「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

本を読んで寝不足

2022-02-02 09:01:00 | 読書
コロナ禍になって第6波の新型コロナウイルスのオミクロン株(SARS-CoV-2)が蔓延していると言われても、このコロナのウイルスの変異がよく理解できない私は、「そうなん何でもいいけど、ええ加減に変身して人に入り込まないで消滅してほしい!」とただただ願うばかり。それでも未だにニュースでは「その曜日の最多」を更新している。しかし、気のせいかもしれないが「過去最多」という言葉はどの県でも聞かなくなってきた気もする。「おっ、減ってきたじゃん」と思うのは私の希望的憶測かな?

さてそれは置いといて、相変わらずお陰で趣味の範囲が拡大していてる。しばらく本が面白いと思えない時期もあったが最近は私のあまり馴染んでいない作家さんの本を続け様に読んでいる。おかげで睡眠不足に陥ってしまったりして、こりゃいけないと反省することがしばしば。

昨日は友人と「岸田劉生展」を見に行く約束をしていたのに、その前日ベッドに早めに入って読み始めた本が、結果として2時間ほどしか寝られないことになってしまった。何度も何度も、明日の約束があるからとベッドのスタンドを消して寝る体制に入るのだが、いろんな思いが頭を巡らして寝られず、また電気をつけて本よ読む。その繰り返しが続いて、とうとうもう少しだからと最後まで読み終えたのが4時過ぎだった。2時間ほど微睡んだがいつもの起床時間だったので、今度は出かける時間が気になって起きてしまった。ときどき切りの良いところまでと本を読んで、就寝時間がずれてしまうことになることもあったが、読書していて徹夜になるなんて考えられないことだった。若い頃は夢中になって徹夜になることが結構あり、次の日も平気で出勤していたのだが、歳をとると寝不足が堪えることになるので睡眠時間を十分取ることには気を配っていた。
それなのに、よりにも寄って出かける前夜の睡眠不足は当日の運転にも堪える。迷ってたが、友人にことの次第を説明してキャンセルを申し出たところ快く延期してくれた。そんな状態で車の事故でも起こされてはと考えたのはお互い当然のことだったのでしょう。

前書きが長くなったがその私に睡眠不足問題を起こさせた本は、小川洋子さんという作家の「ことり」という本だった。小川洋子さんの本では4冊目だった。この人の本を読むきっかけになったのは、音訳をさせていただいている図書館の音訳講習会で短偏集「海」の中の「缶入りドロップ」というのがテキストになっていて、他にどんな本を書いているんだろうと思い検索して「海」「猫を抱いて像を泳ぐ」「小箱」と続け様に読んで、眠れなくなった「ことり」と図書館で借りて読んだ。この作家の本は文体がとても読みやすく(文章が上手いから?)内容にすっと入れるが、内容はかなり空想的・想像的でストーリの現実性はあまり感じず何を言いたいのだろうと読者に思わせながら読ませていくような気がする。現実ではないが現実を想起させる。というか読者の身近な事柄を呼び起こし、それを意識化させて考えさせてしまう、そして読者もまた空想した問題に展開させてしまう。

というような訳で、次の日約束がある大事な夜に以上のような罠に嵌りながら徹夜をしてしまった。とにかく、小川洋子ワールドは不思議な魔力(魅力)があるのかもしれない。肝心の読書感想文は今のところ書ける気がしないので、これでおしまいにしておこう。




李琴峰とういう作家に興味津々

2022-01-23 11:27:00 | 読書
李琴峰著「彼岸花が咲く島」2021年芥川賞受賞作品を図書館で借りて読んだ。取り敢えず、今は乱読だ。今の若い作家はどうもわからんと避けてたが、この作家は私との相性はとても良かった。経歴をネットで見たら日本語の勉強をしょうと思ったのが日本の小説をたくさん読みたいからということだったらしい。その中の好きな作家に私が高校生の頃好きだった安部公房(訂正 李琴峰の一作目「独り舞」を次に読んでいて、この中に日本語に興味を持つきっかけになった作家が二人出てきた。村上春樹と太宰治だった。ネットで見たときに早とちりして安部公房と勘違いしていたのかな?)とが入っていたのも気になった。全般としては一気に読んでしまい、この後もこの著者の本を図書館で数冊リクエストしたので面白かったのだろう。


女性が権力を持つが平和でのどかな島に流れ着いた傷だらけの少女が主人公。この島は女性が神事で国を統治していてノロと呼ばれている。私はその時点で卑弥呼を彷彿させられていた。しかし、過去も現在も混ざったような構成で、未来の理想郷の話かなと私は考えながら読み進めていた。本としては最初は日本語(本来の日本語ではなくて島で話されている作られた言葉)と女語(ノロが話す言葉で古典的な日本語でひらがなで書かれている)で構成される会話が、読むにつれて慣れてて気にならなくなった。著者は台湾出身で日本語堪能ならではの小説だとこの本では感じ感心した。
そして、現在の中国、台湾、日本の狭間で生きてきた著者らしい小説でもあったと思った。

最後に女性が統治して平和に暮らすこの島が果たして未来に理想をもたらすのかは、本の最後にも課題として残されているが一度試してみてもいいのではと私は思ってもみた。女性天皇も私の目の黒い内にみたいものだ。



久しぶりに一気読みした本

2022-01-14 10:00:00 | 読書
昨年から小説は図書館で借りることにした。

図書館のHPから検索してあるか確認して予約。本が貸し出されていたら何番目かわかり、また自分の予約状況も確認できるのでとても便利に利用させてもらっている。私の好きな作家の新刊書検索をしたり、アマゾンでベストセラーの本のあらすじを見たりなどして気に入りそうなのを借りている。最近記憶力の低下で読んだ本は読み終わったらすぐに忘れてしまう。 図書館の私のページは 今借りている本と予約している本の記録が残っているが、返却してしまうとさっさと消されてしまう。そうすると題名や著者名もすぐ忘れ、人に話もできない。

亡くなった母も本好きで、買い物のついでに本屋に立ち寄り数冊ずつ購入していたようで、 同居するときに本屋のカバーがかかったまま押し入れにいっぱい入っていた。カバーを外して綺麗な本は引越しの時に母の部屋に整理して並べて置いていたのだが、新聞は拡大鏡で毎朝一番に読んでいたのだが、たまに面白いよと言って私が勧めても本は読まなくなっていた。85歳になっていたのでもう無理かなと思っていたら、目の診察で白内障とわかり勧められて手術をしたら また本を読みだした。結局92歳で亡くなるまで拡大鏡と本をいつもそばに置き 読んでいた。いや読んで いるふりをしていたのかな? というのは、 何の本を読んでいるのか聞いても、ストリーを 話してくれても時代物が現代物になったりで話がつながっていなかった。きっとこの頃は 文字を追っているだけで 、頭の中を通過していなかったのだろう。

ここ数年、私は本や映画などに 感動しなくなったなと感じていてた。これも老化のせいにしていたが、図書館で気軽に借りるようになって、また読書の楽しみができてきた。 夜中に目が覚め寝られなくなったときに、読書は重宝する。面白くない本だとすぐ寝てしまう。しかし反対に面白くなると夜更かしをする。最近は 本が面白くて 寝不足になることがよくある。

昨日から読み始めた本も とても面白く、その本を離せなくなり 、夕食後にさっさとベッドに入り 続きを読みだしたら結局最後まで読んでしまった。読み終えて寝たのは午前3時半ごろになっていた。 そして今朝夫に起こされたのが8時だった。こんなことをしていたら生活破綻してしまうんじゃないかと心配になってきた。

この本は帯に全米500万部突破とありベストセラーの本だった。ほぼ私と同じ時代を生きた少女が主人公でまず共鳴してまったのかもしれない。 私は子どもの頃テレビでアメリカのホームドラマや映画を見てアメリカはすごい国だと思い込み、 その頃は豊かで民主的なのがアメリカ そのものだとずっと思って理想化していた。 日本は戦後の貧しさから脱却しようとアメリっを手本のようにしていた。ところがこの本を読んで私が育ってきた日本の片田舎とちっとも変わらなくて、 読み進むにつれてまるっきり自分とオーバーラップしてしまっていた。田舎の大人(親世代)たちは保守的で差別的で、学校で学ぶ民主的な教育との落差に反発ばかり感じていた子ども時代だった。そして、学校でもこの小説の主人公のカイアのような極貧を生きる少女が身近にいた。その頃は社会全体が貧しい時代だった。
しかしサスペンスストーリのようなこの小説の基底を流れるのが、貧困、虐待、差別、家庭崩壊など現代社会が今も解決できない問題として提起されている。今では豊かなアメリカは幻想であってアメリカも同じではあることは理解できる。世界中でいろんな問題が未解決のまま存在している。
久しぶりに500ページを一気に読んだ本だった。

「 ザリガニの鳴くところ」 ディーリア・オーエンズ著



マルチメディアデイジー図書「目と耳から学び楽しむ」について

2016-11-04 08:18:00 | 読書
昨日、枚方市中央図書館主催の「目と耳から学び、楽しむ!」と題するパネルディスカッションに参加してきました。
発達障害のある子どもたちへの読書支援にマルチメディアデイジー図書を実践して使われている方が三人講師として招かれてお話しされました。
私はデイジー図書(視覚障害者のための録音図書)に関わってきていて、マルチメディアデイジー図書についても興味を持っていたので参加してきました。

本は、活字の印刷された紙という固定観念からはすでにダブレットで読書という時代になっていることは自覚していましたが、私はただ紙からパソのコンになっただけという意識しか持っていませんでした。
しかし、読書というのが、本の字を読むというものからパソコンやタブレットを字や挿絵も図、写真も見られて読んでくれ、スピードも字の大きさも調整できて、すごい時代が来ていたんだと素直に受け止めました。

今回の講演をされている方は、なんらかの形で障害がある子どもの教育に関わっている方です。そのなかで、発達障害のために字を読むことが困難な子どもの教育やただ読み書きが不得手な子どもにもにかなりの成果があるという実例を発表されていました。
今のところは著作権法でマルチメデイアデイジー図書もデイジー図書も障害のある人が対象でないと図書館も著作権法があるので作成できません。
個人が作成して誰にでも配布するというわけにはいきません。

話は飛びますが、私は最近昔の本を引っ張り出して読もうと思ったらまず活字が小さいので読書意欲がなくなるということを時々感じています。知らないうちに読書離れしている理由に字の大きさがかなり影響していることに気がつきました。
これがあれば、老化してきた私たちにも役に立つのではないかと思いました。そしてもっと読書が楽しくなるのではないかとも……

今のマルチメディアデイジー図書の現状がよくわからないのですが、決して限定して使用者を狭めることはないと思いました。
今は著作権法で読者を限定せざるをえないのが現状ですが、広く一般に広まって欲しいと思います。そう思うのは老化による身体能力の落ちてきたことを自覚する私だけでしょうか。

これからますます高齢化社会になる世の中にも役に立つと思います。
またこのような読書の楽しみ方を選べるというのもひとつの読書法としてあってもよいのではないかとも思いました。(このことについては、賛否両論が出て来るとは思いますが…)

何か新しいことを知るということは、次へのステップになり私の生きがいなのかもしれませんね。

マルチメディアデイジー図書についてはこちらで詳しい説明がありました。
https://www.jla.or.jp/portals/0/html/lsh/redheel.html

『母の遺産 新聞小説』水村美苗

2016-04-11 20:52:00 | 読書
水村美苗の長編小説『母の遺産 新聞小説』を読みました。

最初、この本の帯を見てびっくりしました。
「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」というもの。
そして、読み始めたらいきなり「通夜の長電話」。姉妹で通夜の日にこんな話をするなんて、何という家族だったんだ。
びっくりの次は呆れてしまい、この小説の俗っぽさに読む気が薄れていました。

しかし、母と6年同居してついこの間一周忌を終えた私としては、この小説の母娘関係にどんどん引き込まれてもいきました。
それに私と母との関係とこの小説とは全く異質ではあるのですが、共通の介護ということで興味が湧き読み進めました。

気がついたら、どんどん話が展開して面白くなってきました。
それはこの小説がいかにも小説らく、波乱に満ちた家族の生涯を展開させて読者を最後まで飽きることなく引っ張っていく内容で構成されているという証明でもあるのでしょう。

それだけなら、私はそれほど興味は持てなかったかもしれません。
でもこの小説は、波乱万丈な家族を描いていますが、この時代を生きた平凡と思える普通の家族を彷彿させる時代背景も読み取れます。

それは、祖母の時代の新聞小説「金色夜叉の貫一お宮」、母の時代の「虚栄と上昇意識」、そして主人公の時代の「夫婦関係の葛藤や現実、姉妹の会話」がその背景の社会と連動してうまく描かれていると思われます。

それは平凡な人生であると思っている読者にも、自分の祖母や母の生きた時代に想いを馳せることができるのでしょう。
それは普通の人生と思っていても、波乱は多少あるものだからです。

御多分に洩れず、祖母、母、自分、娘という私の家族の生きてきた時代を私も知らないうちに想い起こしていました。

この小説は、新聞小説として連載されたということです。
それで副題に「新聞小説」とあり、祖母の時代の新聞小説である『金色夜叉』と重ならせたのは意図的な構成でもあるのでしょう。

「六十六回桜が咲いた日」の最終の結末ですべて理解できます。
5年前、日本で起こった最大の被害をもたらした3月11日の東北日本大震災。
それから3週間たった4月2日の朝、カーテンを開けると「息を呑んで薄い布を引けば白い雲は桜の雲になった。生きている…こうして私は生きている。」(引用)
この章で掲載された『読売新聞』2011年4月2日最後の日ですべて完結です。

私が同居して庭を作っている時、母の部屋から見えるところを指差し「ここに桜の木を一本植えてちょうだい」と言われました。
そのときに植えたしだれ桜が1年前やっと小さいながらも見ごたえのある花を咲かせてくれました。
そして、それから1年後にはより大きくピンクに染め満開となりました。

この一年で母娘の確執や介護中のこと、その他もろもろのことも自然と水に流れてしまったように消えているのに気がつきました。
今はいい思い出ばかりが残されています。
これからも母の生きた時代に想いを馳せ、毎年この桜を眺めることになると思います。

「母の遺産」は私にはこの桜だったのかもしれません。