一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

稲葉八段は、東大王の鶴崎修功に似ている

2019-01-21 01:00:02 | 似ている
20日のNHK杯将棋トーナメントは、豊島将之二冠VS行方尚史八段の一戦。解説は稲葉陽八段だった。
……あれっ!?
稲葉八段は、「東大王」の鶴崎修功に似ていると思った。
鶴崎修功(つるさき・ひさのり)は、1995年4月19日、鳥取県生まれの23歳。東京大学理学部入学・卒業。現在は東京大学大学院数理科学研究科に在籍。
東京大学在学時にTBS系「東大王2016」に出演し、優勝。その翌年レギュラー化された「東大王」では、幅広い知識を武器に、レギュラー解答者を務めている。私も同番組をよく観るが、東大生の圧倒的知識には、感心を通り越して呆れるくらいだ。私のような凡庸な人間とは、脳の構造が違うのだろう。
稲葉八段と鶴崎修功は、アゴは論外として、それ以外のパーツが似ていると思う。声質や話し方もよく似ている。

稲葉八段は2016年度、A級順位戦初参加で名人挑戦の快挙を成し遂げた。2017年度のA級順位戦でも2位につけたが、今年度はここまで2勝5敗と、降級の可能性を残している。A級のレベルの高さを示すものであるが、何とか残留するだろう。
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CIハイツ新春落語会(後編)

2019-01-20 00:23:31 | 落語
神田堅大工町に住む熊五郎は、腕のいい大工。しかし惜しむらくは酒癖が悪い。女房のお光もこらえていたが、熊五郎に女郎の自慢話まで出ては、もうお光も我慢ならぬ。ついに愛想を尽かし、息子の亀坊の手を引いて、家を出ることにした。その際亀坊に、父親は腕のいい大工だったと教えるため、金槌を懐に忍ばせた。
ハタと目が覚めた熊五郎は心を入れ替え、マジメに働く。そんな2年後のある日、熊五郎は道でバッタリ、亀坊に会う。再会をよろこぶ熊五郎は、亀坊に五十銭の小遣いをやり、「今日会ったことはおっかさんには内緒だよ、明日鰻を食おう」と再会を約束して別れた。
この辺の参遊亭遊鈴の語りが微笑ましい。女性なので、子供の声がよく映えるのだ。

その夜、お光と亀坊の家である。お光はきものの仕立て中。遊鈴は手ぬぐいをきものの生地に見立て、縫う仕種をする。ここでも万能手ぬぐいの威力が発揮された。

結局、亀坊はお光に五十銭を見つかってしまう。お光は亀坊を問い詰めるが、父との約束がある亀坊は、口をつぐむのだ。
しかしお光は逆上する。「このおカネをどこから盗んできたんだいッ! お前をこんな子に育てた覚えはないよッ!! そんな子はおっかさんがこの金槌で頭をたたき割ってやるッ! これはおっかさんじゃない、おとっつぁんが叱るんだよッ!!」
「いやだいやだ、わーーーん!!」
この母子のやりとりが、子別れ最大の見せ場である。遊鈴も臨場感たっぷりに演じ、観客からも「ああ……」という嗚咽が漏れる。何と私たちは寄席から、親子の修羅場の世界にワープしてしまったのだ。遊鈴の力量、恐るべしである。
結局亀坊は父との再会を白状し、合点がいったお光は熊五郎との再会を果たし、元の鞘に収まる。遊鈴の下げもうまく決まり、これは正月から泣き笑いの一席となった。

ここでお中入りである。私は妙に喉が渇いたが、席を外せなかった。
トリは仏家シャベル「火事息子」である。私の右の人はこの落語会の常連らしく、シャベルの風貌を右隣の人に話している。
シャベルが登壇した。シャベル、一時は体調不良で痩せたが今はすっかり恢復し、精悍ささえあふれている。
聞けば昨年は教育委員会の招待で、江戸の歴史の講話に落語を絡めた話をやったという。
たしかにシャベルの噺には、江戸講義の趣がある。昨秋、長照寺で聞いた「黄金餅」などはそのいい例で、私たちは落語を愉しみながら、江戸の街並みを学習できるのだ。

神田の質屋の大店「伊勢屋」の若旦那は、火事が大好き。それが高じて、勘当されてしまう。
「今はこの制度はなくなりましたが、むかしは勘当というものがありました。その勘当には2つあって、一つはナイサイ勘当。これは言葉上の軽いものです。
もう一つは久離勘当。これは人別帳から名前を外す、重たいものです。だから久離勘当をした後に復縁を考えようものなら、お役所に莫大なおカネを渡すなどして、大変な労力が要った」
シャベルの講義に、私たちはウンウンと頷く。
「勘当された若旦那は臥煙、いわゆる定火消しになった。旗本は徳川の直参で、彼らは江戸城の守りをしていたんです。
江戸では火事が多かったですな。火事になるってぇと、町人が俺ん家まで燃えろ燃えろと言う。当時の江戸は長屋などの借家住まいが多かったですから、火事で焼けて新しい家が建ったほうが嬉しいんですな」
これは初めて聞いた説だった。
そんなある日、伊勢屋の近所で火事があった。店のものは、右も左も分からず大わらわ。そこ臥煙の若者が現れ、火消しの手助けをする。それが若旦那だったのだ。幸い、火は大事にならずに消える。図らずも若旦那と両親は数年ぶりに再会し、嬉しい対面を果たすのであった。
「勘当から復縁したいんですが、勘当してからでは面倒だから、奉行所には届を出さず、人別帳に札だけ貼る措置を取ってもらうこともあった。これなら復縁の時、この札をはがせはいいだけの話です。この時の札が『札付きのワル』の語源になったと言われています」
シャベルは親子の再会を客観的に描写し、最後はサラリとした形で幕となった。

以上、3本すべての演目が終わり、最後はお三人が高座の脇に登場し、改めて拍手を浴びた。3人に改めてインタビュー。ここはシャベルが司会進行になり、仏家小丸と遊鈴から巧みに言葉を引き出した。
まず、小丸のピンクのメガネは、掛け忘れて高座に上がったものらしい。むろん後で気づいて掛けたわけだが、小丸の「顔が地味だから」の一言が入ったので、私は演出と信じて疑っていなかった。
子別れの母子ケンカについて、遊鈴は語る。「これはね、○○(落語家名)がうまいんですよ。男性が女性を演じているのに、艶っぽい」
いやどうしてどうして、遊鈴の噺も真に迫っていて、引き込まれてしまった。
シャベルは例によって、知り合いに案内を出し、集客に努めたとのこと。シャベルが筆まめなのは、拙宅に複数の案内が来たことからも明らかである。
また、落語ではテーマが重なることを「被る」といって嫌うそうで、今回のようにテーマを絞ってのそれは珍しい、とのことだった。私は、慣例に拘らず、おもしろい噺をしてくれればそれでいいと思う。
なお私個人的には、落語以外の出し物がもう1本あると、なお厚みが出てよかったと思う。
井上会長以下関係者も大満足だったようで、その場で、来春の落語会開催を約束してくれた。
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CIハイツ新春落語会(前編)

2019-01-19 00:34:00 | 落語
金曜夜10時からNHKテレビで始まった「トクサツガガガ」は、何だか知らないが、おもしろかった。来週以降も楽しみである。

   ◇

昨年11月に、将棋ペンクラブ幹事の湯川博士氏から新春落語会の案内をいただいた。湯川氏のおひざ元である和光市の「CIハイツ」で、1月14日に行われるものだ。その後は湯川邸で新年会も行われるとのこと。今年に入ってから封書でもいただき、ここで参加の意を強くした。
だが落語会前日、地図が入っていた封書の紛失に気付き、慌てた。だがネット全盛の時代、目的地の名称が分かれば、何とかなる。
14日は午前11時20分ごろ起床した。私は無職のくせに、生意気にも世間の休日に合わせて寝坊するのだ。
ブランチを摂り、家を出た。池袋から東武東上線に乗り換える。開場は午後1時なので、ここまでは問題ない。
和光市駅に着き、スマホでCIハイツを調べた。が、中古マンションの物件が出てきたりして、よく分からない。どうも私が想像するよりはるかに規模が大きいようだ。
方角の当たりをつけて向かうと、マンション群が見えてきた。これ全体を「CIハイツ」というようだ。落語はこのどこかで行われるのだが、分からない。
マンション群の中心部に管理センターがあったので、聞くことにする。と、私の前にいた実年の男性が、先に聞いてくれた。
「さっきからこの案内ばかりしとるなあ」
と先方がボヤく。私たちと同じ手合いが多いようだ。
管理センターの先にある、2階建ての建物の2階が、落語会場だった。無事に入場したが、開演時間に間があるからか、先着80人に対して四分の入りというところ。将棋ペンクラブ会員の姿はなく、また場違い感を味わった。
私は後方でひっそり聞ければいいのだが、係の人に促され、前のほうに移動する。だが時間が経つにつれ後方に活気が出てきて、振り返らずとも満席になっていることが分かった。
開演の1時半になり、井上会長という男性と、タケムラという女性が現れた。
聞くと、これはCIハイツさわやか会と、すこやかネットの共催によるもので、昨年第1回が開かれた。それが好評だったため、今年も開催の運びとなった、とのことだった。
井上会長「年が明けて2週間が経ちましたが、まだ明けましておめでとうございます、でよろしいかな。月日の経つのは早いもので、今年もアッという間に終わっちゃうんでしょう。
ふだんの生活の中で、笑いがあるのはいいことです。皆さん今日は笑って、健康になりましょう」
今回は「親子の愛」がテーマで、仏家小丸「桃太郎」、参遊亭遊鈴「子別れ」、中入りを挟み、仏家シャベル「火事息子」と演じるとのこと。お囃子担当は将棋ペンクラブの永田氏。
まずは仏家小丸である。高座は舞台袖がないので、後方から登場となる。
「私は仏家シャベルの4番目の弟子になります。でも師匠とは半世紀近い付き合いになります……」
小丸とシャベルの関係はみなが知っているから、ここでクスリと笑いが漏れる。
「チラシのほうには『子丸』と書いてあったんですけど、正しくは『小丸』です。親子の話を演るもんだから、効果的に間違えちゃったのかしら」
スタッフの誤植も、大らかに笑いに変えてしまうのはさすがである。
「顔が地味なんで、メガネを掛けさせていただきます」
と、ピンクのメガネを掛けた。
「このあとに出る参遊亭遊鈴と仏家シャベルは高校の同級生なんです」
これは初耳である。
2人はある寄席でバッタリ会い意気投合、それから湯川氏主催の落語会に、遊鈴がたびたび招ばれるようになったという。
「CIハイツは1980年代に着工されたんですね。そのころ私たちは氷川神社の借家住まいでした。CIハイツは設計が竹中工務店、分譲担当が伊藤忠商事。
私たちは新倉に住んでいますが、そこの新築マンションとCIハイツの中古マンションの価格を調べてみたんですよ。そしたら4LDKでCIハイツの方が1,000万円も高かった。中古マンションですよ!? おばけ物件です。
これは管理が行き届いているからなんでしょうね。ここの宝は『信用』です。だからCIハイツの値は下がらないんですね」
マクラにしては少々長いが、客の中の何割かを占めるであろうCIハイツの住人も、ここまで褒められれば悪い気はすまい。CIハイツの紹介も兼ね、ここは小丸がよく話を練った。
いよいよ「桃太郎」である。ある家庭の父親が、息子に「桃太郎」を話して寝かそうとするが、利発な息子は桃太郎の話の矛盾を片っ端から指摘し、父親を呆れさせる。しかしその矛盾にも訳があり、息子はそのひとつひとつを論破していく。
だが、その話を子守歌代わりに、先に寝てしまったのは父親のほうだった……。
「桃太郎」は昨年秋の長照寺でも小丸が披露したので、もう十八番といえる。
落語はその身ひとつあればどこへ行ってもできるが、扇子と手ぬぐいがあればなおよい。この2つでかなりの物品が表せるからである。小丸は折りたたんだ手ぬぐいを縦位置にし、指をすべらせる。これで子供がスマホをいじる図になる。次は横位置にし、親指で押す仕種をした。今度はゲームボーイに変わった。ここは小丸の小道具の使い方が冴えた一幕だった。
小丸は実に堂々とした話しぶりで、笑いを随所に取る。途中、小丸に一瞬だけ焦りの色が浮かんだ気もするが、これは私の気のせいであろう。
下げもピッタリ決まって、前座としてはこれ以上ないスタートとなった。
2番手は参遊亭遊鈴である。噺は「子別れ」。人情噺の大定番で、将棋の矢倉みたいなものだ。
遊鈴が高座に上がる。
「このたびは昨年に続きお呼びいただきまして、誠にありがとうございます。同じ場所に呼んでいただけることは、とてもありがたいことです」
遊鈴は三遊亭遊三の弟子。「参遊亭」、と表記を変えているのは、何か意味があるのだろうか。
「今日演らせていただくのは『子別れ』です。これは噺が上下と分かれているんですが、上のほうはあまり面白くありません。下の方は『子は鎹(かすがい)』という名で、単独でも演ることがあります。鎹、というのは、金具がこうコの字型になっておりましてね、木材の2つを、こう挟んで繋ぐ役割をします。子供が鎹になって、両親を繋ぎ合わせるんですね。今日は下のほうを演らせていただきます」
遊鈴の噺が始まった。
(つづく)
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18日は王座戦に渡部女流王位が登場!!

2019-01-18 00:08:27 | 男性棋戦
16日のA級順位戦・糸谷哲郎八段と阿久津主税八段の一戦は、糸谷八段の勝ち。阿久津八段は0勝7敗で、降級が決定した。阿久津八段の来期の巻き返しを期待したい。

そして18日は、第67期王座戦一次予選4回戦・佐藤秀司七段と渡部愛女流王位の一戦がある。佐藤七段は今年度9勝12敗。渡部女流王位は男性棋戦4勝4敗。渡部女流王位の勝機は十分すぎるほどにある。もし渡部女流王位が勝てば、男性同一棋戦4連勝の新記録となり、これは大きな勲章となる。
今年度は女流棋戦より男性棋戦のほうが成績がいい渡部女流王位、この点から見ても大いに期待できる。今日は千駄ヶ谷に思いを馳せ、渡部女流王位を応援するつもりである。
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中原五段の順位戦連勝を止めた男

2019-01-17 00:11:43 | 将棋雑記
8日のC級1組順位戦で、藤井聡太七段が富岡英作八段に勝ち、順位戦18連勝を達成した。順位戦の最多連勝は森内俊之六段(当時)が1993年に作った26連勝。その次が1984年・脇謙二五段(当時)の21連勝で、藤井七段の18連勝は5位タイとなる。ただ、順位戦デビューからと定義すれば、1位タイとなる。
その18連勝のもう一人は誰か。言わずと知れた中原誠十六世名人で、1966-67年に達成した。
ではそのあと、中原五段(当時)の連勝を止めた棋士は誰か。
それは木村義徳五段(当時)である。木村現九段は木村義雄十四世名人の三男で、早稲田大学在学中に学生名人、アマ名人を獲得した。また、竜王戦の前身である九段戦にも、アマ特別枠で出場したことがある。
1961年プロデビュー。1963年5月には王座戦で大山康晴名人を破った。今もそうだが、当時、四段が名人と当たることは稀で、しかも名人を破るとは大金星。大きなニュースになったものである。木村十四世名人は「義徳は将来A級八段になる」と語った。
C級1組には、木村五段は1966年、中原五段は1967年に昇級した。
では、木村五段が中原五段の連勝を阻止した将棋を見てみよう。

1967年11月13日
▲五段 中原 誠
△五段 木村義徳

初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲9六歩△9四歩▲6八銀△6二玉▲6六歩△4五歩▲5七銀右△4三銀▲6七銀△7二銀▲7七角△7一玉▲6八玉△5二金左▲7八玉△4四銀▲6五歩(第1図)

両者の顔合わせは2局目。前回はこの年の8月20日にあり、木村五段が後手で三間飛車に振り、激戦を制している。本局は中原五段の雪辱戦だったわけだ。
本局は木村五段が四間飛車に振った。中原五段は11手目に▲6八銀。これは奇妙な手で、普通は▲6八玉である。続く△6二玉にも▲6六歩。私が相手の角道止めず四間飛車に対してよく用いる手だが、本局は相手がすでに△4四歩と突いている。先手はたぶん玉頭位取りの意だろうが、退廃的にも見えて、あまりいい手順には思えない。
しかし中原五段は25手目に▲6五歩。ここの位は急所で、これなら先手に楽しみが多い。

第1図以下の指し手。△5四歩▲5八金右△8二玉▲2五歩△3三角▲3六歩△6二金寄▲6六銀右△5二飛▲6八金寄△8四歩▲7五歩△8三銀▲8六歩△7二金上▲8七玉△9二香▲7八金上△9一玉▲5八飛△8二金▲7六銀△7二金左(第2図)

▲3六歩までと進んで、中原五段は作戦勝ちになった、と見ていたようだ。
木村五段は△6二金寄。これは次に△5二飛と回り、△5五歩からの大捌きを見ている。中原五段はそれに備えて▲6六銀右~▲6八金寄と対抗したが、やや利かされっぽい。ここは▲7五歩や▲8六歩を優先すべきだった。
木村五段は位の重圧から逃れようと、△9二香から穴熊に潜る。これが臨機応変の好判断で、以下△7二金左までとなり、強い戦いができるようになった。

第2図以下の指し手。▲6七金直△2二飛▲2八飛△3五歩▲同歩△同銀▲3四歩△4四角▲5五歩△4六歩▲同歩△同銀▲2四歩(第3図)

木村五段は△2二飛と振り直し、△3五歩から1歩を持つ。
△4六歩に▲同歩は自然なようだが、ここは▲5四歩△4七歩成▲5五銀△7一角▲6四歩と強く攻め合うべきだったようだ。
中原五段は▲2四歩。とりあえず突き捨て、という手だが、次の木村五段の手が好手だった。

第3図以下の指し手。△3二飛▲3八飛△3七歩▲4八飛△4七歩▲5八飛△3四飛▲5六飛△5五銀▲同銀△同角▲同角△同歩▲4六飛△2四飛▲2六歩(第4図)

▲2四歩に挨拶せず、△3二飛が好手だった。これに▲2三歩成なら、△3四飛▲3七歩△2七歩▲同飛△2六歩▲2八飛△3七銀成(参考1図)で後手優勢。

よって中原五段は▲3八飛と辛抱したが、木村五段は△3七歩~△4七歩と飛車をいじめる。
中原五段は▲5六飛と勝負に出たが、木村五段は△5五銀から懸案の捌きに出て、ますます好調だ。
▲2六歩の辛抱に、後手はどう指すか。

第4図以下の指し手。△5六銀▲6一銀△6七銀不成▲同銀△5七角▲4一飛成△8五歩▲5三角△5四飛▲7二銀成△同銀▲8五歩△5三飛▲7一銀(第5図)

△5六銀が俗手の好手。寄せとは駒をハガすことなり、という。これに▲7七金寄は△5七角▲4一飛成に△2六飛で後手よしなので、中原五段は▲6一銀と攻め合う。木村五段は△6七銀不成と金を剥がし、タイム35分で、△5七角と攻めの足掛かりを作った。
そして▲4一飛成に△8五歩が強烈だった。これをA▲同歩は△2六飛が△8六歩を見て厳しい。といってB▲7二銀成△同銀▲7一銀も、△8六歩▲同玉△8五銀!▲同玉△8四飛!!▲同玉△7四金(参考2図)まで、後手が勝つ。

よって中原五段は△2六飛を防いで▲5三角と打ったが、こちらの角は△5四飛で、当たりになってしまった。
▲8五歩には△5三飛とボロッと角を取り、これは木村五段が勝勢になった。

第5図以下の指し手。△8六歩▲同玉△7四歩▲7六金△7五歩▲6六銀△5八角▲7七歩△7六歩▲5七銀△6一金▲8二銀成△同玉▲6六銀△8四歩▲9七玉△6七銀▲8八金△8五歩▲8三歩△同銀▲7五銀△6九角成▲8七角△7八銀打(投了図)
まで、116手で木村五段の勝ち。

△8六歩の叩きが厳しい。以降は木村五段の的確な寄せを見るばかりとなった。
投了図以下▲7八同金は、△同銀不成▲同角△同馬▲8八金△7九角まで。木村五段の強さがまざまざと光った一局となった。
というわけで、中原五段の順位戦連勝は「18」でストップした。しかし中原五段は残りの5戦を全勝し11勝1敗。9勝3敗の木村五段とともに、B級2組に昇級した。その後の中原十六世名人の活躍は、述べるまでもない。
いっぽう木村五段はB級2組でくすぶり、1973年、降級点を取ってしまう。しかし1978年からなぜか順位戦で勝ちだし、連続昇級して、1980年4月、44歳にしてA級八段に昇進した。木村十四世名人の「予言」が当たったのである。
だがA級の家賃は高かったのか、その期は1勝もできずに降級。B級1組でも1期で降級し、ジェットコースター並みの昇降級を演じた。
ちなみに中原五段は、木村五段戦の8日後に、大山名人と第11期棋聖戦本戦準決勝でまみえた。これが両者の記念すべき初対局である。結果は中原五段が勝ち、中原五段はつづく挑戦者決定戦で板谷進六段(当時)にも勝ち、若干20歳にして、初めてのタイトル戦に登場したのであった。
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