「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

クライミング三昧

2006-10-28 23:33:12 | クライミング
27日金曜日はやっと念願の大台中の滝にN山岳会のFおとうちゃんに案内して頂いた。かなり前から行きたいコールをしていたが、約束の日の天気が悪かったり機会を逃していた。
それが、今回は紅葉を愛でながらの登攀となった。平日なので貸し切り。最高のクライミングだった。
サマーコレクションと同じ千石嵓にある中の滝は250メートルありスケールの大きな滝だ。左となりの西の滝と合わせて、美しい景観をなしている。サマコレは関西では、かなり名前の知れた有名ルートだが、この中の滝はあまり知られていないようだ。
このルートは、ボルトや終了点は全くと言っていいほど何も無い。そのために、ピッチの切り方もルートのとり方も自由だ。その分ルートファインディングは難しい。じっさい、今回の登攀は正規のルートだったとは思えない。前に2回登ってるFさんの記憶もあてにはならないような気がする。今回のとったルートもクライミング自体は簡単だ。ルートよりも、ほんとうの核心は終了後のブッシュ帯だった。まだ続くクライミングと木登りで千石尾根に出たときにはホッとした。
しかし、サマコレとは対照的なこのルートは、本来の山でのクライミングの本質をついているのでないかと思った。滝の横の岩を攀じ登ったという感じで、今までボルトを求めてルートを辿っていたのとは全く違った魅力を感じた。こどもの頃、裏山の道のないところに踏み込んで行ったときと同じような冒険心と似たような感覚だった。もう一度行くと、また違うルートを登るような気がする。そして廻りのロケーションと併せて、それがこのルートの醍醐味だろう。
そして、次の日である今日は蝙蝠谷へ。最初にもういでしょうでアップ。このルートは来るたびに登っているのでもう十回近く登っているのに、毎回核心でテンションを掛けてしまっていた。今日はテンションが掛らなかった。登ってみて気がついたのだが、初RPだった。ナインなのに、なんでこんなに掛ったんやと、不思議な気がした。そのあと、復活にトライした。今日は最後のハングを越えた上のガバを掴んで足を挙げたとたん、恐怖心が起きてかたまって登れなくなってしまった。そして思いっきり、フォール! これで、踏ん切りはついた。次回からは怖がらず、思い切り行けることでしょう。前回よりは上まで行け、ムーブも少しづつ楽になって来た。なのに、もう一回登ろうとしたらもう腕は持ちこたえることが出来なかった。昨日との連ちゃんの疲れがどっと出たようだった。しかし、このルート、かなりのパワールートだと思う。恐怖心もだいぶ取れて来たので、次回はもう少しパワフルにチャレンジしたい。

前向きと後ろ向き

2006-10-25 04:38:26 | 雑感
私は朗読をやってる関係上、視覚障害者の方とのお付き合いが多少ある。最近は、障害者とか健常者とかいうことを意識しないで人と付き合うことが多い。それは、視覚障害があると出来ないことが多いが、全く私が忘れてしまう程、いろんなことが出来る人も多いからだ。
日常生活ではかなり不便なことがあるでしょうが、それなりにこなしていらっしゃる。ただ、外に出たときにはかなりの危険が伴うのは事実で、特に車は凶器だ。外出のときには、ガイドヘルパーなどのボランティアの助けで外出する人もいるが、出来るだけ人の手を借りないで出かけている人もいる。
私はわりと人が好きだが、苦手な人もいる。人として魅力のあるのは、やっぱり前向きに生きている人だとこのごろ思う。それに反して、後ろ向きということになるが、そういう人は自分の不幸を呪ってるかのように愚痴る。話題が人の悪口も苦手だ。どちらも聞いていて楽しくない。健常者でどうしてこんなに恵まれているのにと思う人でも愚痴しか話さないという、そんな人もいる。
その点、何かに夢中でそのことを一生懸命話す人は、たとえ自慢話だとしても私はおもしろがって聞いてしまう。往々にして、そういうときには自慢しているようにとる人も多いが、自分が夢中になってるときには、楽しくて仕方がないようで話さずにはいられないようだ。そういうときには多少自慢になっても良いのではいかとも思う。しかし自慢するために人に話すのは、言語道断でもあるし鼻持ちならないことだ。
昨日、ピアノを買いに行くSさんにお付き合いして来た。Sさんはほとんど目が見えていない。しかし、子供の頃から憧れていたピアノをしたいとずっと思いながら、なかなかきっかけが掴めなかったらしい。それが迷ったあげくに、「ボケ防止に」などとおっしゃいながら意を決してされることになったのである。もうすでに、点字のバイエルと併用の曲を注文されてる。
ピアノは、近所迷惑にならないようにと電子ピアノ(クラビノーバ)にされたが、夕方電話で嬉しそうに弾んだ声でピアノが来たと報告があった。何だか自分のことのように嬉しくなってくる。
Sさんにとっては、これから(私とほぼ同年齢)ピアノを買い、練習を始めるということは一大決心であったに違いない。「これから頑張って練習して、90歳コンビでコンサート開いて連弾しょう! みんな、あっと驚くで~」となにげなく私が言ったのが、やろうと決心させたと言うのだ。責任重大な発言を私もしたものだ。長生きすることと、ピアノの練習を私にも課せられたようなもので頑張らないといけない。
彼女は因みに、パソコンも出来る。パソコンを自由に使えるようになるには、健常者にでも計り知れない苦労があるのが私には分かる。驚いたのは、キーボードの位置は最初は丸暗記から始めたそうだ。未だにブラインドタッチが出来ない私にしたら、これも驚きだった。
彼女にはボランティアをしているつもりで、いろんなことを教えてもらってるとこのごろ思う。まずは、前向きに生きることが人生を楽しくさせるということだ。そして、何にでも好奇心を持つこと。出来ないことでもやりたいことは、とにかくやってみることなど…。
もっと重大なことは、人は障害者だから健常者だからということはお付き合いする上で重要な問題点ではないということだ。人として魅力的かどうか、ということが物差しになるようだ。

蝙蝠谷

2006-10-23 10:58:35 | クライミング
土日続けての蝙蝠谷にくたくた。復活は私にとっては厳しいルートである。昨日は、テンションだらけでリードでトライしてみた。
しかし、最後まで抜けられず、シリコン状のもので貼付けられた岩を掴んだ状態で今回は終了。トップロープで登っていたときとは、ムーブがかなり違っていた。今回やっと、ムーブが分かった。やっぱり、恐いからとトップロープに逃げていたら、あかんなぁ~と思った次第だ。いつものことである。
そして、クライミングはいつまでたっても、弱い自分との戦いだと思った。これはやっている限り続く私の葛藤だ。
蝙蝠谷で最初にこの壁を見たときはスケールに驚き、まずはお呼びじゃないなぁ~と怖じ気づいた。一番簡単な「もういいでしょう」5.9でぼたぼた落ちる。最初の頃、「オンサイト、狙うわ」と偉そうに言って取り付いていきなり落ちた思い出深いルートだ。「これがナインというのはおかしいわ~」と毒づいていたら、なんとルート作成者が横にいた。「ここを登れないんなら、蝙蝠は来る資格がないということや~」とこのHさんに言われてしまった。
だが、そんな言葉にはめげずにもう何回か来ている。そして、いまだに落ちてしまい、アップにはならないルートだ。
「いつかは、復活登りたいなぁ~」と秘めたる決意はあったが、ここでは10台もまともに登れなかったので尻込みしていた。それに、復活のある壁は上の方へ行くと被っている、長~いルート。見るからに恐ろしそう。しばらくは、近寄ることが出来ず眺めるだけだった。まして混んでいたりすると、気持ちも萎えて取り付けないでいた。
しかし、ここのところの蝙蝠谷は幸いにも空いていた。遠慮なくトップロープが出来た。トップロープでも最後のハングは乗っ越せていない。そして、昨日の初リードであるが、一回にしてヘロヘロになってしまった。2回目は指先が痛くなり、持ちこたえず3ピン目を掛けて下りて来てしまった。
先は長い気がするが、とにかく勇気を持って取り付いて行くことにした。「1手、1手上へ」その繰り返しで時間が掛ってもしばらくは、頑張ってみたいと思った。

復活を登るTさん



比叡山とは?!

2006-10-18 22:56:58 | ハイキング
比叡山のピークは、大比叡(おおびえい)という。通称は比叡山で標高848.3m。長い間京都にいて、な~んにも知らんかった。私が、中学のときも行ってる。我が家の子供が小さいときにも、雲母坂から登ったことがあるし、根本中堂にも行ってる。それで比叡山に行ったとウン十年言っていた。
昨日、夫が出張の代休で休みなので蝙蝠谷にクライミングに行くつもりだったが、京都で午前中に用事が出来てしまったので、急遽「比叡山にでも登ろうか」ということになった。
のんびり、京都の街の路地裏を通りながら昼頃から出町柳に向かった。西陣を通ると、昨年の暮れに鶏肉の水炊きを食べた「鳥岩楼」の前に来た。ここは、昼は親子丼で名前が知られている。「親子丼ぶり食べよか」ということで寄り道し、古い町家の二階に上がり込んで名物の親子丼を食べる。比叡山のことはちょっと頭をかすめたが、誘惑には負けてしまった。特に美味しいとは思わないがまずくもない。おつゆでヒタヒタなのと、小さな真っ白の蓋付きの丼の器は、京都らしいなぁ~と思った。テーブルも座布団も小振りでお上品だが、お尻がはみ出して座り心地は今ひとつだ。
腹ごしらえをして、さてバスにでも乗ろうかと思ったらもう時間が1時を過ぎている。バスと叡電を乗り継いで行くと、頂上で日が暮れてしまう。これは大変だと慌ててタクシーを拾う。お陰で、2時前には雲母坂の登り口まで到着。タクシーを降りてから1時間半ほどで、ケーブルの頂上の駅へ。今はもう潰れてしまっている人工スキー場を通り、比叡山のピークを探し求める。地図で見ると、この人工スキー場からも行けるのではと思ったが、これはダメだった。立ち入り禁止の札がある。もう少し行ってから、バスターミナルへ出る。ピークへの道標は全くない。
駐車場にいたガードマンに聞いてみると、「ガードレールを登って行くとピークはあるが、何にもないし、何も見えない」という。せっかく来たから、ピークを踏むことにして舗装道路を行く。突き当たりから右にまわって登るとテレビの中継塔などがあり、その奥の上で探していた三角点が見つかった。大比叡と書かれてはいるが、さっぱり魅力には欠けたピークだった。天下の比叡山がこんなだったとは、京都で育った私としては悲しかった。今は廃虚のケーブルの駅舎と寂れた清滝を思い出しながら、今の愛宕山が俗化を拒んでいるのは偉いと思った。比良も、もうロープウェイやリフトは撤去されたのだろうか?
下りてくると、ちょうど4時20分のバスが発車したところ。次は5時だが、バスに乗りたい誘惑に打ち勝って来た道を下った。ケーブルの駅から見た、京都の黄昏は綺麗だった。下りたときにはもう、真っ暗になっていた。
慌ただしいハイキングとなったが、近くなのになかなか行けなかった比叡山のピークを踏めたことはよかった。昔少し歩いた東山トレイルをまた歩いてみたいと「東山トレイル」の道標を見ながら思った。

 「人は自分の歩いた道しか知らない」のだ、ということを自覚した。

バスターミナルから見た大比叡
 
大比叡の三角点
 

従姉妹

2006-10-15 23:17:30 | レジャー
私には父方の従姉妹が、女性は4名で近くに住んでいる。子供の頃には姉妹のような関係だった時期もある。別々では出会ったりするのだが、大人になってからはそれぞれ生活環境も違っていたりで、疎遠になってしまっている。
少し前に従姉妹の一人と出会ったときに、今度お昼でもみんなで食べにいかないかという話になり、みんなの都合で急に今日に決まった。
ずいぶん久しぶりなのに、親戚っていうだけで何となく近親感を抱くのか、最初から打ち解けてしまう。子供のときも、みんなこんな感じで話したりしていたような錯覚を起こしてしまう。長い間の時の経過も、それぞれの生活も感じさせない不思議な数時間だった。
みんなに共通の人が祖母(おばあちゃん)だというのも、当たり前なのだが今日初めて私は認識した。
食事の後、近くのコスモス畑に行った。そこには私が子供の頃のような、また懐かしい風景。コスモスは10本100円で切り取ってもよい。畑の、竹筒の中にお金を入れる。それも、私が子供の頃に柱に掛っていた貯金箱と同じだった。時々、子供だった弟が小銭を一生懸命出そうとしていたのを思い出す。
コスモス畑の中で無心にコスモスを摘んで、コスモスを抱えて子供のような笑顔だった。
また、このような機会を持つ約束をして別れた。

枚方市穂谷のコスモス畑