謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

2月後半

2013年02月18日 | 雑記帳

2月後半は重要な時期になると思う。

2月13日(水)この日は医療センターーの呼吸器外科へ行って、手術の可否を診断して貰った。丁寧に説明してもらったが。  結論は、手術は出来る。但し、術後の見通しは明るいものではなかった。また進行度により、内視鏡による手術ではなく、背中を20cmほど切り、肋骨も1本とる。

(1)右肺の2/3を切除する  (2)再発率は50%である  (3)家庭酸素が必要になる  (4)両杯に無数の白点が見られ、これは転移の可能性がある   特に(4)は問題で、この白点が転移ならば、この癌は四期とみなされる。

この結果をもって、15日(金)に今後の方針をきめるべく、呼吸器内科へ行った。今後どう進めるかに当っては医師に意見はない。すべては本人次第である。上記のように、手術は術後の見通しがあまりにも暗いので手術はやめると伝えた。医師の話によると、そうなると治療は抗癌剤注入しかない。放射能治療は両肺に無数の白点があるので不可能なそうな。

いつも、検査後など、一区切りついたときに、医師は「治療しますか?」と問いかけるのである。これは何を意味するか?

青山病院には30年来かかっていて、健康診断は毎年、この病院で行っていて、肺のX-Ray撮影は数知れず、特にこの3年間はCT検査もしており、そのうちの1回は昨年夏、7~8ヶ月前にやっている。医療センターの医師達の話では、この癌はけっして初期ではない。呼吸外科医の話では二期、白点が転移ならば、四期に当たるという。この症状が青山病院の最近の何れかのフィルムに映っていないわけはない。見逃しか、見送りか、今更遅いが、この事実はなんとしよう!?

今後、抗癌剤治療を行うか、 何もせずに現状を保って天命にまかせるか、熟慮してきめる。

翌、16日(土)は妹の介護認定の立会いでうらら多磨へ出かけた。妹にもわかるように伝えて、自覚をもってもらわなければならない。あさひ苑(うらら多磨の管理者)とは20日に相談することにした。

17日(日)は9時30分から高根台公民館で、船橋歩こう会の第24回通常総会でした。これは、わたしにとって監査役としての最後の総会となった。監査報告をして退任の挨拶をした。歩こう会の役員さんは大凡が私の肺癌をしっていて、とても温かく接してくれた。  午後1時からは恒例の総会ウオークがあり、203名が参加した。最近あまり船歩ペースで長距離を歩いていないので、少し心配だったが、仲間が沢山いるので、12kmを歩いた。何事もなく完歩したが、やはり疲れた。

        

                   アンデルセン公園の入り口付近で休息


結構、忙しかった

2013年02月13日 | 雑記帳

 2月に入ってから結構忙しかった。

3日(日)は大和山例会、4日(月)は妹の通院介護、5日(火)は頭への転移検査、6日(水)は恩寵園へ家内のアッシー、7日(木)はTさんと、旧友Y君を訪ねた。奥様の手打ちそばを頂きながら約2時間の談笑で楽しかった。帰りは奥様に駅まで送って頂いた。8日(金)は骨・頭(脳)への転移検査の結果説明、「転移はなし」。手術の可否につき、13日に外科医の見解を聞くことになった。

9日(土)は午から俄然、忙しくなる。2時から習志野文化ホールで例年の友の会主催の音楽界があり、今年は川畠成道のヴァイオリンコンサートだった。毎年ほの歩の会の人たちにも前売り券を買ってもらっている。綺麗な音色を聴かせてもらったが、今年は、折悪く、大和山の研修旅行と重なったために、途中から抜け出さなければならなかった。

               

                川畠成道、42歳。最後まで聴かれなかったのが残念!

大和山の研修会は、外房・白子海岸のサンライズ・オーツカで行った。茂原駅からバスに乗り継いで、到着したのが、午後4時50分頃。ミーティングの最中だった。その中で各自の近況も述べることになっていたので、肺癌のことをはっきり伝えた。ミーティングのあとは、風呂に入って6時から会食。  翌10日(日)は銚子方面へバスツアー。

     

           楽しく団欒           犬吠灯台のふもとの なぎさ家で昼食。

    

    ヤマサ醤油工場見学              遠くに風力発電の羽根が

バスは千葉市のNTT前まで運んでくれた。千葉までの途中が混んだので予定より遅れて、家に着いたのは18時少し前。娘が来て一泊した。

11日(月)は娘の車で、うらら多磨の妹の所へいった。連休の最終日だが首都高は割合に空いていた。

翌12日(火)は2週間ぶりにほの歩の会。坪井地区を歩いているうちに何故か眠気がさしてきた。こんなことはなかったので、大事をとり、船橋日大前から電車に乗り、帰宅した。家に着く前に治ったが、この3日間は夜11時に寝て朝5時半に起きていた。(普段は夜9時に寝てあさ5時半に起きる)寝不足だったのかも知れない。

 

 


では、行きましょうか

2013年02月02日 | ウオーキング

転移検査のその1は、RI検査(骨への転移検査)。1月25日朝9時に行って、放射性医療薬品を静脈より注射して約1時間半休憩。10時半頃から検査を始めて、約1時間で終わり。寝台に仰向けに寝ているだけでOK.とても楽な検査でした。転移検査その2は2月5日、これはMR検査で脳への転移を調べるものです。

RI検査の翌26日は、昼前は京成船橋駅の上の喫茶店で、船橋歩こう会の会計監査をした。前から辞意を漏らしていた椎名さんと私には、最後の監査となった。船歩会計担当の高田橋さん・亀山さん、長い間お世話になりありがとうございました。

その夜は、西葛西の”柳ぎ”のママのCDデビュー記念パーティーに出かけた。旧級友のK君も一緒に。場所は亀戸のライブハウス「柳ぎ」。デビュー曲の作詞家、作曲家も出席し、ほかに名前知らぬ歌手が二人来ており、秋元順子さんから祝電が届いていた。60人くらいの人が来ていて、場所は少し狭かったが、結構楽しい時間を過すことが出来た。発表した曲は「長崎慕情」「ギヤマンの雨」、勿論、初めて聞く歌で、よく分からない。

            

 これは、今回発売した彼女のCDのラベルです。当日は携帯で写真を撮ったが、とても公開できる出来映えではないので、今日は出しません。この日、係の人が撮った写真が出来てきたら掲載します。

28日は、恒例のクラス会(四月会)で、1ヶ月ぶりに逢った旧級友と顔を合わせて、肺癌が分かるまでの経緯を話しした。初めて聞く人には多少の動揺は見られたが、皆、年配でもあるし、それぞれに覚悟はしているので、私の話は極めて冷静に、同感をもって聞いてくれたと思う。そのあとは、また西葛西の”柳ぎ”に寄ってカラオケを楽しんだ。 ホントニ病気なのか~?!と、自分でも思う。

29日は、3週間ぶりにほの歩の会に出ました。押上駅に集合して、スカイツリーを下から眺めたり、牛嶋神社、言問橋など通り、懐かしの浅草に到着。浅草寺、仲見世を散策して、土産を買ったり、写真を撮ったり。散策後、伝法院通りに集まって上野へ向かう。浄土宗源空寺で伊能忠敬や幡随院長兵衛夫妻の墓を見たりして上野公園へ出る。上野は我々北海道や東北出身者にとっては懐かしの場所です。飛行機になど気軽に乗られない時代、東京といえば必ずここで降りた。そして地図を見たり、列車時刻表を見たりして目的地へ移動したものです。

その懐かしい上野で、迷子になりかけた。上野東照宮で流れ解散のあと、三々五々帰ったのはよいが、上野公園は昼食の場所が容易に見つかるところではない。会長のAさん達が、精養軒の前をうろうろ。なかなか決心が付きかねている様子。私とTさんも、どうも気が進まない。そこへ、かの元気なEさん達4人が「天竜」「ラーメン」などと言いながら降りてくるではないか。ラーメンあるところに必ずチャーハンあり。Tさんとあとを追ったが、ちょっと一息遅れたので彼女等の姿は見えず、盲めっぽうに追いかけたが、案内がよう分からず、とうとう迷子になったてしまった。しかし、文明の利器は有難い。携帯電話でEさんと連絡できたので、西郷さんの前でばったり。おかげさまで、横アメの中にある「昇竜」という地下食堂に行くことが出来ました。安くて早くてうまい。調子良かったのでビールも少しだが飲んだ。しかし、近頃の女性は強いですね~中ビールの一杯くらいは、どこ吹く風の人ばかり。

  

上の白いのは飛行機雲    いつ来ても賑やかな浅草寺と仲見世

30日は、妹の所へいったが、月が変って2月1日は、義母の命日参山で大和山本部へ行って慰霊し、肺癌のお払いもしてきた。今や、新幹線は新青森まで行っているので日帰りが出来る。青森の真冬は例年ならば、とても寒いので日帰りはちょっと辛い。しかし今年は、噂と違って当地は雪が少なく、お天気も良くて暖かく、とても楽な命日参山でした。しかも、この度。買った切符は”のっけ丼付き”で、青森で”のっけ丼”が食べられた。”のっけ丼”とは

これは、資料写真です。左下の発泡スチーロールの丼にご飯を貰い、上に乗せる具を、店を廻って載せて貰い、市場の中の休憩所で食べる。具は新鮮で美味しい。味噌汁も貰える。休憩所には調味料、お茶が置いてある。値段は約1000円。