一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

9月のジョナ研・初めてのケース

2013-09-15 13:04:56 | ジョナ研
13日の金曜日、駒込にてジョナ研があった。
最近はLPSA芝浦サロンを経由して行くことが多いが、きょうは駒込直行である。午後7時をちょっと過ぎたころに入ると、いつものウエイトレスさんが「あちらです」と言う。奥のテーブルに、Kun氏とHon氏が先着していた。
挨拶もそこそこに、私のブログの話になる。彼らは開設当初からの読者でもあるので、真相を包み隠さず述べなければならない。私は極めて冷静に、某日の出来事を述べた。
「そんなことで…」
とふたりは驚きを隠さないが、こちらにも意地がある。今回の措置はやむを得なかった。
そこへA氏がきた。将棋ペンクラブの幹事にして、作家の大先生である。
重複するが、A氏にも同じ話をする。A氏は当ブログ、というか私の文章のファンだったので、かなり残念そうだ。
とはいってもA氏は、
「大沢さんはブログに注力しすぎているから、早いところブログをやめて、その時間を小説の執筆に充ててほしい。私は大沢さんの小説が読みたい」
というスタンスだったから、今回の件は、内心ニンマリしているかもしれない。
ここで私がようやく食事を注文する。私のオーダーはいつも遅い。
ブログの件で終始盛り上がり、8時40分ごろ、Kaz氏が来た。きょうはこの5人で進行する。ではここで、席の配置を記しておこう。

    壁
    Hon A

  Kaz Kun 一公

私は三たび同じ話をする。Kaz氏は自ブログで、私のブログをリンクしてくれている、Kaz氏にも申し訳ないと思う。
そろそろ将棋を指してもいい時間だが、きょうは布盤が出る気配がない。すべては私の話で占領されてしまったからで、ちょっと申し訳ない。
ウエイトレスさんと、ちょっと話をする。彼女は37歳で、小学生の子供がふたりいる、とのことだった。これはびっくりで、彼女は20代にしか見えなかった。
彼女もいいが、もうひとりのHondaさんはどうなのだろう。彼女の人となりを知りたい。
9時15分、Kun氏が帰り支度を始めた。いつもは11時すぎまでいるのだが、何か用があるのだろう。それだったら、これは本当に、強引に将棋を指すのだった。Kun氏は退席となった。
10時を過ぎたが、Hon氏が帰る気配がない。いつもは10時に退席するのだ。聞くと、きょうは美人の奥さんから許可をもらってきているという。妻帯者はいろいろ大変なのだ。
当ブログの件、Hon氏やA氏は、某企業からのクレームや、「女流棋士ファンランキング」にあぶれた女流棋士からの抗議で、停止になったと思ったらしい。私は苦笑するしかない。
2020年の東京オリンピックが決まったが、7年後はどうなっているのろう、という話になる。LPSAはどうなっているだろう。現役の数も、かなり変わっているのではなかろうか。
我が身を想像すると、7年後にいまより幸せということは絶対にない。現在だって不自由な生活なのだから、ほかにもいろいろ、不都合が生じているだろう。仕事は完全にアレになっているだろうし、自宅だって…。アタマは完全に禿げ上がっているだろうし、身体能力も衰える。それを具体的に想像するのが恐い。
ただ、Hon氏がいいことを言った。7年前の私(大沢)は将棋から離れており、そのときはLPSAや将棋棋士、棋友との交流が始まるとは夢にも思わなかった。それなら7年後も、私の予想しない素晴らしいことが起こるかもしれない。それに期待しようじゃありませんか、と。
なるほどなあ、と思う。だがそうはいっても、7年後の私は54歳である。波平と同じ年齢ではないか。おじいちゃんではないか。やはり気が滅入るばかりであった。
そんなこんなで、談笑は続く。A氏は11時に退席しないと危ないのだが、話があまりにおもしろくて、それができない。A氏は近くの飲み屋で一夜を明かすハラを決めたようだった。
私は徒歩でも帰宅できるので問題ないが、さすがに締めなければならない。11時45分ごろ、ようやく私たちは腰を上げる。
かくして今回は、ジョナ研で将棋を指さない、極めて珍しい夜となった。
コメント (2)
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