「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

天城山と城山

2006-01-30 11:29:05 | クライミング
また、城山へいってしまった。お正月から3回めである。
今回は、いつも城山に行くたびに気になっていた天城山にもやっと登って来た。「日本百名山」「花の百名山」に揚げられていて春の花のシーズンはツアー客でいっぱいになるらしい。今回は単独ということもあり、また平日の冬期ということもあってか入山者も少なく、静かな山を楽しめた。天城山は頂上からの展望はない山だが、万次郎岳から少し行くと展望が開ける。ここからの眺めは美しい。
金曜日の夜、仕事で東京からのTと大仁で待ち合わせて次の土日は城山クライミング。年末から併せて10日行ったことになる。こんなに頻繁に行くにしては、城山は遠すぎる。
なのに行ったのは、連休に登れなかったレインホール11bが気になっていたから…。今度こそ登れるのではという期待があった。土曜日は前日の天城山の疲れがでていたのか、登るにつれて登れなくなってしまう。1本めより2本めの方の登りが悪い。ムーブがめちゃめちゃ。かすかな期待もふっとんでしまい、TRで3本めはムーブを探ってみることにしたが1ピンめから剥がれてしまい、保持すら出来ない。このルートはTRで剥がれると戻るのが非常に困難なルートだ。この日の私は、気分は灰色。なんでこんなところまで来てこんなことをしているのかと、落ち込んでしまった。
だからといってこのまま帰るのはもっと悔しい。次の日の最終日のプレッシャーは並々ならぬものがある。アップは1本のみにしてさっそく登った。ワンテンだった。これでまた、期待が持てた。今度は十分な時間を休憩して1時頃最後のトライ。2ピンめで落ちてしまう。プレッシャーに弱い私らしい。そのまま降りてもう一度やり直す。
これで、もうこのルートには取り付くことがないとふと思った。そう思えば思う程体は固くなる。2ピンめではもう息があがって苦しくなって来た。落ちついて落ちついて、と自分に言い聞かせ深呼吸をし呼吸を整える。そしてムーブをもう一度確認しながら最後の乗っ越しの下のころまで一気に行く。ここで大休止をする。頭は最後のムーブを組み立てていた。やっと心臓の鼓動が収まって、組み立てた通りに体が動いて、やっと登れた。やれやれ。もう城山には当分来ないだろう。終わったという感じだった。やっぱり、怖がって躯が固くなりムーブの手順がふと飛んでしまうからだと思った。なんで、いつもこんなに苦労をするのだろう。
そして、クライミングは気持ちの浮き沈みも激しいものだと改めて思った。
久々の会心のクライミングだった。嬉しい。行ってよかった。

週末クライミングと雪

2006-01-23 10:26:25 | クライミング
週末の天気予報はハズレ。関西は土日とも雪はなかった。かわりに関東方面へと雪雲は流れて行き、ニュースで見る東京は雪国だった。今日は、朝起きたらこちらが窓の外は雪景色。予報は当たらないものだ。
それで土曜日はホシダに向かったのだが、とにかく寒い。午前中だけ日曜日にいつも来ている小学生の父子のみ。かなり気持ち的には萎えてしまっていた。せっかく来たからと、簡単な正面のグレー(9)に取り付くが手が冷たい。ビレー用の滑り止めの付いている軍手をはめたままもう一回登った。これはけっこう滑らなくていいとは思ったが、やはり腕ははった。
そこへ、常連2名参加。結局、寂しい土曜日だった。これ以上の意欲もわかず10dにヌンチャクが掛かっていたので、もう一本何でもありで登ったが気力は湧かず…。
そして日曜日、会のメンバーも参加して賑やかに烏帽子岩へ。この日も、太陽が当たっているときは暖かだが、やっぱり寒い。無名ルート(9)でアップし、ゴールドフィンガー(10a)に取り付いて不覚にも上部で落ちる。
それから、ジャスティス(11a)3回TRで登ったが、核心が未だ自信が持てない。登っていると、下からいろいろアドバイスしてくれるが、混乱するばかり。「もう止める、封印や~」と言いつつ、また登ってしまう。意地かな?
烏帽子岩の右の方に、プリティーカンテ(10c)というルートがある。いつも染みだしていることが多くて、あんまり登っている人がいない。「今日は乾いていて登れるよ」という言葉で、メンバーが取り付いていたので見に行ってみると、かなり苦戦している。下部が全く手も足も出ないようだ。ずっと昔にTRで登り、左から巻いたのを思い出した。ここは右からも左からも巻けるのだが、それは違反らしい。おまけに、カンテのガバが掛けているという。私も、挑戦させてもらったが、全く手も足も出ない。「これが、10c?」あり得な~い。そのあと、TRで北山=林ルート(11c)を登らせてもらったが、こちらの方が小さなカチホールドが、まだかかるだけましだと思った。しかし、さんざん登った最後でのこのルートは辛いものがある。指先が痛い。
帰りに指先の薄皮が剥けて、ピンク色になっていた。その下に、予備の皮がまだあるのを見て一安心。
とにかく、クライミングには酷な寒い週末だった。


東京タワー

2006-01-21 22:25:25 | 読書
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著
この本、ベストセラーらしい。私は全く知らなかった。友人が「読んでみてみ」と手渡してくれた。「この本なに?」「エー、知らんのん?」「外国人の作家みたいやのに、東京タワー? オトン? オカン? どうなってんねんや…」「ごたごたいうてんと、とりあえず読んでみ~!」と言うような訳で、借りて来て読んでしまった。娘に知っているかと聞いてみたら、涙…涙…の本だということで職場の話題になっていたので読んだという。知らなかったのは私くらいなのか?
これは、作家の私小説で子供の頃から現在までのお話。副題の「オカンとボクと、時々、オトン」通り、両親は別居で母親に育てられて、父親は時々登場するがいわゆるマザコンではと思う程の密接な母との結び付きのなかで成長するが、高校から母親とも別れ別府へ、大学で東京。そして最後に東京へ母を迎えて一緒に暮らし、癌で亡くすまでの話し。1963年生まれの著者リリーさん、私とは一回りは歳が違うのだが、何だか共通の経験をしていて近親感を持ってしまった。
それは地方から東京に出て行って、東京というところの捉え方が「なるほど、そうそう」とうなずきながら読んだ。仕事も同じような仕事をしていたせいか、私が東京にいた1970年代の前半もそうだったなぁ~、と懐かしく思いながら読んでいた。私は、結局故郷に帰ってしまったのだが…。
私が東京にいた頃には、東京に夢を見て出て来たデザイナーやカメラマン、漫画家志望などで食べられない人がたくさんいた。しかし消費者金融などという物は無く、みんな汚いアパートで共同生活などしながら肉体労働などのアルバイトをしていた。しかし大方の若者は夢破れ疲れて故郷に帰って行った。私の仲の良かった作家志望の友人は、お金がなくなるとコーラーの瓶を酒屋の裏から盗んで来て、違う店に持って行って1本10円で引き換えていたのを思い出した。それらの人たちが、この本の登場人物と時代は違うがオーバーラップしてきた。
最後に、東京タワーから眺めて「東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた」「故郷から胸をときめかせてやって来た人々。この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない」。これには、「うん、うん、」とうなずいてしまった。
オカンもオトンもその辺にいる平凡な庶民的な親だが、深い愛に溢れている。また子どものときにはひどい親だと思って育っても、大人になれば違った見方で見ることも出来る。なんだか、そのへんにいそうな家族でもある。
この辺に、ベストセラーの秘密がありそう。
歳とともに涙は枯れていくのか、ちなみに私は涙が出なかった。

今日もホシダへ

2006-01-19 19:11:13 | クライミング
あまりに昨日ひどかったので、ホシダにまた行って来た。今日は駐車場には停めずに、少し行ったところの岩船神社の駐車場に置いて、ハイキングコースを片道40分程歩き、山越えをしてクライミングウォールに達する。駐車料金の節約にもなり、ボッカと一石二鳥を狙っている。そして最近少し体重が増加気味なので三鳥めにダイエット効果もないかと密かに思っている。これも継続しないと期待は出来ないなぁ~。
ホシダについたのは、12時過ぎ。なんと二人しかいない。こんなに少ないのは珍しい。ここのところ寒いせいか、常連のKさんは閑古鳥が続いているという。寂しいなぁ~。
ついた頃は日差しもあり、寒さは感じなかったがさすがに午後から曇って来て、粉雪が舞いとても寒かった。最後にはホールドを持つ手の感覚が無くなって来た。やっぱりテン台の終わりは苦労の連続だが、昨日よりは少し体は軽く感じ疲労感が取れて来た。

犬のお話し

2006-01-19 18:42:47 | 野菜作り2022
昨日ホシダに誘ったSさんから、「今1ヶ月の子犬の世話で行けません」という内容のメールで断られた。子犬でも貰ったのかなと思っていたら、そのあと電話があり詳しい事情を聞いて未だに信じられないでいる。
彼女は、六甲の近くに住んでいて暇があればトレーニング代わりに摩耶山に登っているという。そのときに、いつも会う犬のカップルがいて、山に登る彼女を遠目で見送っていたらしい。決して人間に媚びたり、食べ物を要求してくる様子も無く、毅然とした犬らしい。
今月の10日頃もいつもの通り犬に出会った。この日は不思議と犬が近寄ってしばらくついてくるので「おまえも山に登りたいのかい?」などと話しながら歩いていたという。そのうちに、いなくなったらしいが、気になってしかたが無いので、いつも帰りは通り抜けているらしいが、この日は登った道を頂上から引き返したという。するといつも犬に会うとこらへんまで来ると、行くときに会った犬が生まれたばかりの子犬をくわえて目の前に現れ、子犬をSさんの前に置いたらしい。
もしもこの犬が言葉を話せたら「お見かけしたところ優しそうな貴女にこの子を託します。私の今の状況ではこの子は死んでしまいます。私の代わりにこの子を育てて下さい。お願いします。」と言ったかどうかは…??
彼女は、親犬が育てられず子犬を自分に託したのだと思い、子犬を連れて帰り獣医に診察をしてもらって飼うことにしたらしい。私も昔犬を飼っていたことがあり、親犬は生まれたばかりの子犬を、たとえ飼い主でも人間に触らせなかったという経験がある。この経験から、この話が事実だったら凄いことだと思った。信じられます? 
ちなみに、今年は戌年で彼女は戌年生まれということで、ますます驚きだ。