一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ムリヤリの旅・3

2013-01-13 23:01:23 | 旅行記・その他の地域
この宿、テレビ朝日系「ナニコレ珍百景」で、「風呂場に大量のシャンプーが置いてある宿」として紹介されたことがなかったか!?
私は入浴を済ませると、宿のおばちゃんに聞く。回答ははっきりしなかったが、恐らくそうであろう(帰宅後、調べてみたら、その宿は九州地方にあり、私の勘違いだった)。
時刻は午後9時を過ぎたが、「鬼平犯科帳スペシャル」の放送時間にはほぼ間に合った。「鬼平」は、江戸の生活を忠実に再現しているところがいい。キャストの江戸言葉も小気味いい。「大工」を「でぇく」、「違いない」を「違ぇねえ」と言うところなんざ、粋じゃねぇか。
鬼平を堪能したあとは、スマホであすの宿を予約し、そのあとグズグズして、午前1時半ごろ就寝した。

明けて5日(土)。午前8時半、スマホのアラームで叩き起こされた。
さて、きょうは2つの廃線跡を探訪しようと思う。ひとつは、ここ常陸多賀から数キロ先の鮎川から、常北太田までを結んでいた日立電鉄である。
日立電鉄の利用客はそこそこあったと思うのだが、モータリゼーションの波に飲まれたのか、関連事業が大赤字になったからか、2005年4月1日、惜しまれつつ廃止となった。
きょうはこれから鮎川に赴き、常北太田まで代替バスに乗って廃線を偲ぼうというわけである。言うまでもないが、そのための常陸多賀泊まりであった。
9時半すぎに常陸多賀駅に行く。駅前から鮎川までのバスがあるはずだが、土休日ダイヤでほとんどが運休していた。この近辺はその名のとおり日立の関連企業が多く、土日の客はサッパリなのだろう。鮎川までは歩いて行くしかない。
日立電鉄はJRの南側、つまり太平洋の近くを走っていたが、そちら側に回るのが少しく厄介である。私は北側の改札口から2キロ東に向かい、築堤をくぐって南側に出た。ここまでで約30分かかっている。
この先は国道に出るから、その前に日立電鉄の廃線跡が現れるはずだ。お宝にめぐり会えるワクワク感、廃線跡探訪をした人なら分かるだろう。
先に書いたとおり、あたりは日立グループの建物が多い。国道が見えてきた。私の見立てでは、その手前に廃線跡がなくてはならない。…あった!! 国道に並行して、廃線跡が左右に延びていた。線路が剥がされただけで、路盤は綺麗に残っている。「警告・線路内、立入禁止」のミニ看板もある。線路を敷けば、すぐにも列車が走れそうだ。
私はひとり感激して、写真に収めた。
国道に沿ってしばらく歩くと、多賀病院入口バス停に着いた。現在9時55分。10時07分発のバスがあるが、鮎川まではもうすぐである。小さな商店があったので店主に聞くと、鮎川までは歩いて30分だという。線路跡は侵入不可なので、私は国道245号を歩いた。
左に廃線跡が続いている。やがてススキが路盤に浸食し、境目が分からなくなってきた。
やや廃線跡から外れてきたので、一本中に入る。廃線跡の砂利道に入ってしまった。隣接している工場(こうば)裏で洗い物をしていたおじさんに聞いてみる。
「すみません、そこの道から入ってきました」
「おおう」
「あのお、鮎川駅はまだでしょうか」
「この先を300mぐらい行ったところだね。でももう駅舎はないし、昔の面影は全然ないよ」
「ああー、そうなんですか」
「ガソリンスタンドの手前。いまは家が建っちゃってるから全然分からないよ」
「…。じゃあここから行かせていただきます」
「いいよ、誰も何も言わねえから」
私は、再び綺麗な路盤になった廃線跡を歩く。左手に常磐線が見えてきた。踏切跡がある。ここだけは線路がコンクリートに埋まり残っていた。ここも写真に撮る。
このまま進めば常磐線と合流する、というところで新築の家が数軒見えてきた。ここが旧鮎川駅跡である。常磐線・常陸多賀駅と日立駅の中間ぐらいに位置し、常磐線とは接続していない。事前に聞かされていなければ、ここが私鉄の終着駅(始発駅)とは誰も思うまい。
しばし感慨に耽ったあと、引き返す。鮎川から(常北)太田までの直通バスはほとんど出ていない。常陸多賀からひとつ戻った大甕(おおみか)から代替バスが出ている。朝、駅に設置してある時刻表を繰ると「日中は20~80分間隔」とあったが、正確な時間は分からなかった。
朝はのんびりしたのにアレだが、きょうはのちの時間の関係で、水郡線・常陸太田駅13時11分発の上り列車に乗るのが絶対である。
右手に「湯楽の里」なる看板があった。「露天風呂で太平洋を一望」というコピーには食指をひかれるが、その時間があるかどうか。
前方からジョギングの男性が来た。先ほどから気になったのだが、この手合いが多い。日立はマラソンが盛んなのだろうか。
先ほどのT字路に着いた。ここを右折すれば行きと同じルートで駅に着く。それは分かっているのだが、直進して廃線跡を味わいたいところである。
このまま行っても常陸多賀駅には着くのではないか。私は直進する道を選んだ。廃線跡は右手にそのまま続いている。しばらく歩くと、駅跡と思しきホームが見えてきた。これはどこの駅だろう。敷地内には、先ほどの「湯楽の里」の大看板が設置されていた。いよいよ露天風呂に浸かりたいが、ここで寄り道したら、きょう1日の予定が瓦解する。私は泣く泣く先を急いだ。
電柱の陰に、「1月20日は日立マラソンにつき、交通規制が敷かれます」の立て看板があった。なるほど、さっきからのマラソンランナーは、この大会の出場者だったのだ。
それにしても、常陸多賀駅はまだか。そろそろ合流してもいいはずだが。…あっ…!!
ひょっとしたら、先ほどのホームが旧多賀駅だったのか!? そういえば、朝スマホで調べたときに、「電鉄多賀」とあった気がする。基本の駅名は同じでも、会社が違うと全然違う場所にある、ということはよくある。東京でいえば、JR蒲田と京急蒲田がいい例だ。
次の道を慌てて右折する。美容院で駅までの道を聞くが、方角的には正しかったようだ。
途中、高架が外された日立鉄道の廃線跡が見えた。これが最後の鑑賞である。
JR常陸多賀駅の裏側に出て、歩道橋を降りたら、朝のスタート地点に戻ってきた。ときに11時42分。常磐線の上りは11時50分発、大甕着は11時54分である。
私は日立電鉄バス本社に電話をかける。聞くと、大甕からのバスは12時ちょうどだった。参考までにその次のバスを聞くと、13時35分だった。これは、けっこうあぶない乗り継ぎだった。誰にも指図されないのんびり旅なのに、なんでこんなトラベルミステリーみたいな行程になっちゃうのかと思う。
11時54分、大甕駅着。大甕駅は、駅前にすぐ県道が通っていて、その下をくぐるように階段が続いている、不思議な構造だった。
駅前のバス停でしばし待つと、太田駅前行きバスが来た。私は乗車して、整理券を取る。
…エエッ!? この整理券は…!?
(つづく)
コメント (2)
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