「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

ポンポン山

2022-11-22 19:41:04 | 登山

昨日は善峯寺からポンポン山に古くからの友人と登ってきた。この友人は中学一年の時に知り合い、それからは付かず離れずでかれこれ60年のお付き合いで続いている。最近一緒に山に登るようになった。彼女は今頃山に目覚めたということだ。私たちは人生自体が下り坂で終盤に向かっているというのになんで今頃山に登りたいのだろう。

私はといえば、どんどん体力が低下してきていて今までに登ってきた山にはどんどん気後れしてきている。クライミングも辞めてしまって数年経つ。

最近は山には消極的になっている私に「山に連れて行って」と彼女から声が掛かる。京都の愛宕山に登って、夏には尾瀬への旅で至仏山に登ってきた。

そして今回のポンポン山へ。山での彼女は生き生きしていて楽しそうだ。帰ってから山での収穫物で作った作品の写真を送ってきてくれた。赤い実はサルトリイバラ、青い実はアオツヅラフジ(青葛藤)と教えてもらった。彼女は花の名前に詳しい。そしてヤブシキミの花と赤い実、ほんの少しあったナメコは夕食の味噌汁の具になりコリコリとした野生味たっぷりの味だっとラインで言ってきた。

山の物を持ち帰るのはルール違反(販売目的は特に法律違反)だと思うのだが、頂いたのがほんの少しなのと嬉しそうな彼女を見ると根から抜いているのではないので目を瞑ってしまった。全く山の物は山にあってふさわしく思い、私は今まで持ち帰りたいとは思ったことはない。

山菜やきのこ狩りが目的で山に行く人も大勢いる中で、今回は少し気になったがおおめにみることにした。しかし何でも持ち帰ることができると思うのは間違いであるということは友人には至仏山の時に話してある。きっちり判断することも大切だと思う。

そのようなわけで今回は善峯寺の紅葉の拝観も含めて、のんびり山歩きでこれからの私たちには相応しい山だった。80歳の男性が三日に一回ポンポン山に登っていると話されていた。シャッキリとしてそんなお歳の老人にはとても見えない。話していて私たちももう少し山を楽しめると嬉しくなった。

        

 


焼岳の紅葉

2022-10-25 12:32:01 | 登山

少し日にちは過ぎてしまったが、下記の日程で娘と2人で焼岳の紅葉を楽しんできた。

娘が学生の頃に私と一緒に山を楽しんでいたが、その頃からはもう20年以上が過ぎ去った。私はその頃から比べたら最近かなりの体力の低下を感じてしまっている。

焼岳のこの時期の中の湯からのコースは特に紅葉が美しいので数年前にも山友達と計画していたのだが、台風到来で中止してしまっていた。いつかは行ってみたいとは思っていたが、なかなか行けなかった。

今回思い立ち、1人でも行こうと思っていたところ家族から単独は反対されて、娘が付き合ってくれることになった。

今年は7月には尾瀬に行き、至仏山に登った。その時は同世代の二人での山行で、自分の衰えはそれほど感じなかったが、今回は下記のコースで下山した時にはかなりの疲れを感じてしまっていた。

まだまだ私は山に登れると思っていたが、わずかな自信も打ち砕かれてしまい、今後の山行きに不安を感じ、帰ってからしばらく落ち込んでしまっていた。

今の私はどんな所だったら余裕を持っていけるだろうか、それとももう行けないのだろうか、とずっと自問していた。まだ山に未練が残り、決別する気持ちにはなれていないことだけは確かだ。

下記の日程とコースは今の私の体力では余裕を持った計画だったと思っていた。それがこんなにも後味の良くない山になったのは何故なんだろう。こんなことは今までになかったはず。

焼岳山行中は私の心を満たしてくれていたはずだ。焼岳の紅葉は素晴らしかった。初めて登る焼岳を登頂できたのは嬉しかった。帰りに寄った中仙道で最大の宿場「奈良井宿」に寄れたのも良かった。

しかし、山はまだ私を受け入れてくれるのだろうかと、帰ってからも問い続けている。

今までとは明らかに何かが違ってしまっていた。

これからは、日常生活でも少しずつ出来なくなることができてくるのだろうかと思うと少し寂しくなってきた。

焼岳(温泉と紅葉)

2022年10月1日(土)〜28日(木)

メンバー 2人

10月1日(土)中の湯温泉旅館6:00発→焼岳登山道入り口(新中の湯コース)→広場→焼岳北峰→焼岳小屋→新中尾峠→上高地田代橋→帝国ホテル前バス停シャトルバス→中の湯バス停ま→中の湯温泉旅館泊

10月2日(日)奈良井宿→帰宅

 

  

 


7月ニッコウキズゲの尾瀬 写真

2022-09-09 06:19:15 | 登山

ニッコウキスゲの咲く大江湿原から尾瀬ヶ原と至仏山

gooブログに引っ越してなかなか慣れず、写真の掲載方法がわからないままでしたがやっと掲載に辿り着きました。

上記のタイトルの尾瀬の写真を掲載します。

◉2022年7月25日 沼山峠バス停→沼山峠展望台→大江湿原(ニッコウキスゲ群生地)→長蔵小屋泊

尾瀬ヶ原には鳩待峠、大清水、御池からは入ったことがあるが、沼山峠から入ったのは今回が初めてのことだった。京都からのこのコースはかなり遠回りになる。なのにどうしてこのコースを選んだかというと尾瀬といえば水芭蕉かニッコウキスゲが有名である。計画している日程がちょうどニッコウキスゲの時期なので、同行の花好きの友人に大江湿原のニッコウキスゲの群生を見せたかった。それはかなり昔にニッコウキスゲの黄色に染まった大江湿原を私は既に見ていたから、最初に尾瀬でその時の感動を味わって欲しいと思ったからだった。私には今回の尾瀬は、前に記憶していた風景から見たら少し寂しい感じがしたが、彼女は感動して大喜びだった。

沼山峠バス停を降りると休憩場がある。この日の天気予報はあまり良くなかったが、長蔵小屋までは曇り空だったが雨は降らなかった。しばらく樹林帯を登ると沼山峠なのだが、峠の表示は見つけることはできず、下りになり広々とした大江湿原だった。この日は天気予報とコロナが増え始めたのとでか、かなり空いていた。小屋もこの時期にしては、がらんとした感じだった。 

◉26日 長蔵小屋→三平下→南岸分岐→沼尻→見晴(下田代十字路)→竜宮小屋→牛首分岐→山ノ鼻小屋泊

早起きして朝食前に長蔵小屋の周辺を散策した。私はここの早朝の幻想的な風景がお気に入り。尾瀬沼の向こうの燧ヶ岳がだんだん明るくなってくるののを見ていると、まるで墨絵のようで美しい。サンカヨウ、エンレイソウなどが既に実になっていた。もう一週間早く来たら、大江湿原のニッコウキスゲもたくさん咲いていたのだろうか。今回は三平下から尾瀬沼を周遊して沼尻に至るコースで、今回初めて通るルートだった。このルートは尾瀬沼を挟んで燧ヶ岳が見え、期待以上に良かった。今回驚いたのは、数年前に行った時には立派な休憩場になっていた沼尻の休憩場が火事で消失してしまっていたことだ。借りの小さな小屋があったがトイレも使えず様変わりしていた(ここにあったはずの売店で冷たいジュース飲みたかった)。見晴では2件お店が開いていて、ここで食べた昼食の冷麺がとても美味しかった。ここからは次の日に登る至仏山を前方に見ながら山ノ鼻に向買った。ちょうど竜宮小屋の手前で雨が降り出し、慌てて竜宮小屋に駆け込んだところしばらくの間豪雨となった。小雨になったので、雨具を着て山ノ鼻に向かった。山ノ鼻小屋はとても夕食が素晴らしくいい小屋だった。この辺りで最近クマが出るということなので「尾瀬植物研究見本園」は立ち入り禁止になっていた。夕方至仏山の登山道の入り口付近で、子熊らしいものが歩いているのを見かけたが遠目なので定かでない、がのっそり進んでいたので犬や猫でもないだろう。

   

 

◉27日 山ノ鼻小屋→至仏山→鳩待峠→尾瀬戸倉温泉泊

到着した山ノ鼻小屋の受付では、明日は天気予報が雨なので無理して登らないように注意を受けた。しかし雨は降ってないので出発した。もうだいぶ昔になるが至仏山に登った時は鳩待峠から登り山ノ鼻へ下山したが、最近ではこのルートは蛇紋岩という岩が滑りやすく、降りは禁止されていて山ノ鼻からは登りしかできない。沼山峠から歩いてきて最後に至仏山はちょっときついかなと心配していたが、やはり山慣れしていない友人には大変だったようでかなり時間がかかってしまった(尾瀬保護財団のHPの至仏山登山コースの山ノ鼻コースを見たら難易度3でした)。ちょっと無理させてしまったようだ。しかし尾瀬に来て至仏山の頂上に立てたことは「一生の宝物」「冥土の土産」などと言って喜んでくれた。高山植物も結構咲いていたが、以前に登った時よりはやはり少ないようにも思ったし、木道の整備も行き届いていないようだった。下山をしはじめたら雷が鳴り出し、大雨となった。木道も滑りやすくなっていて、緊張しながらモクモクと下山した。鳩待峠についた時はびしょ濡れで、甘いお汁粉にホッとした。もう一泊急遽予約しておいて本当に良かったとつくづく思った。

 

◉28日 尾瀬戸倉温泉→吹き割りの滝→上毛高原→京都

尾瀬戸倉温泉(ホテル玉城屋)はとてもリーズナブルで山小屋よりもお安い。おまけに羽毛のふかふか布団で食事も美味しい。尾瀬に何回も行っているが、戸倉で温泉には入るが宿泊したいとは今まで思ったことがなかったが、これからは温泉入ってゆっくりして帰るのもいいもんだなと思った。ここに予約していなかったら、至仏山の登山にこんなにも時間がかったり雷雨に合うとは思っていなかったので、帰りの時間が気になって焦って事故につながることも考えられる。

「ビスターリ」(ネパール語でゆっくり ゆっくりの意味)な登山もこれからは大切だと反省した。(まだ行くつもりかな、、、)

3年ぶりの尾瀬行きで今回張られていたネットが目に付き気になった。高山植物の動物の食害がここでも多いのかとふと気になる。

山と渓谷社の「ビスターリ」という中高年むきの登山雑誌があった。1989年夏(季刊)号から1995年冬号で休刊してしまった。綺麗な写真満載の本でしたが残念です。

 

 

 


ニッコウキスゲの咲く大江湿原から尾瀬ヶ原と至仏山

2022-09-01 14:39:36 | 登山

日程 2022年7月25日(月)~28日(木)

メンバー 私と友人の2人(中学一年に出会ってからの六十年来の友人)

25日(月)京都駅6時10分集合→新幹線のぞみで東京行き→ 東京駅乗り換えJR上野東京ライン・土浦行→上野駅乗り換えJR常磐線快速取手行き→北千住駅乗り換え・東武特急リバティー→ 会津高原尾瀬口バス乗り換え→御池→沼山峠バス停→沼山峠展望台→大江湿原(ニッコウキスゲ群生地)→長蔵小屋泊16時過ぎ着

26日(火)長蔵小屋7:00発→沼尻→龍宮小屋(雨降る)→牛首分岐→山ノ鼻小屋泊尾瀬植物見本園(時間があれば入園予定だったが、熊が出るということで閉鎖されていた)

27日(水)山ノ鼻小屋発→至仏山頂上休)→下山→鳩待峠乗合タクシー→尾瀬戸倉温泉(ホテル玉城屋)泊

28日(木)ホテル玉城屋→吹き割りの滝→上毛高原駅→東京→京都駅

感想

早朝の京都駅出発から尾瀬の長蔵小屋に4時までに入る予定を最終的に上記の計画通りの時間に尾瀬の長蔵小屋に着いた。私は尾瀬は5−6回目になるが新幹線を使い東京経由で行くのは初めてだった。

今まではほとんどが車だったが、一回だけ単独で会津駒ヶ岳に登り、御池から尾瀬に入り燧ヶ岳に登ったことがある。その時は埼玉まで夜行バスでの往復で東武電鉄で尾瀬高原口まで行き、あとはバス利用だった。その時は会津駒ヶ岳と尾瀬の美晴での2泊の小屋泊だった。

今回はどうしても沼山から大江湿原に入って尾瀬沼、尾瀬ヶ原を縦断して山ノ鼻から至仏山に登りたかった。かなり昔に至仏山に登った時には鳩待から登って山ノ鼻に降ったのだが、今は山ノ鼻が登りの一方通行になってしまっている。

というわけで今回のルートでの計画になり1日目に運よく尾瀬に入れたが、ちょっと乗り換えで手間取っても予定が狂ってしまうので、小屋の予約ができなくなる。檜枝岐村あたりで一泊してから尾瀬に入ろうかとずいぶん迷ったが、京都からの新幹線を一台早い時間にすることで、余裕が出来たので決行することにした。

また前にこの時期に行った大江湿原のニッコウキスゲの群生も忘れられず、その時から今度来るときは沼山峠から大江湿原に入りたいと思っていたのでこの計画にした。

今回天気もあまり良くなかって、午後から雨という日が多かったのだが、結果としてはこの計画は大成功だだったと言える。一緒に行ったのは中学の時から六十年間続いている友人も、大いに満足してくれたようだ。最初に「尾瀬に連れてって」と言われた時は大丈夫かな、と思ったがそれまでに京都愛宕山に登ったり最近は京都東山トレイル歩いているという話も聞いていたので大丈夫だろうと踏んだ。何よりも昔からのお付き合いで、ぜひ尾瀬の美しさを見せてあげたい、至仏山の高山植物を花好きの彼女にみせたいという思いが先行していたのは確かだったが、、、。至仏山の登りでは本格的な山登りをしていない彼女にしては厳しかったようで、かなりゆっくりになってしまった。幸い怪我もなく無事に行けたので本当に良かったと思う。この至仏からの下山時は雷と大雨に遭遇してしまい、緊張しながらの登り降りとなってしまった。

この歳になるると何かあると、無謀な高齢者登山と非難を浴びせられるのが関の山だっただろう。コースタイムでは歩けにかもしれないと予測していた。その場合には下山してそのまま京都に帰るのは大変なことになる。

最初の予定では至仏の登山口の山ノ鼻と2泊で下山後はそのまま帰る計画にしていたが、そういうわけで最後まで迷っていたが、尾瀬戸倉の戸倉温泉にもう一泊宿泊予約をした。これは結果としては疲れも取れ、無事登山の祝杯もでき、帰りに「吹き割りの滝」の散策もできて、お土産を買うゆとりもでき結果としては良かった。

やはり年齢を考えると、ゆとりは大切だと感じた。初めて上毛高原駅からの帰路は上越新幹線も初めて乗れて、PC利用の新幹線の予約や計画、スマホの新幹線のアプリやICOCAの利用で、乗り降りもスムーズで便利な世の中になったもんだと驚きの連続だった。

今までは車での登山がほとんどだったので、数年でこんなにも世の中進歩していたんだと驚くことばかりだった。

こんなことを書いていたら余計に年寄り扱いされるかな?

帰ってから大江湿原から見た尾瀬沼の絵を描きあげた。この場所は有名な観光地でもあるが、やっぱり美しい。

写真もたくさん撮ったので、次回アップしたいと思っています。


山友と愛宕山登山

2021-12-17 21:00:00 | 登山
12月8日(水)愛宕山登山 924m

メンバー 3名 清滝鳥居前集合(表参道往復、ケーブル駅舎跡に立ち寄る)
時間 清滝9:15発~下山15:00(5時間45分/休憩・食事時間含む)
スマホの記録 22,959歩 16.74km 歩行時間5:05


古くからクライミングや山を一緒に楽しんできた友人から愛宕山登山に誘われた。
その時は膝がまだ痛むのでしばらく返事を保留していた。「足慣らしをして様子を見てみて行けそうだったら行きます」と返事をして近場で足慣らしができると言うので京都トレイル東山コース1、2、3を歩いてみた。どんどん調子が良くなっていきていた。

清滝で8時45分に集合だった。私は車だが二人は電車で嵐山まで、嵐山から清滝までバスだったのでかなり朝早くに家を出られたのだろう。私は車で余裕があったはずなのに、通勤時間帯に合ってしまったのか、渋滞に巻き込まれかなり遅れてしまった。

京都の山の一番高いのは皆子山(971m)だ。しかし愛宕山が一番高いと思っている人が多いのは急登が続き、しんどい山だからかもしれない。私の所属していた山の会でもボッカトレーニングは愛宕山を推奨していた。愛宕山は回数は数えていないが、しょっちゅう登ってきたお馴染みの山だ。頂上の愛宕神社に祀られているのは防火の神様でかなり立派な神社だ。京都の人は「おくどさん」(京都では竈をこう呼ぶ)に必ず愛宕神社のお札を貼ってあるという。
今回登ってみて倒木や登山道の崩れ結構多いのが気になった。かなり古そうな巨木の杉の木が倒れていて、残念に思った。

今までで愛宕山で一番、印象深かったのは2002年8月に「ケーブルの軌道跡」(私のHPにリンク)をネットで知り軌道を歩いたことだった。今の静かな愛宕山に戦前ケーブルがあり、ホテルや遊園地、スキー場があったことを知てそのあとは残っていて歩いた人がいたことを知って行ってみたくなり実行に移した。その時は線路跡も駅舎も、荒れ果てていたが、いつの間にか綺麗に整備されている。清滝の駅舎跡は住宅になり軌道の入り口には立ち入り禁止の札が掛かってた。今でも起動あとは立ち入り禁止と書かれてはいたが、駅舎後には説明板などがあるので、かなり公なってきているのだろう。今回も帰りに駅舎跡に寄ってきた。廃墟の駅舎は前よりは綺麗にされているが、迫力があり魅力的だ。

登っている時は汗が出ていたが、登り切ったらかなり冷えてきた。神社では薪ストーブが焚かれていて誰でも暖が取れる。そこで食事をさせてもらえたので助かった。帰りに神社のTwitterに投稿したいので写真を撮らせて欲しいと頼まれて断れなかった。ま三人マスク姿で掲載されていた。


下山したのは15時。嵐山のカフェでゆっくりおしゃべりしょうと言うことだったが、余裕なくそのまま帰路についた。日が短いので仕方がないでしょう。家に着いた頃は薄暗くなってきていた。
来年はまた一緒にもっと山に登れると嬉しいのだが………