一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

羽生九段の、タイトル戦初対戦の棋士との戦績

2019-01-26 00:09:34 | データ
羽生善治九段が、初めてタイトル戦でまみえた相手との結果を記してみる。
※は、タイトル戦初登場。

1989年 第2期竜王戦 羽生善治六段 4持3 島朗竜王
1990年 第3期竜王戦 羽生善治竜王 1-4 谷川浩司二冠
1991年 第16期棋王戦 羽生善治前竜王 3-1 南芳一棋王
1992年 第40期王座戦 羽生善治棋王 3-0 福崎文吾王座
1993年 第34期王位戦 羽生善治竜王 4-0 郷田真隆王位
1993年 第6期竜王戦 羽生善治竜王 2-4 佐藤康光七段
1994年 第52期名人戦 羽生善治四冠 4-2 米長邦雄名人
1995年 第20期棋王戦 羽生善治棋王 3-0 森下卓八段
1995年 第66期棋聖戦 羽生善治棋聖 3-0 三浦弘行五段※
1995年 第43期王座戦 羽生善治王座 3-0 森雞二九段
1996年 第21期棋王戦 羽生善治棋王 3-0 高橋道雄九段
1996年 第54期名人戦 羽生善治名人 4-1 森内俊之八段※
1996年 第37期王位戦 羽生善治王位 4-1 深浦康市五段※
1999年 第47期王座戦 羽生善治王座 3-1 丸山忠久八段※
2000年 第48期王座戦 羽生善治王座 3-2 藤井猛竜王
2001年 第26期棋王戦 羽生善治棋王 3-1 久保利明六段※
2001年 第42期王位戦 羽生善治王位 4-0 屋敷伸之九段
2002年 第15期竜王戦 羽生善治竜王 4千3 阿部隆八段※
2003年 第51期王座戦 羽生善治王座 3-2 渡辺明五段※
2008年 第56期王座戦 羽生善治王座 3-0 木村一基八段
2009年 第57期王座戦 羽生善治王座 3-0 山崎隆之七段※
2011年 第52期王位戦 羽生善治二冠 4-3 広瀬章人王位
2012年 第83期棋聖戦 羽生善治棋聖 3-0 中村太地六段※
2013年 第54期王位戦 羽生善治王位 4-1 行方尚史八段※
2014年 第62期王座戦 羽生善治王座 3-2 豊島将之七段
2015年 第63期王座戦 羽生善治王座 3-2 佐藤天彦八段※
2016年 第87期棋聖戦 羽生善治棋聖 3千2 永瀬拓矢六段
2016年 第64期王座戦 羽生善治王座 3-0 糸谷哲郎八段
2017年 第57期棋聖戦 羽生善治棋聖 3-1 斎藤慎太郎七段※
2017年 第58期王位戦 羽生善治王位 1-4 菅井竜也七段※

以上、驚異の27勝3敗。タイトル戦初登場の相手には12勝1敗と、これも圧倒的な成績である。

参考までに、タイトル戦のおもな対戦成績を記しておこう。

羽生九段 16-6 谷川浩司九段
羽生九段 17-4 佐藤康光九段
羽生九段 8-8 森内俊之九段
羽生九段 4-5 渡辺明棋王
羽生九段 5-2 郷田真隆九段
羽生九段 4-2 深浦康市九段
羽生九段 4-1 藤井猛九段
羽生九段 4-1 久保利明王将
羽生九段 4-0 島朗九段
羽生九段 4-0 森下卓九段
羽生九段 4-0 木村一基九段
羽生九段 3-0 南芳一九段
羽生九段 2-1 三浦弘行九段
羽生九段 2-1 広瀬章人竜王
羽生九段 2-1 中村太地七段
羽生九段 2-1 豊島将之二冠
羽生九段 1-2 佐藤天彦名人
羽生九段 1-1 丸山忠久九段
羽生九段 2-0 行方尚史八段
羽生九段 0-1 菅井竜也七段
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最近見た夢(2019.01.10、19、21)

2019-01-25 00:17:31 | 
10日朝に見た夢を記す。
夜、私は自宅の風呂で、体を洗っていた。小さい湯船には成人男性が2人入っており、森安秀光九段がいたような気がする。
なぜか窓が開放されていて、表を見ると、すぐ下に白い犬が座っていた。表は雪景色で、この灯りに近寄ってきたものだろう。
家の前を、暴走族がけたたましい音を立てて走り抜けていった。大量の排気ガスを吸う桃の木は災難だなと思った。
すると家の庭の中やその付近に、大勢の警官隊がいた。近くに暴走族のアジトがあり、そこに検挙に行くらしかった。その中に、長沢まさみもいた。彼女も警察隊の一員である。
オヤジもいた。オヤジは一般からのボランティアで、警官隊のような服を着ていた。私はパジャマ姿だったので、参加はできない。
警察隊が突撃し、無事暴走族を検挙したようだ。
場面変わって、そこはあるデパートの、家具売り場っぽいフロアだった。そこに長沢まさみがいて、オヤジが先日の活動を褒められていた。私は、ブログで新たに考えていたネタを、頭の中で反芻していた。
というところで、何となく目が覚めた。

先週は風邪を引いてしまい、夢も意味不明の憂鬱なものが多かった。

続いて19日の朝に見た夢。私が自分の歯を5つのパーツに分けて、順繰りに噛む。それを再現するが、なかなかうまくいかなかった。
ここで一度目が覚めたが、すぐに寝直した。場面変わって、そこはある山の中腹だった。地名は「高松」だったが、香川県ではなかったと思う。ある建物があって、そこは、ユースホステルを兼ねている古書店だった。でも宿泊所は見えなくて、ほぼ古書店だった。
将棋の本も何冊か置いてあり、池田書店の将棋の本を何冊か買おうと思った。
時刻は夕方。私はこのままユースホステルに泊まるつもり。午後5時の最終バスが出てしまった。だが、乗り遅れた人がいたようだ。
それは女性で、彼女をユースの食堂に連れていったのだが、彼女は頬が泥だらけだった。周りにも、何人か宿泊者がいた。
私は旅行の予定を問うと、彼女は「8月27日から33日まで」と答えた。だが、「8月33日」なんて日はない。
「8月32日は9月1日の間違いじゃないの?」
と聞くと、彼女は9月という月があることにビックリしていた。
彼女は夕食代の70円がないとのことだったので、私が出そうとすると、別の女性旅行者がすでに出していた。
……というところで、目が覚めた。もっと寝続けることもできたのだが、あまり寝坊もできない。この夢の続きは見られないだろうなと思った。

そして21日の朝に見た夢。
テレビで「東大王」をやっていて、たぶん私はそれを観ていたのだと思うが、なかなかクイズに進まず、イライラした。
実は以前も人気番組の似たような夢を見たことがあるのだが、やはり進行が滞り、イライラしたものだ。
これは道理で、たとえばクイズなら、夢の中でもまともな設問を用意せねばならない。だけど私自身にそんな知識はないから、無意識のうちに、クイズに突入することを避けているのだ。
21日は、結局そこで目が覚めてしまった。

今回分はここまでにしておこう。
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湯川邸新年会(後編)

2019-01-24 00:06:31 | 落語
私はそのまま、皆さんの話を楽しんでいた。
蝶谷氏といえば酒で、将棋ペン倶楽部や将棋専門誌にもその類のエッセイがあった。今回もその一端が披露される。たとえば、日本酒の熱さの中に「人肌燗」というのがあるが、その下は何というか。これを「日向燗(ひなたかん)」というらしい。温度は5度ごとに呼び名が変わるそうで、蝶谷氏はそれを諳んじる。
ほかにもいい日本酒を出す店の見分け方など、ちょっとした講義を聴いているようである。武者野勝巳七段、Iri氏、私は、湯川邸へ来るさい道に迷ったことを白状する。しかしIri氏は登山の経験があるとかで、まったく危機感はなかったらしい。
だがそのIri氏もかつて、登山中に友人とはぐれ、ひと騒動になったことがあるそうだ。
Iri氏には詩吟のリクエストが飛ぶが、それは後のお楽しみのようだ。
テーブルには揚げたてのエビフライが並ぶ。ボールには山盛りの千切りキャベツとミニトマトである。
エビフライはサクサクして、美味い。これがどんどん出てくる。食べても食べても減らないどころか、逆に増えてくる。恵子さんはどれだけ揚げているのだ?
Iri氏は料理人もしていたことがあるそうで、料理が残るのがイヤらしい。それで私にエビフライを勧めてくれるのだが、私のお腹も膨れてきた。
「それにしてもこの家はいい雰囲気ですねえ。2階はあるんですか?」
私は湯川氏に聞く。
「もちろんあるよ。2階が主生活場かな。ここは生活感ないでしょ?」
「ああそうですか。いえウチも昔は平屋だったもので……。釘は使ってるんですか」
「それはもちろん使ってるよ」
「ああそうですか。いや、ウチは使ってないもので……」
なんだか、妙な会話になってしまった。
そういえば湯川氏は4年半前、「開運!なんでも鑑定団」に小笠原桑の座卓と碁笥を出品したことがある。
「ふたつで450万だったかな」
あれはお宝を預けて、1ヶ月くらい戻ってこなかったらしい。
ここらで参遊亭遊鈴さんら3人が退席。遊鈴さんの噺がまた聞ければうれしい。
食べ物はまだ出てくる。恵子さんは乾杯の時以外は、台所につきっきりだ。
岡松さんは、元は別の名前を命名される予定だったが、同時期に生まれた親戚がちょうどその名前を使ってしまい、現在の名前になったそうだ。ここで左奥の男性も退席した。私もすぐに帰れる用意はしていないといけない。
「東映フライヤーズ」とかいう球団名が聞こえる。昔のプロ野球球団の話になったらしい。「ぶすじま」と蝶谷初男氏が言う。「毒の島と書いて毒島」。
私は今こそプロ野球は見なくなったが、昔は夢中になってナイター中継を観たものだ。
「毒島章一ですね。三塁打王の。三塁打通算106本」
つい私が口を滑らすと、みなが「えっ!?」と私を見た。「こいつは意外なところから声が出たねえ」
「白仁天、大杉、尾崎……。東映にはいっぱいスターがいましたよねえ」
「ええー? 何で知ってんの? アンタ昭和10年代生まれ?」
「ハイ」
私はなおも、「トンボ……高橋ユニオンズ……トンボには佐々木信也がいましたね」と、薄い知識をひけらかす(後の調べで、トンボユニオンズと高橋ユニオンズは同チーム。佐々木信也は高橋名義の時に入団したことが分かった)。
これには永田氏がすっかりハシャイでしまい、子供のころ好きだった歌手を聞かれて焦ってしまった。私の年代だと、花の中3トリオからピンクレディー、になってしまう。
国鉄スワローズ、を永田氏が知らなかったのは意外だった。
「ええ国鉄って、今のJRでしょ? それが球団持ってたんですか」
私たちは、そうです、と答えるよりない。
「昔は映画会社がプロ野球球団を持ってたし、その時代時代にカネがある業種がそうなってたよね」
と湯川氏が言った。
しばらく経って、私は蝶谷氏に改めて御礼を言う。私が「将棋ペン倶楽部」への投稿を始めたのは、ある年に会費を納めた時、振替用紙の通信欄に「私も投稿してみようかな」と書いたら、後日蝶谷氏から、原稿募集のハガキが来たことによる。当時は一般会員の投稿も少なく、幹事だった蝶谷氏は、新たな書き手の発掘に必死だったのだ。
だが蝶谷氏は記憶にないふうだった。まあ、送った側は忘却した、というケースはよくある。
「蝶谷先生は、女流名人戦の観戦記はですます調、それ以外はである調でしたよね」
「うんそうだね。文体は3つ用意してた」
「あ、そうなんですか」
さすがに専門家は違う。
「うん。だけど女流名人戦の時も、番勝負の時はである調だったね」
本当はこういう話をもっと拝聴したいのだが、こういう場ではそうもいかぬ。
奥様は日本酒の何かの免状を持っているらしいのだが、それが、セミナーを受講すると、誰でも獲れる仕組みなのだという。蝶谷氏はその体質が気に入らないという。
「ところがその免状を獲って店内に飾ってあると、何も知らない客は、その店がいい酒を出すと思うじゃない。大間違いだよね」
酒に一家言ある蝶谷氏らしい警鐘だった。
私は永田氏にずいぶん気に入られたようで、名刺をいただく。私も返したいところだが、情けないことに無職の身である。前の工場の時のものを渡させていただいた。
時刻は8時を過ぎたろうか。失礼することにすると、永田氏が表まで見送りに出てくれた。
最近他者との交流がなかったので、今回はいいリフレッシュができた。湯川氏夫妻、および出席者の方に、改めて御礼を申し上げたい。
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湯川邸新年会(前編)

2019-01-23 01:03:17 | 落語
CIハイツ新春落語会のあとは、湯川邸で新年会がある。しかし将棋ペンクラブ一般会員の参加は少なそうで、私は若干躊躇している。
中二階の踊り場にいると、恵子さんが現れた。私の参加の是非を問うと、恵子さんは私に委ねるふうだった。私は迷ったが、参加することにした。
辺りを見ると初老の男性がおり、それが武者野勝巳七段だった。そこに、行きでいっしょになった男性が加わる。湯川氏一行は出発までまだまだ時間がかかるらしい。お二方は新年会の参加組で、散歩も兼ねて湯川邸まで歩いていくとのこと。それで、私もお供に加わらせていただいた。
男性氏は「Iriyamaです」と武者野七段に挨拶した。ただ、武者野七段を棋士とは認識していなかったようだ。
「将棋は引退しました。相撲の親方みたいなもんです」
和光市駅前まで来た。湯川邸は長照寺方面なので路線バスが通じているが、私たちは初志貫徹で、そのまま歩いていく。私も前回、長照寺まで歩いていったので、道は分かっている。
だが高速道路入口の手前まで来て、前回は左折したのだが、そのあとぐるっと戻った記憶もあり、私は「ここはまっすぐ行きましょう」とお二人を促した。お二人も湯川邸の常連で、異論はないようだった。
だがすぐに、道の両隣が高層マンション群になった。こんな光景は見たことがなく、明らかに道を間違えている。しかしお二人は堂々と歩を進めている。これは……?
まさかと思うが、3人が3人とも、誰かが正しい道に導いてくれている、と考えているのだろうか?
だとしたらこれ、迷子になっているぞ!?
Iri氏が、道行く人に道を聞いた。やはり、Iri氏も間違いを認識していたのだ。
私たちは道を左側に軌道修正し、その後も何人かに道を尋ねる。しばらく行くと、長照寺に出た。これで知っている道に出た。私たちはほっと一息である。
湯川邸は、とある公園の反対側にあった。純和風の佇まいで、味がある。中からは湯川夫妻が出迎えてくれた。
「あんまり遅いんで、ケータイに連絡を入れたんだよ」
と湯川氏。しかしオフにしていたりして、誰も出なかったのだ。私たち3人は、似た者同士だったかもしれない。
すでに新年会の用意はできていて、私たち3人はテーブルのいちばん奥に配された。
予想通り、中も純和風で、古民家の風情さえ漂う。なおこれは最大級の賛辞で、今は古民家に住みたくても住めない時代である。
湯川氏がみなに、私を紹介してくれた。私のみが新参者だったので、これはありがたかった。
Iri氏は詩吟界の重鎮で、前回の「おくのほそ道」でも参戦されていた。私はすっかり記憶が飛んでいた。
そのIri氏が私に、「あの女性はショーヤさん?」と聞く。ちょうや、という男性観戦記者は存じているので、「ちょうやです」と答えておく。……うん? ということは、蝶谷初男氏も来ているのだろうか?
「どういう字書くの?」
「蝶ツガイに谷で」
しばらくして、蝶谷氏を確認した。私が「将棋ペン倶楽部」に投稿したキッカケは、蝶谷氏からの激励のハガキだった。今回は図らずも、感激?の対面となったわけだ。
では改めて、席の配置を記しておこう。

   女性 年配の男性 永田 蝶谷 小川 蝶谷夫人
岡松
恵子                           武者野
   博士 遊鈴の女友達 遊鈴 Iriyama 一公

永田氏は将棋ペンクラブ大賞贈呈式などで音楽を担当している。小川さんは表紙担当のデザイナー。岡松さんはフォトグラファーで、幹事。いずれも湯川夫妻と懇意にしており、こうしてみると改めて「将棋ペン倶楽部」は、湯川氏あってのものだと思う。
遊鈴さんの女友達は、高校の同窓生。ということは、湯川氏も合わせて、同窓生が3人揃ったことになる。
テーブルには美味しそうな料理が並ぶ。お赤飯以外は恵子さんのお手製で、なかなか手が込んでいる。
とりあえず乾杯。私は酒は飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
恵子さんはすぐに台所に立つ。アシストは岡松さんである。これから続々と料理が出てくるようだ。
蝶谷夫人から反時計回りに自己紹介を行っていくが、脱線続きでなかなか先に進まない。だけどそれが楽しいのだ。
卵焼きが出てきた。岡松さんがみなに取り分けていく。私も頬張るが、出汁が利いていて、美味だ。分かった。恵子さんは料理好きなのだ。これは湯川氏、いい伴侶を得たものだ。ただ、それがどんなに素晴らしいことか、湯川氏当人は気付いていないに違いない。
「今日はみんなありがとう」
と湯川氏。「今年もCIハイツで落語ができて、今年はひとつのテーマに絞ることもやってみたんだけれども、それも成功に終わってよかった。また来年もやれればうれしい」
「来年もやるって関係者が言ってなかった?」
と誰かが言う。これは確認するまでもなく、来年もやるだろう。
「おおそうか。今回も恵子とかよく練習してたけど、マクラ、マクラの部分は工夫しろ、と言ってきたんだ。俺たちゃあアマチュアなんだから、逆に言えばマクラを大切にしなきゃいけねぇんだよ」
そういえば、出演のお三方とも、マクラの部分はとくに面白かった気がする。
武者野七段は、焼酎の氷割りでチビチビやっている。その武者野七段に、羽生善治九段復冠の可能性を聞いてみる。
「それはすぐ獲るでしょう」
即答した。「あと10数期は獲るでしょう」
タイトルは獲るが、それでも10数期なのか――。ちょっとさみしい気もした。
「あ、先生は大山(康晴)先生と指したことありますよね? たしか1981年あたりの王位戦リーグで」
「うん、ある」
「どうでしたか? 大山先生のカンジは」
「すごかった。受けの先生かと思ったんだけどね、終盤で猛然と攻めてこられて、ビックリした」
こういう昔話を聞くのは楽しい。

「遊鈴さん、遊鈴さんの参遊亭は、なぜ数字の三じゃないんです?」
と、今度は遊鈴さんに聞く。
「アマチュアなんで」
アマチュアが「三遊亭」を名乗るのはおこがましい(制度上無理?)。そこで、一部の字を変えているのだった。そういえばこれ、以前もどこかで聞いた気がする。
(つづく)
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伊藤女流二段、負ける

2019-01-22 00:13:35 | 女流棋戦
20日、里見香奈女流名人VS伊藤沙恵女流二段の第45期女流名人戦五番勝負が開幕した。ここまで里見女流名人は9連覇中。伊藤女流二段は前期に続いて2度目の登場である。両者のタイトル戦はこれが5度目で、過去4回はすべて里見女流名人が勝っている。対戦成績も里見女流名人の11勝3敗で、本シリーズ、どこからどう見ても里見女流名人の有利は明らかだ。しかし伊藤女流二段は、絶好の雪辱のチャンスである。
本局、伊藤女流二段が先手となり作戦が注目されたが、▲2六歩△3四歩に▲4八銀、だった。△5四歩に▲4六歩。伊藤女流二段は銀冠模様の力戦好き、というイメージがあるが、これも相当な力将棋を想起させる。
もっともこの指し方は、先日のAbemaTVのお好み棋戦で、当の伊藤女流二段が里見女流四冠に指したものらしい。また男性棋戦でも実戦例があるという。
だが37手目▲7八玉までと進んでみて、どうだろう。

先手は4筋の位は取ったものの後手の角筋が生きているし、何より後手の5筋の位が堂々としていて、先手の金銀が分裂してしまっている。3手目から工夫した割には、主張点がないように思えるのだ。少なくとも、これが先手の予定とは思えなかった。
ちなみに、第1図以降をアマ同士で指し継げば、八割方後手が勝つ。いやプロ同士だって、ほとんど後手が勝つのではないか?
果たして第1図からは里見女流名人が華麗に攻め、△4六飛▲同金に△3七銀の飛車金両取り。プロ同士でも珍しい局面が現れた。気分的にはもう、後手勝勢である。

伊藤女流二段はたまらず▲9五歩と突く(第2図)。前期女流王座戦での清水市代女流六段にこの手があったが、居飛車の切り札といえる。
しかしこの▲9五歩も、中原誠名人が大山康晴十五世名人相手に指せば急所の攻めに見えるのに、清水女流六段や伊藤女流二段が指すと、苦し紛れの手に見えてしまうから不思議だ。
ここで里見女流名人が△8五桂と跳んだのが、角取りかつ玉の懐を拡げて一石二鳥の好手だった。これで里見女流名人の勝ちが決まったのである。
だがなんで先手の角は、7七に上がっていたのか。
AbemaTV棋戦では▲7七角~▲8六角と活用したのだが、本局はさらによくしようと、▲7七角と上がってから別の手を指したのだ。だが本局に限っては、玉の可動領域を拡げるより、桂跳ねの角当たりのデメリットの方が大きく出てしまった。
最後は里見女流名人の華麗な寄せを見るのみとなった。
伊藤女流二段は里見女流名人以外の女流棋士に滅法強く、通算勝率は.750を越えている。これは里見女流名人のそれを上回る。伊藤女流二段は奨励会を1級で退会したが、現在有段の力があるのは明白で、事実男性棋戦では、今年度5勝4敗と勝ち越しているのだ。里見女流名人との棋力の差もそこまでないはずなのに、なんでこんなに、里見女流名人に負け続けるのだろう。
伊藤女流二段はどうも、里見女流名人を意識し過ぎているのではないだろうか。
こういう時私が考える対処法は明快で、里見女流名人の敗局を並べ、そのイメージを刷り込んでしまう。
里見さんだって女流棋士の一人にすぎない、と肩の力を抜いて指せば、伊藤女流二段にも勝ち星が転がり込んてくると思うのだが、どうだろう。
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