「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

クライミングの効用!?

2005-11-29 02:41:08 | 生活
「富有柿がたわわに実ってるから取りにいらっしゃい」とTさんにいわれ戴きにいった。庭には柿の木が2本とリンゴ、みかん、だいだい、レモンと美味しそうな木々がよく手入れされた庭に実ってる。これを見ただけでウキウキしてくる。
みかんは売ってあるものとそっくり(あたりまえ)。もぎ取ってほおばると、市販のみかんよりも甘くてジューシー。家の干涸びたみかんとはひと味もふた味も違っている。
レモンも緑から黄色にグラデーションになっていて奇麗。これはまだ収穫には早いかなと思いつつも一個戴く。「ワックスをかけたり防腐剤を施した輸入レモンとは違って、皮まで食べられますよ」とTさんがおっしゃる。
さすがにリンゴだけは北国のリンゴと比べると見劣りしてしまう。上の方のリンゴに手がとどかないので穫ってほしいといわれたのでもぎ取ったら、もう先客の鳥が食べていて腐りかけていた。下の方のTさんの手が届くところでは袋を被せていたので無事だったが、それも見た目にもあまり美味しそうに見えなかった。何という品種か聞かなかったが、青リンゴがくすんだような色をしてる。
ずっと昔、私が子供だった頃家が農家で新しいものが好きな父が、リンゴの栽培をこころみたことがあった。そのTさんの家のリンゴを見ていて、父が関西でリンゴを栽培するという画期的な考えを行動に移し、自分の思いつきに興奮して取り組んでいたことを思い出してしまった。私も白い花が一面に咲き出したのを見てリンゴが実るのを楽しみにしていた。しかし、実ったリンゴはとても小さく固くて、売っているものとは大違いだった。この父のアイデアは不発に終わり、リンゴの木はこの年で消えてしまった。甘酸っぱい思い出である。そのときから私は、リンゴは北国のものと思いこんでいる。
私が小学生の中頃なのでもう45年程前のことになる。その頃は、ぶどう園もあり、椎茸の栽培もしていた。私たち家族の食べ物のほとんどが、家で収穫したものでふんだんにあった。もちろん、青果市場への出荷が主なのだが…。その当時は野菜や果物が主の食生活を質素だと思って不満だったが、何よりの自然の恵みを新鮮なうちに食べていたのだから、豊かな食生活をしていたことがこの歳になると理解出来る。今の子供たちの食生活は何でも手に入る豊かさの陰に、本来のものを見失ってしまってることに気がつく。

話は元に戻るが、富有柿の木はたわわに実り、重そうに枝が垂れている。私は木の上に登り、上の方から順番にもぎ取っていった。クライミングの成果で、木登りも子供の頃より上手くなっているように思う。いやはや、クライミングが初めて実用的なスポーツだと思えた。長い間の苦労はこのときのためにあったのか…?!?!?
あっという間に上から半分ぐらいの実はすっかりなくなってしまった。下の方は手を伸ばせば穫れるので、楽しみも柿の実も他の人にも残しておくことにした。
大きな袋に一杯詰め込んで、戴いて来た。とても美味しい柿だった。感謝。



人生いろいろ

2005-11-25 12:11:53 | 生活
自分の好きなことを出来るというのは、何(気持ちも時間も)も拘束されることがないことで、幸せなことだと思う。
この年齢になっても、いろんなことに拘束された状況に置かれた友人がいる。そんな中でも、つかの間の時間をやりくりして、ほんのさやかな楽しみを見つけていたりはする。
一人は事情があって、親戚の小学生の子供を預からなくてはならなくなったとかで、本来は孫がという年齢になって親業に逆戻りだという。学校に行ってる間のつかの間のデート(相手は女性)を昨日は楽しんだ。今頃また子育てだと思うと、私も経験者だけに気の毒に思う。
もう一人は、子供も大人になり、郊外の一戸建ての家を清算して都心のマンションを購入し、これから自由な時間をいろんなことで楽しみたいといって引っ越した友人が、引っ越したとたんに一人暮らしの母親が倒れて入院し、退院後はほっておけないということでそのマンションに引き取った。
先日、その友人を訪問して話しているうちに、ほんとうに大変だなぁ~と思った。自由を手に入れるつもりで購入した家に拘束された状態になってしまい、どこにも行けなくなってしまっている。今はデイケアーに週2回行ってるので、そのときだけがささやかな自由時間という。
しかしながら、こんなはずではなかったのは、彼女の母親も同じこと。田舎で、自由気ままの一人暮らしを楽しんでいたのが、急に都会のマンション暮らし。新築の素晴らしいマンションに何不自由のない素敵なインテリアの部屋だが、きっと落ち着かないことだろう。まして、デイケアーの話を聞くと、老人の幼稚園と行ったところのようだ。人によったら、なんでこんなことをしなくてはならないのだろうと思う人もいるはず。
事実、同年齢の人がたくさんいるので話相手ができていいだろうと思い、私の実家の母屋のおじいさんを家族がデイケアーに連れて行ったところ、「わしをこんなところに入れやがって…」 と杖を振り回して怒ったというのを前に聞いたことを思いだした。明治生まれの男性にとってそこのカリキュラムは、屈辱的なことだったようだ。
「山あり、谷あり」生きていくことはいろいろある。生きていくということは、いろんなことが起こり、対処していかねばならない。特に家庭にいる女性に、いろんな負担が掛かってくる。先日一緒に山にいった同世代の女性もしみじみと「私はね、山に感謝してるんよ。辛いことも苦しいことも山に行って捨てて来てるねん。山はいろんなことをどれだけ受け止めてくれたか…。」とつぶやかれた。多くを語らなくても、このとき私には彼女の人生の重みを何となく受け止めてしまった。「長いこと生きているといろいろあるねぇー、私たちは山に出合えて、本当に幸せやわー」とぽつり。
大自然はスケールが大きいほど、懐が広い気がするのは私だけだろうか。
しかし、それもままならない友人には今は話を聞くぐらいしか私には出来ない。


紅葉の星田

2005-11-24 16:58:33 | クライミング
昨日もホシダでクライミング。いつもの駐車場は満車で臨時駐車場がオプンするほどの盛況だった。
岩船神社の駐車場に車を置いて山道を歩く。この日は、紅葉の見頃とあって、ほんとうに凄い人でだった。ちょうど家族づれの散策によいお手軽コースとなってる。奇麗なので吊り橋(ほしのブランコ)を経由してクライミングウォールにたどり着く。1時間ほど掛かってしまった。
今週末が一番の見頃らしい。昨年よりは色付きがいいとピトン小屋のペイさんがいう。クライミングウォールも、けっこう人が多かった。あちこちの岩場も今シーズンの終わりを告げる。行けるところも少なくなってくる。モチベーションも下がってくる。そろそろ、もうフリーは辛い季節だなぁ~。これからの季節は寂しい気がするのは私だけだろうか。
しかし、センチになってはいられない師走がやって来る。ほんとうに一年が、また早く感じる。

この日の星田園地の写真へ  http://homepage.mac.com/iku_tsuku/PhotoAlbum6.html

頭打ち

2005-11-20 00:06:00 | 野菜作り2022
最近また少しピアノを弾きたくなっている。今見ている楽譜は、昔本を買っておいて投げ出したブルグミュラー18の練習曲だが、ネットで検索していたらMIDIというファイルで録音されているのが公開されていた。他にも、いろんな人がいろんな曲をこのファイルで公開している。このMIDIという名前は初めて聞いた。
私は、今まで練習曲など聞きたい曲は市販のCDを買っていた。このMIDIのファイルはダウンロードが出来る。一番の「ないしょ話」という曲はあるサイトからダウンロード出来、MIDIファイル→GarageBand→iTune→CD録音と今度買ったMacの付属ソフトでうまく取り込めた。しかし、次の曲の2番目を同じようにしたが、不思議なことに聞いたときはちゃんと聞けたのに、MIDIのファイルには右手の音(楽譜でいうと上の段だけ)しか入っていない。他の曲も試してみたが、途中までしか入らなかったりと、上手く行かない。これは怪奇現象か…???。
いろんな曲も手に入ると喜んだのもつかの間のこと、ぬか喜びになりそうだ。やっぱり、著作権とかでこうなるのかもしれないと思ったり、あれやこれやと考えを巡らすが解らない。
パソコンは何でも出来る道具だと私は思っている節がある。ほんとうにそうなんだろうか? これも何でも出来るように使いこなすには、かなりの苦労が必要なようだ。誰か教えて…。

話はとぶが、土日は連日ホシダにいって白青テープに挑戦して来た。このルート、私にはかなり難しい。ムーブはわかってるのに、連続して出来ない。ホールドも小さくて持つのにパワーがいる。いつになったら、RP出来るのかわからない。

上手くいかないことって、意外と多いなぁ~。
私の今やってることは、別に出来なくてもたいした問題にもならないのだが…。
まぁ~、そのうち何とかなるだろう。
(確か植木等の歌にこんな歌詞があったなぁ~)



京都・善峯寺からポンポン山へ

2005-11-17 23:12:19 | レジャー
今日は朝からいい天気。じっとしているのはもったいない。先月の同窓会が善峯寺であったときに聞いていた、片岡鶴太郎の襖絵が公開されているのを思い出した。善峯寺だけでは、もっともったいないのでついでにポンポン山にも欲張って登ることにした。友人に早朝電話して誘ってみたところつきあってくれた。
さすが観光京都。すごい人である。平日とは思えない。駐車場入り口で待たされる。今一番いい時期なのだろう。紅葉が奇麗だった。やっぱり、お寺に紅葉がよく似合う。
片岡鶴太郎の襖絵「游鯉龍門圖(ゆうりりゅうもんず)」は、錦鯉が緑の水面を泳ぎ回ってる絵だ。いったいどのくらいの鯉が泳いでいたのかわからないが、とにかくいっぱいいた。
お寺の襖絵としては、今までの固定観念から大きくズレている気がするのは私だけの感想か…。山水画や水墨画をイメージすると、ずいぶん大胆な感じがする。錦鯉も近くで見ると愛嬌のある鯉でリアルとは言えない。しかし、遠くから見ると何故かリアルに活き活きと見えるから不思議な感じがした。盤若心経の文字も一緒で、味があると思う。お寺としては「勇気ある決断」ではなかったかという気もするが、古典的な山水画の絵を新作として見るよりは印象的であった。
昼過ぎから、ポンポン山に向かった。ひとしきり山を登ったところに、杉谷という集落があった。3軒ほど家があり、水田や畑が広がっていて懐かしい風景だったが、どうしてこんな山の中にと思うと不思議だった。私は6軒しかない集落で育ったので、一瞬タイムスリップしたのかと思ったほど風景が似ていた。まだ京都の町からそれほど離れていないところに、こんなところがあり、生活があるのだなぁと感心してしまった。そこで昼食をとりながら、子供の頃の生活を懐かしく思い出していた。そして、そういう生活から逃げ出した自分も思い出してしまった。郷愁は感じてももう戻ることはあり得ないことを確認した。