「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

『日本奥地紀行』を読み終えて

2006-11-28 14:52:04 | 読書
『日本奥地紀行』イザベラ・バード著/高梨健吉訳(平凡社)を読み終えた。
明治十一年、47歳のイギリス人女性が、日本人の青年伊藤を伴って東北から北海道へ三ヶ月にわたって旅行したときの紀行文である。まさに、日本が近代文明へと突き進もうとしている時代でのこと、イザベラの旅した東北の農村の姿は、美しい田園風景の影に人々の貧困があった。そんな中でも、都市の近代化は進んでいたりと、農村との格差が驚く程あり、その様子がリアルに描かれている。それは、私の遠い記憶のなかでの農家の姿と生々しく繋がり、よりいっそうリアル感が増した。私の子ども頃は、ほんとうに貧しかった。シラミ、ノミ、ネズミは日常的にいたような記憶もある。読んでいるうちに、オーバーラップして来ることが多い。
なかでも北海道のアイヌの描写は克明で、私のアイヌに対する知識の無さを暴露した。この本から、いろんなことを初めて知った。
見せ物的な好奇心の目に遭いながらも、イザベラ・バードから見た日本人はとても好意的に描いている。貧乏でも、人々は思いやりがあり礼儀正しい。現在の日本人には欠けていってるように思う。文明が人々から、奪って行ったものだろう。反面、このころの農村の人々が、いかに閉塞した中で生きていたかよくわかる。
イザベラ・バードのスケッチもどこかで見たことがあるような記憶を呼び起こす。この本を読んでいるとこの時代にタイムスリップして、あたかも自分が旅行をしているような錯覚すら覚えた。
もっと興味津々だったのが、この本にしょっちゅう出て来る伊藤という通訳の青年。この人物は、いったいその後はどうしたのだろうという疑問からネット検索をしたら、中島京子著『イトウの恋』という本が出ているということだ。この本は、この日本奥地紀行を題材にして、イトウが母親程も年齢の違うイザベラ・バードに恋をしていたという設定の恋愛小説らしい。面白そう!
話しはそれたが、『日本奥地紀行』は久しぶりに面白い本だった。

     

灰谷健次郎の本

2006-11-24 10:06:37 | 読書
ホシダから帰って食事をしていたら、テレビから「灰谷健次郎が死去」というニュースが流れて来た。72歳食道がんということだ。灰谷健次郎と林竹二は、私の子育て(教育)のバイブルだった。
灰谷健次郎の絵本はほとんど小さいときから年齢に応じて買い与えて来た。小さいときには、絵本の読み聞かせをしてから寝るという毎夜の習慣があり、灰谷健次郎の本の中でも子どものお気に入りは『ろくべえまってろよ』だった。穴に落ちたろくべえという犬を子供たちが心配して助け出すという話だ。ヘタウマの長新太の絵もほのぼのとしてとてもいい。
小学校に入った頃には『兎の目』を毎晩連載で読み聞かせた。次は『太陽の子』と…。内容が分かっていたのかは不明だったが、毎晩楽しみにしていたのを今でも覚えている。今は主のいないかつての子ども部屋に残されていた本箱の中の、たくさんの子どもの本に混じって灰谷健次郎の本も残っていた。この『兎の目』のカバー表紙の開けたところに「子どもたちの優しさが、すべての人々の足もとを照らし、未来に向けて歩もうとする太陽のような希望を、どのような不幸な人でも持てるような物語を、いつか、私は書きたかった。灰谷健次郎」と書かれている。この言葉に、灰谷健次郎の本のテーマーが要約されていると私は思う。
私が感動的に読んだのは、『わたしの出会った子どもたち』だった。実際、親になって(なってしまって)子どもの世界に関わるようになって、いろんな子どもを見た。悪い子と烙印を教師にまで押されてしまった子どもは、大人から見放された存在になり行き場を失いますます荒れる。だれも、その子の心の叫びまでは気づかず、生きる希望まで無くして行く。現在では、悪い子だけではない。人とは少し違ってるととか、変わり者とかちょっとしたことで、人はいじめたり排斥したりする。悲しいことだと思う。
灰谷健次郎の著作は、人としてどうあるべきかが、一貫したテーマーで繰り返し書かれている。一言で言えば「思いやり、優しさ」だ。他者を思いやるという簡単そうなことが難しい時代だ。だからこそ、林竹二や灰谷健次郎の本を教育現場の人に関わらす、読んでほしいと思う。

週末はまた雨

2006-11-20 09:05:48 | 生活
土曜日は天気予報では雨は持ちそうだったが、蝙蝠谷でクライミング中にポツポツ来た。蝙蝠谷は被ってるので登れるルートが多いのだが、モチベーションが無くなってしまい、結局復活1本で帰って来た。先週あたりからか肘の辺りが痛み、重いものを持つと響く。不思議なものでクライミング中はほとんど忘れている。日常生活での方が痛みが堪える。アイシングをしたり湿布をしているが、簡単には治らない。
そんな状態なので、復活はテンションだらけで休みながら何とか抜ける。保持力が弱い。しかし、ムーブは着実に繋がって来ている。
蝙蝠谷も、着実に秋色に染まって来ている。紅葉のグラデーションが美しかった。もう今月一杯で、蝙蝠谷も終わりかもしれない。また、復活は来年への課題となりそうだ。イレブン台はそう甘くはない。いつものことだ。
蝙蝠から帰ってから、夕食後は背中に悪寒が走りそのまま寝込んでしまった。風邪をひいたのか…。
幸いにも、日曜日は雨だったので久しぶりにのんびりと本を読んだりして過ごした。今読んでいるのは、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』。この本は、明治十一年イギリス人の女性が東北から北海道へ旅行をした紀行文である。日本が近代文明へと向かい始めたこの時代に、まだまだ文明とは縁遠かった農村の姿が、イギリスの中年女性の目で克明に描かれていてとても興味深い。百年という歳月の流れは、何もかも変えてしまっている。
本を読んでいても、いつの間にかうつらうつらとしてしまう。少し疲れているのかな? 毎年年末には、一年の疲れがどっと出るのか体調を崩すことが多い。私生活でも慌ただしい時期になる、自己管理が必要だ。


母と携帯電話

2006-11-14 20:18:44 | 雑感
私の母は83歳。一人暮らしで頑張っている。私の家から実家まで車で15分位なので時々は見に行ったり、色々用事を頼まれたりしているが、最近電話に出なくて困る。もしかしたら倒れているのではと、慌てて飛んで行くこともしばしばだ。しかし、駆けつけても、今まで何でもないことが多い。
「何で、電話に出ないんや! 心配するやんか」と私がいっても、「電話なんか、鳴ってへんで!」という。母の目の前で、私の携帯で電話をすると、けたたましい音楽とともに電話の音がする。「ほら、鳴ってるやんか」と私。しばらく沈黙。「ほんに、鳴ってるは…」と母。「こんな大きな音が何で聞こえへんねん」(電話機も年寄りのための機種で、けたたましい音楽が聞こえる)。このごろ、こんな会話ばかり。
田舎の家で広いので、台所や寝室に入ると耳の遠くなった母には、茶の間の電話の音が全く聞こえなくなっていたようだ。
それと、病院や買い物に送って行って、「用事が終わったら、電話してね」といって置いて来たりするのだが、最近町から公衆電話が消え、電話をするところもなくなってしまい。人に頼んで、電話を私に掛けて来たりする。私は、知らないおっちゃんからの、電話に無愛想な応対となる。「娘さんですか。お母さんに頼まれまして…」という電話口の声で、いっぺんに事情が飲み込め、平身低頭する。
そんな事情で、母に「かんたん! かんたん!」とテレビコマーシャルで連呼している機種を購入した。昨日、母の元に届けて使い方を説明し、何種類かの短縮ダイヤルも覚えてもらい。何度も電話の出方と掛け方を練習して帰って来た。
夜になって、家事を終わらせ落ちついてから試しに電話してみた。「この電話は、電波がとど来ないか、電源が…」のアナウンスが何度掛けても流れる。しょうがないから、家の電話に掛けると、どうも慌てふためいている様子。「電気がついたり、消えたりするねん。どないしょ」とパニック状態だった。いろいろ、説明してその場は収まった。
今日も、試しに携帯に電話してみた。やっぱり出ない。家の電話で「どないしたん」と言うと寝室に置きっぱなしだという。知り合いに電話番号をもう教えたらしく、「◯◯さんにも、携帯掛らないと言われたわ」という。がっかりする私に「おいおい、分かるようになるわ」と母の返事。
「かんたん! かんたん!」はいったいどういう基準で言うのだろか、と疲れた私はふと思ってしまった。先が思いやられる。


日曜日はまた蝙蝠谷へ

2006-11-13 09:44:28 | クライミング
土曜の雨の名残が行くときにはパラリとして心配していたが、その後の少しの雨にも蝙蝠は大丈夫だった。蝙蝠谷は、もう紅葉が始まりかけていて、この日は寒かった。このぶんだと、冬はダメだろうなぁ~と思った。
しかし、蝙蝠谷はS労山の方たちといつものメンバーで賑わっていた。とはいっても烏帽子駒形の混みようからいったら空いている。
「コーナー」と「もういいでしょう」でアップ後、いよいよ本命の復活にトライ。一本目、初めて終了点まで行けた。テンションかけまくりだったが、とても嬉しかった。2本目はあと最後のガバを掴んで乗っ越すだけだったが、力がつき果て体が重くて持ち上がらなかった。ムーブはだいぶ出来て来たようだ。あと課題はつなげることとヌンチャクを核心でかけること。核心のムーブはまだ確信を持てていない。しかしながら、少しは希望がでて来たかな。
今回は、多分回数が掛るだろうなぁ~と思う。今までイレブン代は、10回前後で登れている。記録をつけていなかったのでよくわからないが、駒形のサイレンとフギアはもう少しかかっていたと思うが、歳の数からは三分の一前後か…。今回は、回数を記録してみることにした。歳の数ほどは覚悟してるといっても、クライミングは大変な道のりだとおもう。