一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

製品Aの悲劇

2019-01-27 03:01:22 | プライベート
2017年初夏、私の怠惰により、三代続いた工場を潰してしまったのは、我が生涯において最大最悪の痛恨事だった。悔やんでも悔やみ切れない。さらにその後始末においても、私はいまだに心に引っ掛かっている事柄がある。
すなわち在庫の整理である。
我が社は主たる納品先が2社あった。うち1社は、ウチに残る在庫を1ヶ残らず、しかも迅速に引き取ってくれた。オヤジも感激して、工場の隅に残っていた鉄などの材料を、無償で差し上げたものである。
問題はもう1社(T社)のほうで、いつまで経っても引き取ってくれない。オヤジは在庫で儲けよう、の気はなかったから積極的に捌くつもりはなかったが、私は完成品を処分するのは忍びなく、できれば引き取ってほしかった。
2017年秋、T社がようやく在庫を引き取ってくれたが、1種類だけ製品が残ってしまった。それは、ステンレス製のカブトムシ大の製品A(@195円)で、恐ろしく手間のかかるものだった(厳密には、これに加えてフックが3種類と、小さな製品が付随する場合があった)。
なぜこの製品が残ったか。T社は仕入先からの製品を「標準品」「特注品」と分けていた。前者はいわばレギュラーだから、T社も在庫として引き取った。
だが後者はイレギュラー製品とみなし、引き取りを敬遠した。製品Aは後者だったのだ。
そうはいっても、T社で製品Aが捌ければ問題はない。だが製品Aは、かつては毎月3,000ヶ前後出ていたものの、数年前からパッタリ出なくなり、ここ数年は、年間300ヶも注文があればいいほうだった。
しかし毎年確実に出ることは出るわけで、それをT社が在庫として持てばいい話だ。ウチもかつては製品Aを4,000ヶ前後抱えたが、現在は完成品850ヶ、塗装をしていない半製品を1,000ヶまで減らしていた。このくらいの数なら、T社も大した負担にはなるまい。
だが、冒頭の納品先2社には、大きな違いがあった。
前者の会社は自社で商品を製造しており、ウチはその中の1パーツを納品する形だった。つまり、毎月必ずウチの製品を必要としていた。
ところが後者のT社は製品をそのまま得意先に売るので、得意先から注文が来ないと、ウチのような下請けにも、注文を出さなかった。そしてT社は、自社に在庫を極力置かない方針だった。いわゆる「トヨタ方式」である。
だが、製品Aを新たな下請け会社が造るにしても、その工程は気が遠くなるほど面倒である。それなら他社に頼まずとも、ウチの在庫だけで6~7年は軽く持つ。しかも、ウチの製品は品質に絶対の自信があるので、どこの工場より優ると自負していた。
それはT社も理解していたはずだが、在庫として引き取るにも金が要る。担当のM氏は相当上の位の人だったが、だがしかし、彼は195円×850=約17万円の金を、引き出せなかった。

2017年暮れ、ウチは製品Aを処分することになった。12月の上旬に、プレス機は1基残らず処分した。最後の大掃除というわけで、ほかの鉄屑と一緒に、産廃業者に売ることになったのだ。
これ、私の意思が通るなら、製品Aを工場に置いておきたかった。せいぜい段ボール2箱分だから、場所は取らない。だが私の意見など一蹴された。紙ならともかく、鉄材は最終的な処分に困る。それに、会社を畳んだあとにT社から100ヶや200ヶの注文があっても困る、というのがその言い分だった。
それはもっともである。それにそもそも、私はこの会社で、自分の意見が通ったことは一度もなかった。そのくらい、信用も信頼もなかった。その私が製品Aを残せるはずもなかったのである。
鉄屑廃棄の日、精魂込めて造った製品を、鉄屑として一斗缶に投げ込んだ。この時の口惜しさを、何と表現したらいいのだろう。
将棋に譬えれば、駒師が精魂込めて造った将棋駒を、ゴミ箱に捨てるようなものである。本当に、涙が出そうだった。

そして悲劇はこの翌年起こった。
2018年1月、担当M氏から、製品Aの在庫はないかと、連絡が来たのである。今頃になって、得意先から注文が来たのであろう。いや、代替の製造会社から、問い合わせがあったのかもしれない。
私は「去年、在庫を引き取ってくれとさんざんお願いしたじゃないですか!」と嘆いた。こんなもの、仮に100ヶ引き取ったって19,500円である。なんでそのくらいの金が出せなかったのか!
この会社は相当大きな会社だったが、まったく融通が利かなかった。社員の個々のスキルも低く、私に言わせれば二流だった。
そして私は、オヤジに隠れてでも、製品Aを残しておけばよかったと、心底悔やんだ。
この数日後、オヤジが「製品Aがここに2つあったぞ」と言った。それは私が、私物といっしょに、仕事の証として記念に残したものだった。それをオヤジが、めざとく見つけたのだ。私は、これだけは誰にもやれないと言った。
だが担当M氏からは、それからもたびたび、製品Aのことで問い合わせが来た。やはり新たな工場では、製造を難儀しているらしい。こうなることが分かっていただけに、私は忸怩たる思いだった。
そして担当M氏からは、何とこの25日にも、製品Aのことで、問い合わせがあった。今度は、塗装をどうしたらいいか、という初歩的なことだった。
それは2年前にさんざん説明したじゃないですか!  だから一昨年、在庫を引き取ってくれれば良かったんだ!
そして、「私、いまだに就職できないでいます」と白状する自分も情けなかった。
私の人生は、もうグチャグチャである。
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