年、忘年の前に記憶しておく

2015年12月31日 | とだ*やすこの活動日記
12月の定例会議が終わり、またたく間に半月が過ぎ、2015年が終わろうとしています。みなさまにとってこの一年はどのような年でしたでしょう。わたしにとっては「憲法」と「立憲主義」、そして太平洋戦争について、これまで知らなかったことを知り、考えることが多かった一年でした。

戦後70年の節目を迎えて、戦争がどれだけ理不尽で実りのないものか、テレビ番組や新聞報道でたくさんの特集が組まれた一年でした。日々の活動と暮らしのあれこれに精一杯で、じっくり学び、整理することができないままに月日が過ぎてしまいがちですが、主権者として市民が逃げないで向きあい、ともに語り合える環境をつくり、広げて行くことが要。

戦争を体験した方、特に戦地に赴いた方は既に80代、90代、今まで家族にも語ることがなかったという自らの体験を語られることが多くなりました。これまで、昭和史を学校で教えてもらっていないことを理由に第3者的な立場をとることが多かったわたしたちの世代(50代)ですが、それはもう許されません。

わたしの幼い頃の記憶には、家族とともに迎えるお正月、初詣の神社の参道に傷痍軍人の姿がありました。地面の筵に横たわる白装束の人はみな手や足を失っておられました。わたしはそれが怖かった。

もっと怖かったのは、晴れ着の大人たちがみな、まるでなにもないように通り過ぎていくことでした。それがわたしにとっての戦争体験。そして今、戦後から戦前へ、既にその狭間を生きているかもしれないわたしたちは、主権者として、実はこの問題に常に向きあっています。

もうひとつは、1970年のこんにちわ♪日本万国博覧会の華やかな思い出です。しかし、あれが原子の灯のはじまりでした。今日まで、わたしが大人になる間に地震大国日本は原発立国となり、東日本大震災で安全神話は崩壊しました。

大地震と津波でまぎれもない原子力震災が起こりましたが、再び、まるでなにもなかったように忘れようとしています。人口減少を憂うように危機感をあおりながら、一方で原子力発電所を稼働し、減っていく次の世代に無理な負担を押しつける政治。NOを言えない日本と日本人。このままでよいはずがありません。

足元に目を向けてみれば、わが家の防災対策はどうでしょうか。いざというとき、家族はどう行動するでしょうか。議員としてなにができるでしょうか。住んでいる地域の課題を把握できているでしょうか。議会における対策本部を設ける必要はないのだろうか、などなど、気になりながら取り組めていないことばかりです。

2016年、わたしの目標は、じっくりと実りある仕事ができる環境を整えることです。視野は大きく行動は足元から。引き続きJR島本駅西地区の問題に注視し、保育・教育・文化施策、減災・防災対策、人権施策、福祉の課題に向きあいます。

年が明けたら1月4日12:45~総合教育会議&教育委員会定例会、5日14:00~島本町バリアフリー基本構想継続協議会、いずれも庁舎3階委員会室。戸田は傍聴を予定しています。


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JR島本駅自由通路
ここに休憩用の椅子が欲しいという意見に対して
点字ブロックがあるので無理というのが町の見解

ほんとうに設置が不可能なのかを調査し(どうやって?)
論破して実現したい2016年です
もう先送りにはしたくありません
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