ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

中の島のような地形の町パッサウ … ドナウ川の旅4

2022年11月20日 | 西欧紀行…ドナウ川の旅

(市庁舎前のドナウ川遊覧船発着場)

<中の島にいるような錯覚を覚える町>

5月25日 今日も快晴

 ドナウ川はドイツ南西部の黒い森に源を発し、レーゲンスブルグ、パッサウ、オーストリアに入ってリンツ、ウィーン、そしてハンガリーのブダペストまで、諸流を集め少しずつ川幅を広げながら、東へ東へと流れていく。

 ブダペストに到って、大きく湾曲し、南へと流れを変えて、遠く黒海を目指す。

 この旅の最終目的地はブダペスト。そこでドナウ川を見送る。

 今日の目的地は人口5万人の小さな町パッサウ。レーゲンスブルグから直線距離にして100キロ少々。ドナウ川と並行して走るDB(ドイツ鉄道)のICE(特急)に乗れば、1時間少々で行ける。オーストリアとの国境の町だ。東へ流れるドナウ川に、南から北上してきたイン川がぶつかった所にできた町である。 

 イン川はアルプス山脈に端を発し、スイス、オーストリアを経て、ドイツとオーストリアの国境をつくりながら北上。ドナウ川と合流する直前に角度を湾曲させて、ほんのしばらくドナウ川に添うように流れて合流する。

 パッサウは、イン川がドナウ川に添いながら流れて合流する所、2つの川に挟まれた細長い三角形の町である。外敵に対しては守りやすく、河川交易には恵まれている。

 合流点には、イン川と反対方向の北からイルツ川という小さな流れも流入していて、正確には3つの川の合流点ということになる。

 

 (遊覧船から眺める合流点)

 上は遊覧船から写した写真。遊覧船は今、ドナウ川の上にいる。

 地図とは逆に、右が西、左が東。川は、右から左へ(西から東へ)流れている。

 手前の流れがドナウ川(北)。小島のトン先のように見える合流点の向こう側(南)がイン川。2つの川の川幅はほぼ同じか、見た感じではイン川の方が広いくらいだ。イルツ川という小さな流れは、写真(私のいる位置)の後方でドナウ川に注いでいる。

 パッサウの街を歩いていると、2つの流れに挟まれたパッサウは、まるでセーヌ川に浮かぶシテ島のようで、しばしば「中の島」にいるような錯覚を覚えた。

 だが、ここは本土である。

 レーゲンスブルグより規模は小さいが、AD1世紀にローマ軍の基地が、北に備えてイン川の南岸に建設された。

 2世紀後半、ゲルマン諸族のドナウ川を越えようとする動きが頻発し、皇帝マルクス・アウレリウスはイン川とドナウ川の間にもう1つ前線基地を築かせ、防衛線を補強した。

 ローマ軍が駐留すればとりあえず安全が保障され、兵士たちに必要な物品を売ることもできる。当時から商工業者たちが住み着き、パッサウの村ができていった。

      ★

<トラブルも旅の面白さ>

 朝、レーゲンスブルグのホテルをチェックアウトし、呼んでもらったタクシーで駅へ。駅で、ホテルの部屋のコンセントにバッテリーチャージを差し忘れたまま来たことに気づき、タクシーで取りに戻った。

 忘れ物はすぐ見つかって同じタクシーで引き返したが、特急に乗り遅れた。

 普通列車(鈍行)で行くことにする。最初からそうしても良かった。普通列車でも1時間半少々。南ドイツの車窓風景を眺めながら、のんびり行くのは楽しい。

 レーゲンスブルグが10時01分発。40分ほど行ったPlattlingという駅で乗り換える。パッサウには11時37分に到着予定。

 パッサウの見学は、小さな町だから午後の半日で十分だろう。

 列車は予定より少し遅れて到着した。車内に乗客はまばらで、まことにローカルな気分。大きなキャリーバッグも気兼ねなく置ける。

 朝、ホテルをチェックアウトしてから、タクシーに乗ったり、忘れ物を取りに返ったり、時刻表を調べたり、切符を買ったりとあわただしかった。やっと気分が落ち着く。

 春の日差しの中、鈍行列車がとことこと走って、すぐに1駅目に着き、またのどかに走って2駅目に着いたとき、ドイツ語で車内アナウンスがあった。ヨーロッパで車内アナウンスは珍しいと思っていたら、乗客たちが連れの人と口々に話しながら、驚いたように荷物を持って降り出した。えっ?? 何!! と思っているうちに、車両に人はいなくなり、あわてて最後尾の人を追いかけて降りた。

  (プラットホーム)

※ ヨーロッパの駅のホームは低い。線路に財布を落としても、手を伸ばせば簡単に拾える。しかし、列車が入ってくると、列車の狭い乗り口に取り付けられている急な階段を3、4段上がらねばならない。大きなスーツケースを持って狭く急なステップを上がるのは、力を要する。

 名も知らぬローカルな駅のホームや駅の外の空き地に、列車から降りた30人ほどの旅行者がたむろし、連れの人と語らい、或いは孤独に立っている。見たところ、皆な旅行者で、通勤とか、所用で乗車したという人はいない。そういう人は車で移動するだろう。ヨーロッパ系の人ばかりだ。わざわざヨーロッパの外から遥々とやって来て、こんなローカル列車でローカルな旅をする人はあまりいないだろう。

 サイクリング車を脇に持ったムッシュが話しかけてきた。年の頃は60歳くらいか。定年退職して、一人で自転車の旅をしているという感じ。背丈はあまりないが、胸板は厚く、腕は太い。長旅で真っ黒に日焼けしていて、風貌はローマ時代の剣闘士みたいに怖い。

 ヨーロッパの鉄道は、自転車と共に乗車できる車両を接続している。そういう車両には自転車用のスペースも確保されている。だから、一人で、或いはグループで、自転車を携行して旅をする人も結構いる。国も、人々も、健康志向で、病院のお世話にならぬよう、まず日々、健康に生きてもらおうというのが、西欧の福祉の考え方だ。

 「ドイツ語を話せる??」「ノー」「 英語は??」「ほんの少し」。英語で、「よくわからないが、先の駅の構内で爆発事故があったらしい。ここへ迎えの車両が来るようだから待っていよう(というような内容らしい)」。「今日はどこまで行くの??」「パッサウ」「俺も同じ」。

 この人はドイツ語の分からぬ異国の旅人を気遣って、さりげなくパッサウまで行動してくれた。個人を尊重するが、困っていそうな人を見たらさっと手を差し伸べる。それが西欧流だ。

 駅で40分ほども待たされ、駅の拡声器から放送があり、皆なが歩き出した。自転車のムッシュに促され、歩いて自動車道路へ出る。そこへバスがやってきて、全員、乗車した。自転車や大きなキャリーバッグなどは床の下のスペースに入れられた。

 パッサウの見学はできないかもしれないが、宿は予約してあるから安心だ。いくら遅れても(最悪を想定しても)、夕方までにはパッサウに着くだろう  ……。

 バスの車窓風景を眺めていると、横に座っていた自転車のムッシュが「ローマ時代、あの山の向こうはバーバリアンの地だ」と笑いながら言った。

 私と同じように遥かにローマ帝国の時代を想像して、旅人として冗談を言ったのだろう。

 頭の中に地図を描いた。ドナウ川は車窓から見えないが、バスはローマ帝国の防衛線であったドナウ川沿いを東へと移動しているはずた。パッサウはオーストリアとの国境の町である。そして、左(北)の車窓から見る方向はチェコ。チェコとの国境も近いはず。あの山の向こうはチェコ。

 あなたの風貌こそ、バーバリアンのようにたくましい。

 1駅か2駅先の鉄道駅で降ろされた。

 バスを降りて、しばらく待って、迎えに来た1両だけの列車に乗り、1駅か2駅進んで、また降ろされた。ホームで待ち、また迎えに来た臨時列車に乗せられる。やっと本来の乗継駅のPlattlingに着いたのは、すでに午後1時。疲れて、腹も減った。駅の売店にサンドイッチを見つけたので買い、1箱を自転車のムッシュに上げたら感謝された。

 Plattling以後は順調で、1時40分にパッサウに到着。2時間の遅れだった。

 レーゲンスブルグから一緒に行動したほとんどの人はパッサウを目的地にしていたらしい。皆さん、文句も言わず、さすがでした。

 駅で、自転車のムッシュと笑顔で別れの挨拶した。パッサウの後、どこまで行くのだろう?? 或いは家路にあるのだろうか?? いつか孫たちに、レーゲンスブルグからパッサウへ行く道中で出会った東洋人のことを話すかもしれない。 

 「ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである」(三木清「旅について」)。

 駅から新市街のバーンホフ通り、ルートヴィヒ通りの賑わいを歩いて、ドナウ川にぶつかった所からが旧市街。『地球の歩き方』のマップを見て近いと思ったが、石畳の大通りをキャリーバッグを引きながら歩くとなかなか遠かった。明朝はタクシーにしよう。

 今夜の宿は、「ホテル・ケーニヒ」。すぐ裏手がドナウ川だ。小さな、感じの良い宿で、女将さんも気さくな人だった。

 宿に荷物を置き、残りの時間でドナウ川とパッサウの街を見学した。

      ★

<ドナウ川遊覧船に乗る>

(左に遊覧船、右端に大聖堂の青い塔)

 ホテルから街歩きに出た。

 市庁舎広場の先に「ドナウ川クルーズ」の桟橋があった。乗船場前に大きな説明の看板がある。読めないがマップもあり、どうやらドナウ川とイン川を巡って2つの川の合流点や街の名所を船から眺めることができるようだ。時間は45分。ラッキー

 15時発があるので、切符を買って乗り込んだ。

 

 (旧市庁舎広場前の遊覧船)

 眺望の良い2階のテラス席に座った。

 船内のカフェのウエイターが注文があるかと聞きに来たので、ワインを注文する。待つほどもなく、なみなみと注がれた地元産白ワインを持ってきてくれた

 船がゆっくりとドナウ川を下り始める。市庁舎の赤い尖がり屋根の塔が印象的だ。

 ものの本によると、パッサウの町は17世紀に2度も大火災があり、街は灰燼に帰した。街の再建に当たって、当時の司教領主がバロック様式で街並みを再建しようと呼びかけ、現在の街並みが造られたそうだ。

 小さな町だから、しばらく行くと街並みが尽き、2つの川の合流点にさしかかる。

  (合流点)

 セーヌ川のシテ島のトン先に似て、ミニのシテ島だ。

 こちらがドナウ川。向こう側から合流する流れがイン川。

 トン先に観光客が見える。遊覧船から降りたら、歩いてあそこまで行ってみよう。

 合流地点からさらに下った所で遊覧船は方向転換を始めた。

 イン川を合わせたドナウ川は、自然のままの茫々とした川として、さらに東へと流れてゆく。緑の丘の上には童話の世界ような赤い屋根の小さな家が見え、その上に白い雲が浮かんでいた。

  (ドナウ川の白い雲)

      ★

<パッサウを歩く>

 遊覧船から降りたあと、ドナウ川沿いの遊歩道を合流点までウォーキングした。のどかな小公園風になっていて、石碑があるほかは自然のままの景観だった。

 イン川沿いの遊歩道も歩いた。パッサウ大学の学生たちが、散歩したり、ランニングしたり、デートしたりしていた。

 (川沿いの遊歩道)

 旧市街の中に入ると、路地のように狭い道が入り組んでいた。

   (路地から望む聖シュテファン大聖堂)

 聖シュテファン大聖堂は、この町の第一の建築物である。中世のドイツによくあるが、司教がこの地の領主でもあった。

 清楚な白い壁、玉ねぎ型の帽子のような青い屋根をいただく塔が印象的だ。こういう屋根は、カソリックというよりビザンチン風。ここにはビザンチン文化の影響が及んでいる。

(聖シュテファン大聖堂の身廊)

 大聖堂の中は、大理石の白い柱がずらっと並び、清楚で気品があった。ただ全体として絢爛豪華。いかにもバロックだ。

 この大聖堂のパイプオルガンは世界一大きいそうだ。正午に演奏があるので聴いてみたかったが、残念ながら間に合わなかった。

 マップに「Innbrucke」とある橋を渡ってみた。橋の対岸の丘の向こうはオーストリアだ。橋の上から振り返ると、レーゲンスブルグのゴシックの塔とは全く異なるパッサウ大聖堂のビザンチン風の塔が堂々と聳えていた。

 午後3時頃からの街歩きだったが、よく歩いた。

 夕。「ホテル・ケーニヒ」の隣りの、ドナウ川を望む小さなレストランのテラス席で晩飯を食べた。周囲は西洋人の旅行者ばかりで、もしかしたら、パッサウの町のどこにも、今、日本人はいないかも。だが、よそよそしさを感じることはなく、料理は美味しかった。

 

 

 

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