「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

あぁ~、雨なのにホシダ

2007-09-30 20:57:54 | クライミング
早朝、雨なのにホシダへのお誘い電話がSさんからあった。まだ行くかどうか分らないと夫が応えている。私は朝から、もう意欲は喪失気味でブログをせっせと書いていた。
お昼頃、「ホシダに行かないか?」という声に「ウン」といつもの生返事。結局ホシダに向かってしまった。まだ雨がやまない。途中、携帯からピトン小屋に電話を入れると「20人位来たはります」という。「ヘェ~、物好きやなぁ~!」と思う。
午後から止むかと期待していたが、夕方まで降っていた。10名程来ていた高校生が帰ったので意外と空いていたが、それでも10名以上いた。Oさんが、「こんな天気で来ているメンバーは、いつも一緒やなぁ~」という。「行くところがないから、ホシダに来る連中」という意味だという。 真意の程は分らないが、常連達はどの程度の雨なら登れるかという事は十分知ってる。
やはり、少し滑り感はあるものの登れた。この日はいきなり左壁の黒赤11aに取り付く。このルートは、ムーブ的には難しくないが、終了まで行くにはかなりのパワーがいるのでいい筋トレになると思う。テンションだらけだが、大分楽になって来たようだ。
漠然と登っていないで、すこし目標を定めてこのルートに取り付いてみようかなと思った。

京都金比羅山にて

2007-09-30 11:32:42 | クライミング
先週、小川山へ行くときにもう少しというところで、車に石が絡んだような「ガラガラ」という音がした。見たが、何も変わった事がなく変だなぁ、とそのときは思っただけだった。しかし、帰りに車のクーラーが効かない。少し涼しくなって来たとはいえ、まったく無しでは暑苦しい。
帰ってから、いつもの京都の修理工場に持って行った。コンプレッサーが折れていたので取り替えとの事で,11万5千円かかった。痛い! 車の維持費は、けっこうなものだ。
昨日、修理が出来上がったので、取りに行くついでに京都の金比羅に行って来た。こんなときぐらいしか、金比羅に行く機会は無くなってしまっている。
どんよりとした、いつ降り出してもおかしくないような空模様だった。お陰で、駐車場である馬場には車は数台停まっているのみで、昼過ぎにも関わらずまだ余裕はあった。
相変わらず金比羅は鬱蒼としているが以前程でもなく、最近手入れされ、登山道やYケンの取り付きなどもすっきりしているので分りやすくなっている。
まず、ゲートロックで3本登る。日本100岩場のルート図を見ても、登ったのがどれに当たるのかがよくわからない。こういうところが、金比羅らしいというか…。ゲートロックでは、中高年のカップルがアルパインの練習をしていた。この日クライミングをしていたのは、この二人だけの静かな金比羅だった。
そのあと、最近開拓されたというTのお目当ての新しい岩場を探しに行くことになった。まだほとんどの人が知らないらしく名前がまだない。星田のIさんの情報だけがたよりの何とも頼りない事で、私はあまり関心がないのだがくっついて行った。
その途中にあるというゲタとう岩場は、クライミングの洗礼を受けたところである。十年程前に山岳会に入って、岩登り講習会に参加して、Yケン尾根を登り、そのままゲタに行って初めてのフリークライミングだった。1996年の5月の事である。(以下に当時の事を書いた文書を引用しておく)そのときには一番簡単なルートが、全く手も足も出なかったということは一生忘れないことだろう。

そんな折り金比羅で初級の岩登り講習会があるというので、ちょこっと好奇心が芽生えた。しかしまだ私のような「おばさん」(自分では決して本気でおばさんだとは認識していないが)が行くところではないと思いこんでいた。入会した折角の特典を放棄すべきでないと、行ってみることにした。何も道具は持っていない。ただ行っただけである。Yケンの取り付きでハーネスを渡される。「えー、私に出来るんですか」なんて白々しくもいいながら言われるまま付けてみた。その時はYケンの頭まで登った。そこで懸垂の練習などを少しして、ザイルにプルージックをして運動靴で何度か登り、次ぎにゲタというフリーの岩場でトップロープで登った。そこも靴は確か最初は運動靴だったような…。全く歯が立たない。今から思えば中央ルートか右ルートで3-4級のところである。これは靴のせいだと思いこみ、誰かのフラットソールを借りたように思う。しかし同じだ。その日はそれでも何が何だか分からないまま帰宅した。1996年の5月のことである。山岳会に入会間もないときである。

それ以来、私はゲタには行っていない。Yケンの頭から頂上までの間の左に入る道がよくわからず、金比羅山の頂上まで行ってしまった。そこから下る道もあるように100岩場には書いてあるが、それも見当たらないので引き返し、むりやり踏みあとらしきところを入ったところ、正規の踏みあとにたどり着き、やっとゲタに着いた。
このゲタは、回りの木が伐採されていたせいか、以前の鬱蒼とした印象は薄れ明るい岩場となっている。十年ぶりの再会に、しばし感激。十年前に私が初めて運動靴で取り付いたルートは、いったいどれだったのだろうかと目で追ってみるが、記憶はぼんやりしていてよみがえらない。それもそうだ、登り出して1メートル程で敗退したのだから仕方がないだろう。
ふと、ここで登ってみたいと思ったが、この日の目的が新しい岩場にあるのを思い出した。そこからまだ進んだところにあるというニューエリアに、あるのかないのか分らない踏みあとを少し下り気味で辿り、トラバース気味に進んで行った。
かなり進んで尾根筋に出てもう少し進んだが、結局はその岩場は見つからなかった。もう日は暮れかけているので、踏みあとが見えなくなると困るので引き返す事にした。
元来た道を戻っているつもりが戻れていなかったようで、鞍馬方面に下りる登山道の途中に出てしまった。
大分、下りすぎていたようだ。その登山道を登ると、金比羅の登山道の分岐に出た。Yケンの頭で少し休憩して、谷筋を下った。暮れかけた時間なのに、途中でボルダーマットを担いだ男性と出会う。他に、誰とも出会わなかっただけに驚いた。仕事帰りに出向いて、課題に取りくむのだろうと納得はしたが…。
山岳会に入ってしばらくは通っていたが、金比羅は普通のフリー岩場にはない独特の雰囲気を醸し出している。
それにしても、ゲタは気になるなぁ~。
やっぱり、もう一度行かんと…。



中秋の名月

2007-09-25 20:03:48 | 雑感
今日は「中秋の名月」というのをTVニュースでやっていたので、先ほどベランダに出てみたら、まんまるお月様が出ていたので思わず写真を撮った。中秋の名月とは旧暦8月15日のことで、今年は9月25日がそれにあたるということだ。
私が子どもの頃は、縁側にススキと祖母が作ってくれたお団子を供えて眺めたものだ。ほんとうに,兎がいると信じていた頃があった。何もかもが、オットリとしていたような…。





連休にまた小川山

2007-09-25 05:07:51 | クライミング
また連休に小川山へ、8月に続いて行ってしまった。8月はがら空きだったが、この連休は駐車場も超満員だった。まるで,お盆のような混雑ぶり。
今回は、めずらしく夫と二人だけだったが,テン場や岩場では知り合いにたくさん出会った。ほんとうにクライミングの世界は狭いと思う。京都岳連の懐かしい人たちも講習で来られていた。
23日は、私たちが前から何度も足を運んでいるリバーサイドへ。下部の「アウトオブバランス」5.9でアップ後、上部に移動。この上部は11台が3本あり、とてもいいルートだと思う。何年か前からかなりの回数「ランデブー」11aに取り付いているのだが、まだ登れていない。
最近の気後れ傾向がここでも出て、ランデブーに自分でヌンチャクを掛けに行く勇気も出ず、「ブンブン」11bをトップロープで取り付く。2ピン目当たりの核心がどうにもならなかった。あとは何回かトライすれば登れそうな気もしないではない。
これではいくらなんでも物足りないので、隣の「ドクフ」11aにヌンチャクを掛けに行った。2ピン目の上の核心が恐くて勇気が出ず、チョンボ棒を上げてもらい掛けてからムーブを探ってみた。右のカチと左のカチをそれぞれ両手で持ち体を上げて、足を横に走っているクラックまで上げられれば終わりなのだが,何度やっても出来ない。そのあとはガバの連続で、少し最後の終了点が細かくまた嫌らしいが、核心程ではない。
も一度、ドクフにトライしたが核心ではやはり全くお手上げ状態。何度もカチを持っては落ちるということを繰り返すうちに、指先が痛くなり下りてしまった。根性なしである。しかし、ここの3本のルートは今の私には難しいが、いつかは登りたいルートでもある。
次の日の23日はあれこれ迷ったあげくに、Tが以前二峰のセレクション終了後に谷筋を下るとき、三峰でとても長くていいルートがあったという。「メルトダウン」11aだという。かなり期待してそこに行ってみると、スラブではないか。スラブのイレブンなど、とても私の実力では無理。トポにはヌンチャク19本と書かれていたが、見た目にはそんなにない。とりあえず行けるところまで行ってみようと言うことでTがリードした。スラブが苦手なTは、途中のランナウトしているところで下りて来たので私が交代して登った。グレード的にはそれほど難しくはないのだろうが、やはりこのランナウトの恐さはただものではない。少し上がったものの,恐怖に負けて下りてしまった。
その後しばらく気持的に萎えてしまい、途中で寄ったソラマメスラブでも登る気力が湧かず、けっこう混雑していたこともありビレーに徹した。
次にソラマメから近いので、二峰の下部に移動することにした。セレクションの取り付き当たりは、かなりの混雑だった。それを横目に右にまくと、めざす11aの「DDT」がある。ここは下部が核心で、ドクフの核心と同じようにカチを持って体を上げて上の少し大きめのカチを掴めばいいのだが、それがまた出来ない。回収と2回登ったが、やはり先が痛くなってしまった。この核心を抜ければ、あとは問題なく登れるだけに残念だ。言い訳になるが、背の高い人だと下から足を上げなくても、上の大カチに届くと思う。そうだとすれば、この核心は簡単なのだろう。
雨がポツリポツリと降り出して来たので終わりにして歩き出したら、本降りになって来た。テントに戻り食事を済ませ、7時過ぎには眠ってしまった。そのあとも、時々目覚めるとテントに当たる雨音がしていたが、明け方からは止んでいたようだ。しかし、空はどんよりとしていた。この分だと岩は濡れているだろうということで、撤収して9時頃に廻り目平を出発して帰路についた。
結局は、どこもRP出来なくて何となく物足りなさは残ったが、この夏の岩場離れからすれば当然の結果だろう。小川山も13回目で何回も通っているうちに、あちらこちらにお手つきルートをたくさん残して来るだけとなってしまっている。岩に触れているだけでも楽しいのだが、次から次へとこれらのお手つきルートを片付けて行ければもっと嬉しいことだろう。
まぁ~、こんなものでしょう。

 駐車場は車の海
 マツムシソウ
 テン場風景

しばらくのお別れ

2007-09-19 21:47:19 | クライミング
今日は、午前中は朗読関係で図書館へ。午後からホシダに向かった。常連のKさんが、脱臼の手術で入院のために今日が最後となった。
この前、目の前で外れて病院に付き添った。途中の消防署に寄って救急車で運ばれたのだが、回りの心配をよそに、本人はケロリとしていてそれからも星田に毎日来ていた(さすがに、もう登ってはいなかったが)。しかし、このことがきっかけで手術をする決心がついたようだ。
ほぼ毎日来ていたKさんにお願いして、平日は相棒がいなくても一人でも気ままに行けるので助かっていた。これからしばらくは、不便だなぁ~と思う。しかし留守の間は,他の常連たちで連携してほぼ毎日誰かが、HCC(Hoshida Climbing Club ホシダ クライミング クラブ)という名前で申し込みをしていることになっている。
今日の星田は2時頃について、約2時間程の間に3便出すが、思うように登れなかった。さすがに連休の疲れが出ていたようだ。
今日はTVでサスケをやっていた。この日のために日々トレーニングに励んでいるのは、鍛えられた体を見ればわかる。これだけ頑張ったから,これだけの成果が…。というような当たり前のような結果は期待出来るとは限らない。しかしそれでも、やり続ける。そのエネルギーは、凄いものだと思った。思わず、ハラハラしながら声援を送ってしまっていた。