「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

あぁ~、また失敗

2005-09-26 00:05:18 | 生活
私は、落ち込んでいる。いや、落ち込むような事をまたやってしまった。
先週の3連休は、槍ヶ岳の北鎌に行く予定だったが、あいにくの台風17号で流れてしまい、金曜日の「秋分の日」は星田、土曜日は芹谷、日曜日はまた星田でフリークライミングの3日間だった。
事件は、3日目の星田の帰りに起こった。この日は2日間の疲れで、一本目のアップから掌が痛く、やる気が起こらない。2本目もテープを巻いて簡単なところをトライしたが、それでも掌が痛い。3本目にはとうとうギブアップ。もうクライミングにはうんざりしていた。
早めに切り上げることにして、夫に車を取りに行ってもらい、車が来るまで道路脇の橋の上でストレッチをしていた。しばらく待っていたら、車が横付けされ、私はザックを積んで乗り込み帰路についた。10分ほど走ったときに、いつもの黒いバッグが無いのに気がついた。すぐにザックだけは積んだが、その時便宜上、足下に置いたバッグを置き去りにしてしまったことを思い出した。「あっ、バッグ忘れた」の私の言葉に「良く探したら…」と夫が言うが、置き去りにしたことを思い出したのだから探す必要はない。
悲壮な声で「戻って!」を繰り返す。橋の上に残置されていることを願いながら戻ったが、橋の上は何もない。念のために全速力で坂道を駆け上がり(こんなに早く走れるとは信じられなかった)、帰る前には入ったピトン小屋のトイレに駆け込むが、やっぱり無い。ショックだった。中にはクレジットカードや免許書なども入ってる。
あわてて小屋に駆け込み、届け物はないかと事情を話して聞いたがないという。バッグに私の携帯も入っているので、小屋の電話を借りて掛けてみた。呼び出し音が続いた後、「この電話は電波が…、かけ直すかそのままお待ち下さい」とコメントが流れた、しばらくそのまま待っていたら、男性の声がした。
橋の上で拾って、警察に届けようと探していたところだという。ホッとした。途中のコンビニで待っていてくれるというので、いそいで引き返した。コンビニで「気ぃ~付けや!」と言われながらバックを受け取った。
家族連れだった。その男性は、弟が同じようにバッグを落としたそうだが、財布の中身を抜き取られて、警察に届けられていたそうだ。
私のバッグはいい人に拾われて、そっくりそのまま帰ってきた。お礼を渡そうとしたが、受け取ってはくれなかった。
つくづく、こんなミスをおかす自分がいやになった。
今日は落ち込んで引きこもっていたら、夕方「松茸ご飯炊いたし取りにおいで」と82歳の母から電話があった。この一人暮らしの母の方がよっぽどしっかりしている。
反省しきりである。

認知症ではないが…

2005-09-21 09:27:41 | 健康
最近物を探していることが多いなぁ~。どこに置いたのか、すっかり忘れてしまっている。小川山では靴下を干していて忘れてきた。買ったばかりだったので、がっかりした。今も、今週末の用意をしていて、ザックカバーを探している。これも新しい物だ。そういえば、夫も最近何でも探しまくっていることが多い。「あんた、○○知らない?」としょっちゅう聞かれるが、大概は自分の部屋から出てくる。
この前の志津川の岩場では、さっきまでビレーに使っていた確保器が、次にビレーをしようと思ったらない。環付きカラビナのみが
ハーネスに残ってる。いつ無くなったのだろうと不思議になってくる。その辺をくまなく探しても見つからない。未だに、消えたとしか思えない。昨日新しいのを購入。列記したのは本当に最近のできごとばかり。
夫婦揃って、「○○どこへ行った? あれ知らない?」を連発していると思うと滑稽でもある。言われた私は「また、ゆうてる!」といやになりながら、自分でも捜し物をしていたりして苦笑してしまう。特に、山に行くときには大騒ぎである。
最近ぼけ症状とか言わなくなって、いつの間にか認知症と呼ばれているが、その兆しかと心配になってくる。しかしネットで物忘れと認知症の違いというのを見つけた。これによると私たち夫婦は「老化(歳のせい)によるもの忘れ」で「痴呆症によるもの忘れ」でないことが判明した。ふ~っ、安心した! えっ、待てよ! 安心なんかできないやん! 「老化(歳のせい)」ガ~ン!!! やっぱり、そうだったんか。がっくり!!

きょうは、これから星田へ忘れたクライミングシューズを取りに行く。この前お酒の試飲会に心奪われ気もそぞろであわてて帰ってしまい忘れてきてしまった。その時も帰りに歩き出して、いやにザックが軽いなぁ~、と思い忘れ物が無いか調べたのに、その夜Tさんからの「クライミングシューズ忘れていたので、ピトン小屋に預けてあります」とメールを貰うまで全く気がついていなかった。
もうすこし、じっくり落ち着いて生活しなくてはと、またまた反省。これは日々忙しすぎるからだと思う。自覚をして、意識しながら生活をしていくことにしよう。

認知症ともの忘れの違いのサイト
http://www.e-65.net/bases01_03.html

豚カツ

2005-09-18 07:57:56 | 生活
昨日はお酒の試飲会に帰りに寄るので、久ぶりに電車と歩きで星田に行ってきた。私市駅からは30-40分の道のりだが、ちょっとしたハイキング気分で気持がいい。天の川沿いに歩いていたら、通る風にもうすでに秋の気配がする。萩の花が咲き誇り、あわてん坊の樹木の葉が色付いているのもある。そして、ハイカーも多かった。
着いたのも遅かったが、帰りも早い。試飲会に行くために2本登りまた歩いて駅に向かう。なんだか落ちつかない一日となってしまった。
試飲会の行われた酒造は、交野市河内森の古い酒蔵で建物もかなり古い。この辺りは立派な旧家ばかりだった。試飲会は初めての経験だったが、やっぱり味と値段は比例すると私の味覚でもはっきり分かった。
帰りは、ほろ酔いでいい気分。そして禁を破って豚カツを食す。久しぶりのアルコールと油は体の隅々まで染み通っていった。
たまにはいいではないかと、自分に言い聞かした。

もう秋

2005-09-14 23:22:10 | クライミング
またぶり返した暑さも今日で終わり、秋になるらしい。テレビの天気予報では「明日から秋」と。そういえば開け放した窓からは冷たい風が入ってきている。もう窓は閉めて寝た方がよさそう。
今日は10日ぶりの平日の星田へ。やはり今日の星田ではまだ、夏だった。昼頃から登りやすくなってきて、クライミングシーズンを実感。
右壁の赤白テープはやっと上まで休まずいけた。前に何でもありでRPしていたが、この夏の間は、休まずに行けたためしはない。そして、いつものメンバーと楽しいひとときだった。
また、前向きな気持になれそうな予感を感じた。不思議なことに掌の痛みは消えていた。いつも星田のガバは掌に豆を作り何本か登ると痛くなってしまうのだが。
岩場でも石灰岩などの尖ったホールドを持つと、調子が悪いときに痛くなるらしい。そういえば、登れた時(RPしたとき)には痛みは忘れているようだ。
今日はいい兆しを感じてきた。浮き沈みも激しいなぁ~。

バーゲンセール

2005-09-09 22:50:41 | 生活
大阪のイトキンのバーゲンに行ってきた。本来私はバーゲンに行くのは嫌いだ。いや、買い物そのものが嫌いなのだ。買い物のために町に出るのも苦手。並ぶのも嫌い。なのに、なぜ行って来たかというと、親戚の結婚式に出なくてはならなくなったので着る洋服が必要となったのだ。
子どもの入学式とか、いざというときの洋服はいままでは持っているもので間に合ってきた。しかし今回も着ようと思っていたものは気がついたら、十七年も前に購入したものだ。着る回数も少なかったので、古びた感じは無いのだが今の自分には少し柄が派手なような気がする。
迷った末に、ちょうど案内のはがきが来ていたバーゲンにちょっと行ってみようかなという気になった次第だ。
私にも多少の世間のしがらみがある。しかし、山に深入りすればするほど、世間から遠ざかっていくのがよく分かった。まずは、洋服のブランドが全く分からない(知らない)。いったい、どんなものがいい(欲しい)のかもよく分かっていない。これが、山の服や道具だったらはっきりした意志が働くのに…。このことを、自覚したときにもう私は普通ではないのかと思ってしまった。山に夢中になって行くにつれて、世間からは遠ざかっていってるようだ。
人は常識があるとか無いとかよく言うが、こういう場合の常識とはいったいどういうことをいうのかは、明確な答えはない。何かにつけて、絶対にこうでなければならないというものも存在しない。物事は視点を変えたら、まるで違うように見えたりする。
たとえば、今回の結婚式に出席するときの服装は、結婚式の出席者の服装に合わせておけば無難に過ごせる。そして居心地もいいものになる。それが、常識という線になる。この場合の結婚式というのも世間のいう、常識的な結婚式をいう。そしてこれらの結婚式は無難に終え、常識的な生活が始まる。
たとえば、山好きのカップルが穂高で結婚式をするとしたら、これはもうすでに山に登れる人しか参加できない。親や親戚、山に登らない友人たちは非常識だと非難するかも知れない。しかし、当人たちは一生の思い出としてはより印象的なものとして残ることになるかもしれない。
また、何にもしないという選択もある。これもこうでなくてはならないと言う人からしたら、非常識なこととなる。
私はこれが常識だと主張する人の非常識さを思うときがよくある。本人がそれで納得しているなら、人に迷惑をかけない限りは非難されることはないはずだ。
世間の一般的な多数の人が行うことを常識とし、それに習えば平和に過ごすことが出来る。しかし、その多数からはみ出したからといって、非常識と批判することは間違いだと思う。
人間は、もっと自由であるべきだと思う。
といいながらも、いろんなしがらみから抜けきれないでもいる。
結局バーゲンでは、ふさわしい洋服は見つからなかった。