ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

ローマの街のタクシーとデモ … 早春のイタリア紀行(12)

2021年04月04日 | 西欧旅行…早春のイタリアの旅

   ポポロ広場の中央に立つオベリスクは、BC1200年頃にエジプトで造られたものという。高さ36.5m。ローマに運ばれ、戦車競技場であったチルコ・マッシモに置かれた。

 1589年、教皇シクストゥス5世のとき、北からやって来る巡礼者の道標としてここに設置された。

   ★   ★   ★

 3月13日。晴れ。

 アッシジからローカル線に乗って2時間余り。のどかなイタリア鉄道の旅だった。天気が良く、イタリアの野の風景はすっかり春めいていた

<ローマの街のタクシー>

 ローマ・テルミニ駅に到着。人が多い。のどかなアッシジからやって来ると、まるでお上りさんだ。改めて気もちを引きしめた。

 前年の冬、パリの凱旋門の地下道でバッグからカメラを抜き盗られた。後で考えるに、4人組の若者の役割分担とチームワークは見事だった。それでも、身に付けていた財布は盗られなかったし、旅行保険に入っていたから帰国後、カメラも新しく購入できた。だが、深夜のパリの警察署で盗難届を作ってもらうのは大変だった

 ローマのホテルは日本でネット予約。ナヴォーナ広場の近くだ。

 友人Iくんと参加した1997年のイタリア・ツアーのとき、ローマではまる1日、自由時間があった。朝、ヴァチカン美術館を見学し、午後はローマの街をてくてくと歩いた。

 そのとき、もう一度ゆっくりローマを訪れることができたなら、このあたりに泊まって朝夕、街の雰囲気を味わいたいと思った。2路線しかないローマの地下鉄の駅から少し離れている。しかし、ナヴォーナ広場の界隈は、ローマの歴史の積み重なりと、今のローマのもつ庶民的な雰囲気とをあわせて感じさせる一角のように思えた。

 さて、駅前からタクシーでホテルへ向かった。

 たいていのガイドブックに、ローマのタクシーはわざと大回りしたり、料金をぼったくったりすることがあるから気を付けろと書いてある。生き馬の目を抜く街だ。だが、気を付けろとあるが、どう気を付けたらよいのかは書いてない。世界から集まった観光客で賑わう石畳の道路を、大きなスーツケースを引っ張って延々とホテルまで歩くというわけにはいかない。旅はいつもなにがしかのリスクがあり、冒険である。

 しばらく大通りを走っていたタクシーは、途中から狭い横道に入った。

 中世の時代には馬車がすれ違えればよかった道路だったのだろう。そういう路地が迷路のように交錯している。道路の両側には、オシャレな商店やレストランやバールが軒を連ね、その前の道にはみ出してテラス席が設けられている。そこを世界からやって来た観光客の群れが楽し気に歩き、或いは、テラス席に座って食事をして、大変な賑わいだ。

 その賑わいの中へ、タクシーは突っ込んで行った。後ろの座席から、ムリっ!! と叫んだが、運転手は全く意に介さず、たいしてスピードも緩めず、観光客の群れの中を平然と進んで行く。

 古い街路はまっすぐではない。湾曲して見通しがきかない箇所も、道幅狭く直角に曲がる建物の角も、車体をこするでもなく、すいすいと進み、後部座席で思わず目を閉じ、足を踏ん張る。もし日本人が車でこんな道路に入ってしまったら、たちまち立往生して、前にも後ろにも進めなくなるだろう。少なくとも我々には、遠慮とか、車で入って申し訳ないなとか、この群集を怒らせて取り囲まれたら怖いだろうなとか、そういう気持ちがある。

 「ホテルはこの先を左だが、車は入れない」。多分、そう言われ、ぼったくられるどころか、料金が思いのほか安かったので、敬意をこめてチップとともに渡した。礼を言われた。

       ★

<警察官のたむろする広場>

 「コロンナ・パレス・ホテル」は、モンテチトーリオ広場に面して建つ。

 広場のすぐ東側には、ひと続きのようにコロンナ広場がある。その東側を、コルソ通りが南北に通っている。コルソ通りは、旧市街の北の端のポポロ広場と、古代ローマの中心・カンピドーリオの丘を一直線に結んでいる。

 広場を西へ歩けば、すぐにナヴォーナ広場に出る。そのすぐ南には2千年の時を経て建つパンテオン。さらに西へ歩けば、テヴェレ川だ。

  (オベリスクの塔の向こうがホテル)

 モンテチトーリオ広場も、なかなか風格のある広場だ。

 石柱が立っている。ローマの初代皇帝アウグストゥスが、クレオパトラのエジプトから運ばせたという。BC6世紀にエジプトで造られたオベリスクだ。上の写真のオベリスクの向こうの黄色い建物が、これから3泊するホテル。

 ホテルの向かい側には、モンテチトーリオ宮がある。この宮殿は、今はイタリアの下院で、日本で言えば衆議院だ。従って、この広場は警察車両と特別許可の車両以外の侵入は禁止。だから、さっきタクシーから降ろされた。

 宮殿の入口付近は、早朝も、深夜も、24時間、警察官がたむろしていた。日本と違うのは「たむろしている」のである。たむろして、いつも、おしゃべりしている。たまに誰もいなくなるのは、カプチーノでも飲みに行ったのか?? ともかくそのお陰で、この広場にはスリもカッパライも近づかない。

 3泊しているうちに、そういうことがだんだんとわかってきた。

 ネットでこのホテルを選んだのは、ナヴォーナ広場に近いという立地と、それなりの設備、それに、何とか折り合いが付く料金。とにかく、アッシジなどとと比べると、ローマのホテルの料金は高い。

 ちなみに、映画『ローマの休日』のラストシーン。王女が記者会見を開いてさりげなく別れを告げる感動の場面。あのシーンの撮影は、この近くのコロンナ宮殿で撮られたそうだ。

 ローマはいろいろと、わくわくする街である。

         ★

<デモで埋まるポポロ広場>

   ホテルにチェックインしてひと休みしたあと、見学に出た。

 まず、ローマの北の出入口、ポポロ門のあるポポロ広場へ向かう。

 すべての道はローマに通ず。

 古代ローマ時代。ここにあった門から北へフラミニア街道が出ていた。軍団を率いてルビコン川を渡ったユリウス・カエサルも、この門からローマに入ったはずだ。

 中世。ヨーロッパはキリスト教の世界となり、ローマはエルサレムと並ぶ聖地となった。10世紀頃になると世の中は次第に落ち着き、経済的にゆとりもでき、十字軍遠征などで視野も広がり、ヨーロッパの各地から巡礼者が聖地ローマにやって来るようになった。ポポロ広場は、長い道のりを歩いてきた巡礼者たちを迎える聖都ローマの玄関口だった。

 広場の東にピンチョの丘があり、この丘から望むローマの景色、特に夕日が沈む時間は素晴らしいと、ローマの紀行に書いてある。

 ホテルの受付で、市内バスの最寄りの停留所がコルソ通り沿いのサン・シルヴェストロ広場だと聞く。

 隣のコロンナ広場を抜け、コルソ通りを渡って、サン・シルヴェストロ広場へ。だが、広場のどこからポポロ広場行きのバスが出ているかわからず、結局、タクシーに乗った。異邦人が市内バスを乗りこなすのは難しい。

 ところが、タクシーはスペイン広場近くで、デモ隊に遭遇して前へ進めなくなった。あきらめて車を降り、デモ隊の後ろを北へと歩いて行った。

 デモ隊の終点はポポロ広場だった。広場はデモの群集で埋まっていた。

 一昨日のイタリア鉄道のストライキと言い、今日のデモと言い、日本の「春闘」にあたる季節なのだろうか?? 赤地に槌と鎌の旗を持つ人もいる。

 (ポポロ広場の双子教会の前で)

 観光はあきらめ、地下鉄に乗って、スペイン広場に戻った。

 

(この日の記録は次回に続く)       

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