「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

新しい年を迎え

2016-01-05 03:51:00 | 雑感
年末年始が、慌ただしい中で過ぎてしまいました。
今年は母がいない初めてのお正月でした。

母と同居してからの年末年始は、正月を迎える準備にあれこれ追われていました。
今年は喪中でもあるのでサボろうと思っていたのですが、孫たちが来ることもあって全くしないということもできず、気がついたら母がいた時と同じようにやってしまっていました。
一人暮らしだった母と暮らして、この家にみんなが集まってくれることを母はいつもとても喜んでくれていました。
結局は、喜んでくれる家族がいるかぎり同じことを繰り返すことになるのだと思います。
きっと今でも、どこかでそんな様子を見守ってくれているのでしょう。

母に実家に戻って欲しいと言われた時、私は「帰って何するの?」と母に聞くと、母は「私と同じようにしたらいいやん」と言われました。
今では、なるほどと頷ける自分がいます。

母はいつも人が来た時には、自分でできる最大限の接待をしていました。
亡くなったその日も娘や孫が病院に見舞いに来ると私が言うと「みんなでご飯を食べたらいいやん」と母はいいました。私が「そんなことゆうたかて、おばあちゃんはいないやん」と言うと、母は「私がいなくてもかまへんやん、みんなで食べ」と言っていました。私は、そのとき何でこんなに苦しんでいるのにそんな呑気なことを言うんだろうと不思議に思っていました。

家というのはただの建造物ではないのですね。
子供が独立して出て行った後、年老いた親はひっそりと日々を送っています。
それに子供もそれぞれの生活に追われることもあり接点が少なく、親の家に集まることは少なくなりお盆やお正月のような時ぐらいしか家族は集まれなくなります。
しかし、親の家にみんなが集まれるということは、こんど自分が老いた時のことにもつながっていることだったことに気がつきました。
普段は日々平凡に淡々と暮らす家の役割が、いざという時の家族の人として繋がりの拠り所にもなっているんですね。

みんなが来てくれるということは、私にとっても幸せなことであるというのを母に教えてもらいました。
ここで母と同居したのは、動けなくなった母のためだと思っていたのですが、結局は自分のためだったんですね。
一年の始まりには、今までは「今年はあれもしたいこれもしたい」と自分のやりたいことばかり考えていた私ですが、今年は母がいなくなったことでいろいろ考えさせられるお正月となりました。

いつも家を訪れる人に母が話していたお気に入りの浄瑠璃寺で、今年のお正月2日に家族揃って初詣し、そこに母の好きな桜がこの時期めずらしく咲いていたのも偶然かとは思いますが、私の心にも残る一年のスタートとなりました。

母がいなくなって少しばかり自由になり、またやりたいことが出てきましたが、日々の生活も大切にしていきたいと思います。