一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

永瀬六段の「角不成」について思うこと

2015-03-28 15:47:32 | 将棋雑考
先週21日(土)に行われた電王戦第2局、永瀬拓矢六段とseleneとの一局は、永瀬六段の反則勝ち。その引き金になった「△2七同角不成」に触れておこう。
私の記憶違いがあるかもしれないが、中原誠十六世名人が修業時代のとき、練習対局で「▲2二角不成」と指した。それを見た高柳敏夫名誉九段が、「その手に何の意味があるのか」と、たしなめたという。
高柳名誉九段の見解に私は賛同する。「成」も「不成」も相手は取る一手。ならばどっちでもいいじゃないか、とも思えるが、取られる刹那にもその駒を、最大の機能に昇華させてやるのが、対局者のたしなみだと思うのだ。
「どっちでもいい派」の反論として、「秒読みの将棋は、成る手間を少しでも省いて時間を稼ぐため」というのがある。しかしその「成る手間」さえ惜しむくらい追い詰められているなら、どっちみちその将棋は負ける。見苦しくないよう余裕を持って指せ、といいたい。
本局永瀬六段は、角不成を指して、少しでもコンピューターに考えさせたかった、と述べたが、これは本心ではないだろう。終了局面で永瀬六段の持ち時間は1時間33分あり、十分余裕があったのだから。
不思議なのは、この「角不成」について、永瀬六段を賛辞する棋士の声が多かったこと。すなわち、対局でも実質的に勝ち、かつソフトのバグを指摘(暴露)したことで、完勝だったというのだ。
私はこの思想に危険なものを感じる。何事も「過ぎる」はよくない。ソフトにバグがあったなら、対局後に指摘すればよかったのではないか。
ルール上に問題がなければ何を指してもよい、という意見もあろうが、私はそうは思わない。やはりプロには最高の手を、美しい記譜を紡いでほしいと願うのだ。
確かにコンピューター用の指し方はあるのだろう。しかし根本の部分(成る、成らない)は変えてほしくなかった。棋士らしく、堂々と成ってほしかった。
今回永瀬六段が「角不成」を指したことで、内容は勝ちだったのに、「反則勝ち」のみがクローズアップされてしまった。これは残念なことだった。

これで電王戦はプロの2勝。棋士対コンピューターソフトはすでに勝負づけが済んでいる、と私は見ているので、むしろこの結果のほうが、私には衝撃であった。
コメント (7)
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