一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

沖縄旅行2013・9「鳩間へ」

2013-09-19 00:19:13 | 旅行記・沖縄編
「でも大丈夫です」
「へっ?」
「たまたま男性部屋が一部屋空きましたから」
ここで追い出されたら面倒なことになるところだったが、何とか事なきを得た。
フロントでシステムを案内され、2階の室内に入る。室内は横に数列、縦に2段、ボックス型に区切られている。それぞれの壁は薄く、ベニヤ板のようだ。「各部屋」の天井は意外に高いが、そのぶん上段も高くなっている。私は上段だったので、ハシゴで登る。カーテンがドア代わりだ。
部屋にはベッドが置かれていたが、スペースはそれだけだ。それでも棚がいくつかあり、荷物は置ける。寝るだけだからこれで十分である(2,000円)。
コンセントにスマホを挿し、将棋サイトをサーフィンする。某掲示板に、きょうの朝日杯将棋オープン戦で、中井広恵女流六段が安西勝一六段に勝ったと書かれていた。安西六段は武市三郎六段の誤りだろうが、中井女流六段が勝った、とはどういうことだろう。あの局面から中井女流六段が勝つわけがない。相当迷ったが、書き込み者に、「釣りですか?」と返答した。
…が、しばらくして棋譜を確認すると、何と中井女流六段が逆転勝ちしていた。▲2二歩成の数手後、武市六段の▲6五馬が、ココセ級の大悪手。△9九角成の鬼手から、たちまち寄せられてしまった。
将棋は終盤で何が起こるか分からないが、逆転の目がある将棋と、ない将棋がある。本局は後者と思ったのだが、いやはや、将棋は恐ろしい。私は掲示板に、お詫びのコメントを送った。
1階フロント前が談話室になっているが、こんなに頭頂部が薄くなっては、自己嫌悪で、女性との出会いを求める気にもならない。私は大人しく、シャワーを浴びに行った。
きょうもなんだか疲れた。日付が変わったのを確認し、ブログの投稿ボタンを押すと、そのまま寝た。

翌16日(金)。後半の3日間は、石垣島を起点に、各離島を回るつもりである。
今朝はバスを使って、港まで戻るつもり。バス停は宿のすぐ前である。バスの時間は各時26分と56分、と宿の案内で確かめておいた。
8時14分ごろ、サンエー前バス停に着いた。ところが、客待ちがひとりもいない。怪訝に思い時刻を確認すると、8時台は11分と56分だった。
あっ、そうなのか!! じゃあ、いまバスが出たばかりじゃないか!!
いまさら宿には戻れないので、そのまま港まで歩くことにする。バス代が浮いたと思えば腹も立たないが、己の迂闊さには呆れるばかりだ。
石垣港ターミナルに着く。まず買うのは高速船の周遊券だ。安栄観光と八重山観光フェリーが同じ機能の切符を販売しており、安栄観光のそれは「アイランドホッピングパス」という。3日~5日間用があり、3日間用は竹富島、西表島、小浜島、黒島、鳩間島への高速船に乗り降り自由で4,500円という安さである(波照間航路を加えると、8,000円)。
しかも安栄観光と八重山観光フェリーは相互利用が可能で、利用者にはすこぶる便利だ。まったく、あっちこっちに移動したい私にはうってつけの商品で、涙が出るほどである。
早速安栄観光のカウンターに向かうが、Edyで払おうとしたら残額不足といわれ、指定された場所でチャージをしようとしたら、1万円札でお釣りが出ない。その場所では両替も叶わず、結局現金で購入した。
さて石垣島初日は、まず鳩間島に行く。このブログではもう何度も書いてきたが、ここ数年は、鳩間島観光が恒例になっている。最近こそメジャーになってきたけれど、まだ俗世間化はされておらず、すべてを忘れてのんびりするのに、これほど適した島はない。
島への便も、10年近く前までは貨客船が週に3回出るだけで、旅行者はそこに便乗させてもらう寂しいものだったが、テレビやマンガでたびたび鳩間島が舞台になるや知名度が上がり、高速船が通じるようになった。
現在は1日3本の高速船が走り、日帰り旅行すら可能になった。
9時30分の高速船に乗るが、その前に港構内で、ジューシーおにぎり(かやくごはん)のセットを買う。おにぎり2ヶにシューマイ、鶏の唐揚げがついて130円とは、異常な安さだ。沖縄は本当に物価が安い。
高速船に乗る。鳩間島往復は高速船利用で4,390円。これだけで、アイランドパスのモトをほぼ取れてしまう。私が感激するのも、無理はないのである。
西表島上原港を経由して、10時41分、鳩間港(ぱいぬ港)着。私はそのまま、真ん中の道を登って行く。もちろん鳩間島で泊まるが、宿は「まるだい」である。
いまを去ること13年前、貨客船に飛び乗って鳩間島に初めて訪れた私は、そこで民宿を探した。当時は鳩間島が地図上にないくらいにマイナーな存在で、民宿も3軒しかなかった。
ところがいきなり2軒で断られ、最後の民宿に断られたら、次の貨客船が来るまで、私は島で野宿をしなければならなかった。
そこを快く泊めてくれたのが、まるだいだったのである。ご主人のご厚意に私は大いに感激し、その後もたびたび島を訪れると、必ずまるだいにお世話になったのだった。
そのご主人が亡くなったのが2年前。元船乗りらしく、命日は(旧)海の日の7月20日だった。私は落胆したが、いまも民宿は、奥さまや娘さんによって営業が続けてられている。今年も皆さんに会うのが楽しみだった。
まるだいに着くと、先客がいた。お歳を召した方だが、もう出て行くらしい。
まるだいは相部屋である。開けっぴろげの和室には荷物が置いてあるから、誰かといっしょになるようだ。それが誰だか、まだ分からない。
そこへ、スイミングスーツを着用した女性が現れた。髪が濡れているから、近場の海で泳いできたのだ。スタッフ…ということはあるまいから、宿泊客であろう。
私は玄関から食堂に回り、奥さまと懐かしの再会を果たす。きょう1日、目一杯楽しめたらと思った。
(つづく)
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