信貴山の本堂は舞台造り。毘沙門天を祀る。舞台からは、遥かに大和盆地が見渡せる。
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寅年の元日は、信貴山へ続く道路が朝から大渋滞になる。
タイガースファンが、タイガースの優勝祈願の初詣のために信貴山へ参詣する。タイガースの選手たちもやってくるらしい。
それにしても、なぜ、信貴山は、トラなのか?
言い伝えによると、6世紀、古くからの勢力・物部氏と、新興の蘇我氏の対立が沸点に達した。蘇我氏に味方した若き日の聖徳太子は、大阪の河内に陣を敷く物部守屋を攻めるため、軍を率いて斑鳩から進撃し、この山で戦勝祈願した。
すると、天空に、虎を供にした毘沙門天が現れ、必勝の秘法を太子に授けたという。太子はこの武神の加護によって、守屋との戦いに勝利した。
戦いののち、太子は自ら毘沙門像を彫って祀り、「信ずべし,貴ぶべき山」として、この山を信貴山と名付けた。
その毘沙門天が虎を従えて太子の前に顕現したのも、寅の年、寅の日、寅の刻であったという。
(参道の途中にある武装した聖徳太子像)
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戦後、高野山真言宗から独立し、信貴山真言宗の総本山となる。正しい名称は、信貴山寺、或いは、朝護孫子寺。
密教や修験道の影響が濃い。お正月に参詣すると、修験道の装いの修行僧が鉦を激しくうち鳴らし、焚火に護摩を焚き、全山に響くような大音声で祈祷し、まことに勇壮にしてかつ呪術的である。
信貴山の中腹のパーキングに車を置いて、石の鳥居をくぐる。
本堂までの途中、石灯籠や塔やいくつものお堂や宿坊の前を通って行く。 宿坊では、民間の研修などもできる。郵便ポストもある。
(参道のポスト)
上へ上へと坂道の参道を歩いていけば、自然に本堂に着く。寄り道しなければ、パーキングから、徒歩約20分。
( 本道への階段 )
(本道の前の舞台)
本堂の本尊は毘沙門天。毘沙門天は別名、多聞天。仏法を守る四天王の一。日本では、鎧を着た武神ということになっている。
有名なのは上杉謙信。自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたという。 旗印に「毘」を用いた。
( 舞台からの眺望 )
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ここから、信貴山雄嶽の頂上にある空鉢護法堂へ向かう。
信貴山が人々の信仰を集めだしたのは平安時代、醍醐天皇のころからで、中興開山をしたのは命蓮上人という高僧。
その命蓮上人の伝説がある。けちん坊の長者を懲らしめるため、上人が自分の托鉢を空に投げると、何と鉢は長者の蔵を乗せて持ってきた。蔵を召し上げられて涙を流す長者に、上人は、もっと慈悲の心を持つようにと諭したという。
その後、上人は、竜王を祀る空鉢護法堂を建てた。
この話が12世紀に絵巻物になった。「信貴山縁起絵巻」。信貴山の国宝である。
山頂の空鉢護法堂には水がないので、手水舎で缶に一杯の水を汲んで、持って登る。ささやかなご奉仕である。
( 鳥居の連なる空鉢護法堂への急坂 )
かなりの急坂で、信貴山に参詣しても、ここまで上がろうという人は少ない。よほどの願いのある人だ。
途中、朱の鳥居をいくつもくぐり、いくつもの小さな祠の横を通り過ぎていく。空気が神秘的になり、神や仏の気配になっていく。
( あちこちに祠 )
標高433m、信貴山雄嶽の頂上にある空鉢護法堂のすぐ手前に、信貴山城跡がある。
1577年、松永久秀が織田信長に背き、50日間の篭城の末、落城した。
空鉢護法堂に祀られている竜王は、庶民からの信望のあつい「一願成就」の霊験あらたかな神様。ただし、願い事は、一つだけ。
( 空鉢護法堂 )
ここは山頂だから、天気さえ良ければ、金剛、葛城、二上の連山が見える。大和三山の方も見えるが、三山は遠すぎて識別できない。
本堂からここまで20分。帰りは下りなので、駐車場から往復して約1時間の散歩である。