「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

前向きと後ろ向き

2006-10-25 04:38:26 | 雑感
私は朗読をやってる関係上、視覚障害者の方とのお付き合いが多少ある。最近は、障害者とか健常者とかいうことを意識しないで人と付き合うことが多い。それは、視覚障害があると出来ないことが多いが、全く私が忘れてしまう程、いろんなことが出来る人も多いからだ。
日常生活ではかなり不便なことがあるでしょうが、それなりにこなしていらっしゃる。ただ、外に出たときにはかなりの危険が伴うのは事実で、特に車は凶器だ。外出のときには、ガイドヘルパーなどのボランティアの助けで外出する人もいるが、出来るだけ人の手を借りないで出かけている人もいる。
私はわりと人が好きだが、苦手な人もいる。人として魅力のあるのは、やっぱり前向きに生きている人だとこのごろ思う。それに反して、後ろ向きということになるが、そういう人は自分の不幸を呪ってるかのように愚痴る。話題が人の悪口も苦手だ。どちらも聞いていて楽しくない。健常者でどうしてこんなに恵まれているのにと思う人でも愚痴しか話さないという、そんな人もいる。
その点、何かに夢中でそのことを一生懸命話す人は、たとえ自慢話だとしても私はおもしろがって聞いてしまう。往々にして、そういうときには自慢しているようにとる人も多いが、自分が夢中になってるときには、楽しくて仕方がないようで話さずにはいられないようだ。そういうときには多少自慢になっても良いのではいかとも思う。しかし自慢するために人に話すのは、言語道断でもあるし鼻持ちならないことだ。
昨日、ピアノを買いに行くSさんにお付き合いして来た。Sさんはほとんど目が見えていない。しかし、子供の頃から憧れていたピアノをしたいとずっと思いながら、なかなかきっかけが掴めなかったらしい。それが迷ったあげくに、「ボケ防止に」などとおっしゃいながら意を決してされることになったのである。もうすでに、点字のバイエルと併用の曲を注文されてる。
ピアノは、近所迷惑にならないようにと電子ピアノ(クラビノーバ)にされたが、夕方電話で嬉しそうに弾んだ声でピアノが来たと報告があった。何だか自分のことのように嬉しくなってくる。
Sさんにとっては、これから(私とほぼ同年齢)ピアノを買い、練習を始めるということは一大決心であったに違いない。「これから頑張って練習して、90歳コンビでコンサート開いて連弾しょう! みんな、あっと驚くで~」となにげなく私が言ったのが、やろうと決心させたと言うのだ。責任重大な発言を私もしたものだ。長生きすることと、ピアノの練習を私にも課せられたようなもので頑張らないといけない。
彼女は因みに、パソコンも出来る。パソコンを自由に使えるようになるには、健常者にでも計り知れない苦労があるのが私には分かる。驚いたのは、キーボードの位置は最初は丸暗記から始めたそうだ。未だにブラインドタッチが出来ない私にしたら、これも驚きだった。
彼女にはボランティアをしているつもりで、いろんなことを教えてもらってるとこのごろ思う。まずは、前向きに生きることが人生を楽しくさせるということだ。そして、何にでも好奇心を持つこと。出来ないことでもやりたいことは、とにかくやってみることなど…。
もっと重大なことは、人は障害者だから健常者だからということはお付き合いする上で重要な問題点ではないということだ。人として魅力的かどうか、ということが物差しになるようだ。