一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

CIハイツ新春落語会(後編)

2019-01-20 00:23:31 | 落語
神田堅大工町に住む熊五郎は、腕のいい大工。しかし惜しむらくは酒癖が悪い。女房のお光もこらえていたが、熊五郎に女郎の自慢話まで出ては、もうお光も我慢ならぬ。ついに愛想を尽かし、息子の亀坊の手を引いて、家を出ることにした。その際亀坊に、父親は腕のいい大工だったと教えるため、金槌を懐に忍ばせた。
ハタと目が覚めた熊五郎は心を入れ替え、マジメに働く。そんな2年後のある日、熊五郎は道でバッタリ、亀坊に会う。再会をよろこぶ熊五郎は、亀坊に五十銭の小遣いをやり、「今日会ったことはおっかさんには内緒だよ、明日鰻を食おう」と再会を約束して別れた。
この辺の参遊亭遊鈴の語りが微笑ましい。女性なので、子供の声がよく映えるのだ。

その夜、お光と亀坊の家である。お光はきものの仕立て中。遊鈴は手ぬぐいをきものの生地に見立て、縫う仕種をする。ここでも万能手ぬぐいの威力が発揮された。

結局、亀坊はお光に五十銭を見つかってしまう。お光は亀坊を問い詰めるが、父との約束がある亀坊は、口をつぐむのだ。
しかしお光は逆上する。「このおカネをどこから盗んできたんだいッ! お前をこんな子に育てた覚えはないよッ!! そんな子はおっかさんがこの金槌で頭をたたき割ってやるッ! これはおっかさんじゃない、おとっつぁんが叱るんだよッ!!」
「いやだいやだ、わーーーん!!」
この母子のやりとりが、子別れ最大の見せ場である。遊鈴も臨場感たっぷりに演じ、観客からも「ああ……」という嗚咽が漏れる。何と私たちは寄席から、親子の修羅場の世界にワープしてしまったのだ。遊鈴の力量、恐るべしである。
結局亀坊は父との再会を白状し、合点がいったお光は熊五郎との再会を果たし、元の鞘に収まる。遊鈴の下げもうまく決まり、これは正月から泣き笑いの一席となった。

ここでお中入りである。私は妙に喉が渇いたが、席を外せなかった。
トリは仏家シャベル「火事息子」である。私の右の人はこの落語会の常連らしく、シャベルの風貌を右隣の人に話している。
シャベルが登壇した。シャベル、一時は体調不良で痩せたが今はすっかり恢復し、精悍ささえあふれている。
聞けば昨年は教育委員会の招待で、江戸の歴史の講話に落語を絡めた話をやったという。
たしかにシャベルの噺には、江戸講義の趣がある。昨秋、長照寺で聞いた「黄金餅」などはそのいい例で、私たちは落語を愉しみながら、江戸の街並みを学習できるのだ。

神田の質屋の大店「伊勢屋」の若旦那は、火事が大好き。それが高じて、勘当されてしまう。
「今はこの制度はなくなりましたが、むかしは勘当というものがありました。その勘当には2つあって、一つはナイサイ勘当。これは言葉上の軽いものです。
もう一つは久離勘当。これは人別帳から名前を外す、重たいものです。だから久離勘当をした後に復縁を考えようものなら、お役所に莫大なおカネを渡すなどして、大変な労力が要った」
シャベルの講義に、私たちはウンウンと頷く。
「勘当された若旦那は臥煙、いわゆる定火消しになった。旗本は徳川の直参で、彼らは江戸城の守りをしていたんです。
江戸では火事が多かったですな。火事になるってぇと、町人が俺ん家まで燃えろ燃えろと言う。当時の江戸は長屋などの借家住まいが多かったですから、火事で焼けて新しい家が建ったほうが嬉しいんですな」
これは初めて聞いた説だった。
そんなある日、伊勢屋の近所で火事があった。店のものは、右も左も分からず大わらわ。そこ臥煙の若者が現れ、火消しの手助けをする。それが若旦那だったのだ。幸い、火は大事にならずに消える。図らずも若旦那と両親は数年ぶりに再会し、嬉しい対面を果たすのであった。
「勘当から復縁したいんですが、勘当してからでは面倒だから、奉行所には届を出さず、人別帳に札だけ貼る措置を取ってもらうこともあった。これなら復縁の時、この札をはがせはいいだけの話です。この時の札が『札付きのワル』の語源になったと言われています」
シャベルは親子の再会を客観的に描写し、最後はサラリとした形で幕となった。

以上、3本すべての演目が終わり、最後はお三人が高座の脇に登場し、改めて拍手を浴びた。3人に改めてインタビュー。ここはシャベルが司会進行になり、仏家小丸と遊鈴から巧みに言葉を引き出した。
まず、小丸のピンクのメガネは、掛け忘れて高座に上がったものらしい。むろん後で気づいて掛けたわけだが、小丸の「顔が地味だから」の一言が入ったので、私は演出と信じて疑っていなかった。
子別れの母子ケンカについて、遊鈴は語る。「これはね、○○(落語家名)がうまいんですよ。男性が女性を演じているのに、艶っぽい」
いやどうしてどうして、遊鈴の噺も真に迫っていて、引き込まれてしまった。
シャベルは例によって、知り合いに案内を出し、集客に努めたとのこと。シャベルが筆まめなのは、拙宅に複数の案内が来たことからも明らかである。
また、落語ではテーマが重なることを「被る」といって嫌うそうで、今回のようにテーマを絞ってのそれは珍しい、とのことだった。私は、慣例に拘らず、おもしろい噺をしてくれればそれでいいと思う。
なお私個人的には、落語以外の出し物がもう1本あると、なお厚みが出てよかったと思う。
井上会長以下関係者も大満足だったようで、その場で、来春の落語会開催を約束してくれた。
コメント
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