「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

黒百合

2007-04-30 23:17:45 | 雑感
土曜日は不動岩、日曜日は椿岩へと指の痛みと肩の痛みを抱えて不調ながら登って来た。今日のホシダへはさすがに消極的だった。しかし、母の様子を見に行ってからホシダに向かい1本登って来た。
調子が悪いと登れない、不調だなどと言いながらも良く嫌にもならず行くものだとつくづく思う。調子が悪いとほんとうにまともな登りは出来ない。落ちまくる。それでも、ルートを眺めていたら登りたくなって来る。
私の場合は、クライミングは登るの(レッドポイント)だけが目的ではないからなのだろう。登る行為そのものが楽しいのだろう。今日もホシダで、このブログを読んでくれているIさんに「よう、小熊と遊んでるなぁ~」と声をかけられた。
土曜日には、一緒に登っているMさんもRPできた。一緒に取り付いていた他の人の小熊RPの知らせは私のいないときでも耳に入る。これで私と同時期に取り付いていてRPした人は、知っている人で5人になった。Tからも「しばらく、置いといたら…、実力以上のを取り付き過ぎだよ!」と言われる。
しかし、今の私には不思議と焦りとか失望とかマイナス的な気持ちは湧いてこない。まだもう少し登れるのではないかと言う気がする。それは上手くなってRPするという意味ではなくて、楽しんで登れるという意味でだ。もう、40回は越えた。年の数までは頑張ってみようかな、と思うのはまだ楽しく登れるからだろう。クライミングには、いろんなスタイルがあり人それぞれ。私は楽しく登れるのが一番の長続きの秘訣だと思える。

昨年八ヶ岳縦走で、下山した北横岳のロープウェイ乗り場でお土産に売っていた黒百合の球根に目が止まり、育つのだろうかと思いながらもユリの花が好きな母に買って帰った。母はとても喜んでくれて早速植えてくれていた。
一月位前の夜遅く「黒百合の芽が出てきた」と弾んだ声で電話をくれた。今朝の電話で、母の元気がないようなので、ホシダに行く前に実家に寄ってみた。庭に咲いているフリージャーを母に頼まれて切っていたら、黒百合が咲いているのに気がついた。2株のうちの1株に、確かに小さな小さな黒百合の花が下を向いて咲いているではないか。あわてて母を呼びに行く。母は黒百合とは初めてのご対面だ。「白山にはこんなんがいっぱい咲いてんねんよ」と私が言うと「へぇ~、小さいもんやなぁ~、かわいらしいなぁ~」としばらく感動のご対面。ここしばらく元気のない母に、少しは慰めになったようだ。タイミングよく咲いてくれた黒百合に感謝。





映画「東京タワー」

2007-04-26 20:49:58 | 映画
今日は蝙蝠谷にクライミングに参加の予定だったが、ちょっと用事が出来て行けなくなった。だいぶ岩場からは遠ざかってる。時間の合間を見て、映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を観て来た。
これは原作を読んで、テレビドラマで見て、今回の映画なので新鮮味に欠けていた。この本の原作は、もう200万部を越えてしまっているらしい。凄いなぁ~。今回の映画は、オカンが樹木希林で若いときは娘の内田也哉子がやっていたが、これはさすがに親子だなぁ~と思う程似ていた。内田也哉子の演技は樹木希林にはまだまだという感じはしたが、個性的で良かったと思う。
やっぱり、映画とテレビの大きな違いはセットにあるようだ。改めて、リアリティーをもって私に迫って来たようだ。それにしても、やっぱり樹木希林は魅力的なオカンだった。というよりは、樹木希林が魅力的なのだろう。
親の子どもに対する愛、子どもの親に対する愛を改めて考えてしまった。子どもは愛情一杯に育てられると、大人になってまた愛情を持てる大人になるということなのだろうか。最近は「愛情=甘やかす」ということと履き違いをしていないだろうかと思うことが良くある。貧しい時代の方が、子どもはちゃんと育っていたように思うのは気のせいか…。
ちなみに、私の隣に座っていたオカンは映画の間中泣いていたようだ。

2006/1/21本を読んだときのブログ
「東京タワー」  読書
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著
この本、ベストセラーらしい。私は全く知らなかった。友人が「読んでみてみ」と手渡してくれた。「この本なに?」「エー、知らんのん?」「外国人の作家みたいやのに、東京タワー? オトン? オカン? どうなってんねんや…」「ごたごたいうてんと、とりあえず読んでみ~!」と言うような訳で、借りて来て読んでしまった。娘に知っているかと聞いてみたら、涙…涙…の本だということで職場の話題になっていたので読んだという。知らなかったのは私くらいなのか?
これは、作家の私小説で子供の頃から現在までのお話。副題の「オカンとボクと、時々、オトン」通り、両親は別居で母親に育てられて、父親は時々登場するがいわゆるマザコンではと思う程の密接な母との結び付きのなかで成長するが、高校から母親とも別れ別府へ、大学で東京。そして最後に東京へ母を迎えて一緒に暮らし、癌で亡くすまでの話し。1963年生まれの著者リリーさん、私とは一回りは歳が違うのだが、何だか共通の経験をしていて近親感を持ってしまった。
それは地方から東京に出て行って、東京というところの捉え方が「なるほど、そうそう」とうなずきながら読んだ。仕事も同じような仕事をしていたせいか、私が東京にいた1970年代の前半もそうだったなぁ~、と懐かしく思いながら読んでいた。私は、結局故郷に帰ってしまったのだが…。
私が東京にいた頃には、東京に夢を見て出て来たデザイナーやカメラマン、漫画家志望などで食べられない人がたくさんいた。しかし消費者金融などという物は無く、みんな汚いアパートで共同生活などしながら肉体労働などのアルバイトをしていた。しかし大方の若者は夢破れ疲れて故郷に帰って行った。私の仲の良かった作家志望の友人は、お金がなくなるとコーラーの瓶を酒屋の裏から盗んで来て、違う店に持って行って1本10円で引き換えていたのを思い出した。それらの人たちが、この本の登場人物と時代は違うがオーバーラップしてきた。
最後に、東京タワーから眺めて「東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた」「故郷から胸をときめかせてやって来た人々。この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない」。これには、「うん、うん、」とうなずいてしまった。
オカンもオトンもその辺にいる平凡な庶民的な親だが、深い愛に溢れている。また子どものときにはひどい親だと思って育っても、大人になれば違った見方で見ることも出来る。なんだか、そのへんにいそうな家族でもある。
この辺に、ベストセラーの秘密がありそう。
歳とともに涙は枯れていくのか、ちなみに私は涙が出なかった。


九州の山旅/速報

2007-04-21 00:54:12 | 登山
17日に出発して、18日祖母山、19日大崩山、20日由布岳に登って帰って来た。正確には祖母山と大崩山は頂上を踏めず敗退となった。それは、18日の九州地方は雨だったが、山は雪となってしまったからだった。19日に泊まった「大崩の茶屋」の女将さんの話しだと、3月はまだ雪が降ることかあるが、嫁いで来て30年になるが4月に雪が降ったのは初めてのことだと言う。この「大崩の茶屋」の女将さんは、ぜひまた尋ねて行きたいと思ってしまうような、何とも言えない魅力的なお方で私たちとは同世代。
祖母山は雨の中での出発だったが、そのうちに雪に変わり林道に出ると見事な樹氷だった。とりあえず雪の中頂上に向かったが、高度をあげるごとに雪が深くなり1300メートル近くで引き返すことにした。装備が春山の装備だったので、手袋はびしょ濡れで手は冷えて痛い。
次の日の大崩の茶屋に着くと、ご主人が「あれ~、来たの? この雪じゃ、来ないかと思っていたよ!」というのが最初のご挨拶。ここから見える大崩山は真っ白だったので、当然のご挨拶だったのか…。しかし何しろ、関西から来たのだからそうやすやすと帰れない。取り敢えず、19日も袖ナギからは展望が良いということを女将さんに聞いていたので袖ダキまで雪の中を登って来た。
この二日は全くの冬山のようだった。一緒に行ったKさんは今年初めての雪山だったようで、「もう、私は雪山を引退しようと思っていたのに何という皮肉なことか」と嘆いていらした。「まだまだ引退させないよ」という、山の神様のお導きか…???
春山のお花とピークを踏むことを楽しみにしていたので、結果としたら残念なことだったが、思わぬ体験に何故か不満は起らず、二人ともせっかくの神様の雪のプレゼントをおおいに楽しんで来た。
由布岳は、打って変わって天気には恵まれ雪も頂上近くに少し残ってはいたもののパステルカラーの早春の色彩を楽しみながらやっとピークを踏むことが出来た。
良き相棒と、雪山、春山、お花、ドライブ、美味しい食べ物(ボタン鍋、鹿の刺身、アマゴの唐揚げ、タラの芽の天ぷら、ウドの和え物など数々の山菜料理。そして、湯布院ユースでのレストランでのおいしいお食事)。これで九州の山旅4日間も、「めでたし、めでたし」ということになった。
九州はほんとうに美しいと思う。まだこの時期新緑には早かったが、静かな山だった。とにかく天気も悪かったし、時期も早かったのと平日ということもあって、宿泊も山も貸し切り状態だった。私たちがいた間も、大崩の茶屋には連休の予約の電話が鳴り続けていた。応対出ていた、女将さんがその度にすまなさそうに断っていた。やっぱり、連休は凄い人出となりそうだ。


しばらくはクライミングは小休止

2007-04-15 22:37:27 | 登山
今年に入ってから、不動の小熊物語に取り掛かっていたが大した変化もない。というか、登れそうにない。嫌になった訳ではないが、しばらく緊張感から自分を解放してあげることにした。といいながらも、昨日はホシダで楽しく登って来た。クライミングは、最高グレードに挑戦するだけが能ではないと思うからだ。たまには、楽しまなくては緊張の糸がプツンと切れてしまいそう。というよりは登れないのに厳しいだけでは嫌になる。
情けないけれど、何でも人それぞれに限界というものがある。限界に近い程難くなり、進歩もほとんどしない。
来週は九州の山に行く予定だ。というわけで、この計画は私にとってとてもいいタイミングとなった。今回は、100名山祖母山、大崩山、最後に癒しの由布岳という計画だ。連休にはかなり混雑しそうなので、お花には少し早いかもしれないが、静かな山を楽しめそう。クライミングで最近一緒のKさんがお付き合いしてくれるという。同年齢の女性とは、気持ち的には楽なので嬉しい。
由布岳はNHKの朝ドラで美しい山だなぁ~と思っていた。特に緑に被われた時期は特に綺麗だと思う。一度行ってみたいと思っていた。九州の山は穏やかで美しい。しかし、大崩山は岩山で登攀ルートも開かれているというが、今回は一般登山道を登る。祖母山は曙ツツジが咲いているだろうか。ここしばらくは、九州の山に思いを馳せていた。
美しいものをたくさん見てリフレッシュし、またクライミングも頑張ろう。

桜満開

2007-04-10 19:38:34 | レジャー
いつもこの季節に思うことだが、日本人はどうしてこんなにも桜が好きなんだろう。どこもかしもこも桜が満開だ。昨日は昼から時間があったのでカメラ片手に近場の桜の名所を巡ってみた。まずは家の前の公園から。この公園は普段は遊んでいる子どもは少ないのだが、桜に釣られてか子どもが沢山遊んでいた。小さな子どもとお母さんの姿はとても微笑ましい。足の向くまま歩く。車で通り過ぎていた商店街もまた少し様子が変わっている。つぶれたままの本屋さんやお寿司屋さんは、何となく裏寂しい。
途中の公園にも寄る。やっぱり桜に引き寄せられて人が沢山。最初は山越えで岩清水八幡宮を経て、木津川沿いに250本のソメイヨシノが1.4キロ植えられている背割堤に行く予定にしていたが、八幡市のさくら公園に足が向いてしまった。ここでも花見の人たちで大賑わいだ。ここを通り抜けると、目の前に八角堂が見えた。懐かしい。子どもの頃、いつも学校に行く時に通っていた道だ。久しぶりに昔の八幡の中心で小学校へ歩いたこの道を通って八幡市の駅まで行ってみようと思い立つ。
故郷の郷愁がふつふつと湧き出て来た。長い間、どこかに置き去りにしていた記憶が蘇る。いつも、自転車で電話を掛けにここまでお使いに来ていた。通称「はっかくさん」と言っていた雑貨屋さんはそのままのたたずまいだった。ガラス戸の中をのぞいてみたら、商品なのかゴミなのかが散乱している。ここで、グルグル取っ手をまわして交換手に番号を言って繋いでもらう電話で、プロパンガスの注文などしていたことを思い出す。ここまで家から2キロ以上はあるだろう。ほんとうに、暢気な生活をしていたものだ。その隣は、鍛冶屋だった。同級生の同じ名前の女の子がいた。表札は覚えがあるが、建物は新しくなってる。その子のお父さんが,薄暗い土間で火花を散らして仕事をしていたのを思い出す。
つぶれた畳屋さんの看板がそのままになっていたり、訳の判らない宗教の真っ赤な家がまだあったりする。コロッケや牛肉を買いに来ていた肉屋さんの店内には、その頃お兄さんだった人がおじいさんになって、コロッケを揚げていた。会釈をして通り過ぎる。確かコロッケはそのころ6円だったと思う。何だか不思議。
キョロキョロしながら、小学校へたどり着く。全く様変わりしてしまっている小学校と幼稚園。私が通っていたときはお寺のような門と木造の校舎だった。
駅を通り過ぎて、木津川にかかる御幸橋の上からはもう沈みかかった大きなオレンジのお日様と木津川の風景と背割堤の桜が幻想的で美しい。片道1.4キロの桜のトンネルを往復歩く。もう日が暮れかかっていたので人は少ない。見事なソメイヨシノの大木が続いている。今年の桜はここで十分満腹感を味合わせてくれた。
京阪八幡駅のホームから電車に乗る。
写真
http://homepage.mac.com/iku_tsuku/2007/PhotoAlbum52.html