「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

GWのスタートは久しぶりの蝙蝠谷へ

2008-04-30 23:40:25 | クライミング
もう夏到来かと思うような暑さである。まだタンスの中にはセーターが入っているような状態なので、着る服に困ってしまっている。いよいよ、タンスの中身も整理しないといけないなぁ~。
そして早や恒例のGWが始まった。27日と29日は蝙蝠谷に久しぶりに行った。今年に入って3回目だった。一回目は3月9日に行ったが、その時は見事に復活のムーブを忘れてしまっていた。マスターで取り付き3ピン目が掛けられず、何回も落ちているうちに怖くなって下りてしまい、落ち込んで帰ってしまった。
そんなことがあったせいか、今回は全く蝙蝠には気乗りがしなかったが行ってしまった。やはり未練が少しは残っていたのだろう。27日は取り敢えず、1回目はトップロープで登り、ムーブを確認。ちょっとした足の位置が違うだけでもう落ちてしまう。2回目は意を決してリードでトライ。何とかハング下までザイルを延ばしただけ。それでも満足。
昨日の29日は、少しはましになっていた。ムーブもだいぶ記憶がよみがえり3テンで終了まで2回とも抜けられた。核心のムーブも、確かなものとしての手応えを掴んだ。
後は持久力だけだが、それが復活では一番の課題。気持ち的には一からの出直しなので、終了点へ到達できただけでも嬉しかった。ずいぶんと、長い間復活にかかっているがそんなことは気にならない。登れることが、嬉しいといったレベルである。また蝙蝠谷にも復活出来て楽しく登れる。しかしいったい、いつまで掛るのだろうか。
GW後半は、城山の予定なのでしばらくはまた蝙蝠谷にいけなくなる。しっかり、ムーブを反芻しておかなくては…。
もうすぐ夏山のシーズン。また穂高や尾瀬に行った友人との計画を練るための情報を得るために、本屋さんに入った。ヤマケイJOYの増刊号の尾瀬特集を衝動買いしてしまった。持ってるガイドブックとそう変わらないというのに…。
「今年は、どこに行こうかな?」 じゃ無くて「いけるかな」でした。




このごろ

2008-04-24 23:06:40 | 雑感
昨日は平日の星田へ。もう暑くなって来た。半袖でも汗ばんでしまう。ここのところ忙しくて、水曜日にホシダに行けていなかった。懐かしく温かな水曜メンバーにホッとした。
相変わらずの赤スラッシュだったが、最高点到達が出来た。しかし、行けないのが問題の箇所なのでもう少しは掛るだろう。
今日は雨の中、図書館へ対面読書に行って来た。帰ってからは、朗読の校正をする。人の朗読したものを校正するのは、自分の勉強にもなる。しかし、何でも引き受けてしまう性格はますます忙しくさせてしまう。
そしてもう一つ、テープをCDにするというのを頼まれたのだが、どうしても音楽のCDデッキで聞けない。どうしてだろう。前はすんなり出来たのだが何が原因なのだろう。
脳味噌も、だいぶお疲れのようだ。


優しい緑に包まれて

2008-04-21 22:02:53 | クライミング
2週間振りのホシダは、芽吹いた木々の優しい緑に包まれていた。駐車場に続く木道を歩いていて、この一週間重苦しくのしかかっていたものが、す~っと消えて行くような気持ちになった。なんと、希望に満ち満ちた色なのだろ。
岩場に行こうという気持ちは萎えてしまっていた。この日のホシダはいつもと変わらない賑わいがある。ホシダカップが近づいているせいか活気がある。
いつの間にか桜の季節は終わり、ピンクのツツジが山を彩っていた。ハイカーの姿も多く、クライマーも多い。やはりホシダが好いのは、この自然の中で登れるからだと思う。
ホッとした一日だった。



悲しいクライミング事故(追悼)

2008-04-17 15:22:39 | クライミング
4月13日の日曜日、ショッキングなクライミング事故が雪彦山で起こってしまった。
通夜と昨日の葬儀に参列して、やっと今頃認めざるを得ない現実を認識し、事実を冷静に受け止める気持ちになって来た。

亡くなられたSさんは、ホシダで最初にクライミングを始められたときからのお付き合いで、私のHPやブログを良く見て下さり、どこかに行くたびにメールを下さっていた。
最初の岩場も、私と行った烏帽子岩だった。その時、太陽がいっぱい5.9をすんなり登り、私の登れていなかったジャスティス11aも2回目のトライでRPしてしまった。私は目を丸くして驚くばかりだった。あまりに吃驚して、人にも「ジャスティスを初めての岩場でOSした人がいるんやで」と吹聴したりしていた。ずっと後になるまでジャスティスはOSだと勘違いしていて、つい最近Sさんからその日の2回目のRPだと訂正された。
その後は、しばらく私の駒形、烏帽子のイレブン台のトライに付き合ってくれていた。しかし、どのルートも彼の方が早く登ってしまう有り様だった。唯一、おじいちゃんのどたどた落ち11aのみ彼が苦手で私が先にRPで来たルートだった。
その後彼はパートナーを見つけアルパインにも目覚めて行き、御在所や大台のサマコレにも足を運んではその度にメールで報告を貰っていた。

13日の早朝に、ホシダの仲間のIさんから「ネットのニュースで、雪彦でロープが切れてなくなったという事故があったけれど、それってあのSさんとちゃうかな?」と電話をもらった。半信半疑でネット検索をしてみると「ロープ切れ?ロッククライミングの男性死亡 姫路・雪彦山 」、一週間前にも雪彦へ行ったと言うメールをもらっていたので、あわててメールを受信してみると土曜日の夜遅くの日付で「 明日(日曜日)また 雪彦山にチャレンジしてきます 又報告いたします 」が入っていた。
体中の力が抜けて行くようだった。ロープが切れて…。なぜ? なんで? そんなアホな! 頭の中は疑問がグルグル巡る。彼のクライミングの能力だと、滑落など考えられない。それに、ロープまで切れるとは…。
その日は、朗読の予定が入っていたがとうとう行けなかった。一日中、「なぜ?」という言葉が堂々巡りしていた。

その日の夜、パートナー二人のうち一人の所属山岳会に知り合いのAさんがいるのを思い出し、詳細を知っているかもしれないと思い、電話して詳しく聞くことが出来た。
事故の原因は落石によるロープ切断だという。しかし、そこは右上していく所なので落石でロープが切れるという状況が納得出来なかった。しかし、通夜のときに聞いた畳1枚位の岩とSさんが落ちたというのと結び目から1メートルぐらいでロープが切断と聞いて、状況が想像出来た。岩が落ちるとき下の方が鋭角になっていて足下のロープに当たり切断されたのだろう。
あまりにもありえない偶然、不運に、ただただ驚いてしまった。そしてSさんに何のミスも無かったことに安堵しながらも、こんなことも起こるのがアルパインなのかということを思い知らされた。
この、温故知新というルートには知っている人もかなり登っている。誰の身に起こっても仕方が無かった事故だったのだと思うと、寒気がして来た。
山に行ったりクライミングをしたりすることは、こういうことも、自分にもいつ降り掛かってもおかしくないことだったんだ。私は、今までラッキーだっただけだったのかも知れない。これはSさんが犠牲になって、教えてくれたのだと思えた。

どこで出会ってもいつも誰にでもにこやかなSさんの笑顔が浮かんで来る。「いくさ~ん」と顔を見たとたんに戯けながら近寄って来た人懐っこいSさんにはもう会えない。命ははかないゆえに、ほんとうに大切だと思った。

クライミングとてもとても好きだったSさん、さようなら。ありがとう。天国で、ガンガン登って下さい。そして、私たちを見守っていて下さい。
ご冥福を、お祈りしています。

以下は、P会のSさんからの伝言です。
その折に、パートナーの方(お2人)からお聞きした話を一部お知らせして、これから雪彦山に登攀される方の注意喚起に供したいと思います。
1) 事故現場:逆くの字ルートor温故知新への取り付きルート。三峰終了後の下降路懸垂地点(ビレーステーション)を少し壁に向かって左へ少しトラバースした地点より登るピッチ。
2) 状況:ここよりトップが右上気味に登って行き、途中ハーケンにランニングビレーをとり更に右上したところで落石と共に転落。ロープ2本とも切断され、ビレーステーション・懸垂地点から約40~50mくらい下まで落ちた。
3) 上記の落石について:一人は畳一枚分くらいの大きさ。もう一人は小冷蔵庫大の大きさだったと言っていました。
4) お願い:それほどの大きな岩が落ちたとなれば、岩が抜けた場所は、まだ不安定な状態だと推察されます。このルートを登られる方、不行沢を登られる方は十分ご注意をして頂きたいと思います。
5) この状況をできるだけ多くの方に知っていただき、事故に遭わないように願っております。ホームページ等で内容をお知らせくだされば幸いです。



やっと落ちつく

2008-04-07 22:53:28 | クライミング
一ヶ月近く入院していた母が帰り、心配していた入院ぼけもなく、すんなり元の生活に戻ってホッとした。帰った次の日に草むしりをしている。人間って以外と逞しいのかも知れないと思った。
これでまた私は、山やクライミングへのモチベーションは出て来るのかな? 岩場のシーズンも短い。そろそろ復帰しなくては。満開だった桜も、今日の雨でおしまいになりそう。今年の桜は、ゆっくり見られなかった。昨日行ったホシダはユキヤナギと桜が美しく、山々も新芽で優しい色に変わりつつある。何があろうと自然は毎年繰り返される。
結局人間も含めて、生の営みは単調なのかも知れない。複雑にしないで、さらっと流して受け止めて生きて行くのが自然流かも。あるがまま、無理をしない。母を見ていると、そう思う。入院中の規則正しい生活も、帰ってからの気ままな生活もすんなり受け入れる柔軟さには驚く。
ただ、新しいことには苦手だった。でも出来ないことに落ち込んだりクヨクヨはしない。だんだん、いい性格なってるように思うのは気のせいかしら。
このまま最後までケセラセラで、出来るだけ長生きしてほしいものだ。

ケセラセラは『ウィキペディア(Wikipedia)