謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

結構忙しいこの頃 続き

2011年11月28日 | ウオーキング

同じ事をやっていて忙しいという事は、ある意味能力が落ちているという事。二つ以上が同時に出来ない、別の仕事をすぐ続けて出来ないということ。年々こうなってきています。

11月23日は、午前は恩寵園での家内のボランティアのアッシー。行く途中のガソリンスタンドで給油のついでにタイヤの空気圧を調べてもらったら、4輪とも「空気が異常に抜けている」とのことで、家内を恩寵園においてすぐ引き返して検査して貰った。その結果は4輪とも虫ゴムがひどく痛んでいて空気がどんどん漏れていたのです。午後は娘の嫁ぎ先である外房のいすみ市まで行く予定だったので危ないところだった。虫ゴムを全部取り替え、オイルも交換して準備OK。それにしても危ないところだった。

午後は、あまりお腹も空かないの、サンドゥイッチを車内で食べてから出かけた。久しぶりのいすみ市行きです。京葉道路・東金道路を降り九十九里有料道路の途中サンシャイン九十九里の手前を右折して県道30号線を南下。九十九里有料道路は通らない。九十九里浜の終わるあたりで国道128号線に入る。あとは江場土の交差点を右折するといすみ市の長者へ着く。約2時間。途中混まなかったのであまり疲れない。今回の訪問の目的は、娘のお舅さんが唇のガンを手術したので、そのお見舞いです。幸い手術も経過も順調で元気の様子。ただ、まだ普通の食事が出来ず流動食だけ。夕食はこのお舅さんと姑さんをおいて娘家族4人(あと1人は友達と池袋に遊びに行っていた)と私達夫婦で「江戸勘」というすし屋へ行った。ここで「八海山」という新潟の酒を初めて飲んだがすごく美味しかった。しばらく飲んでいなかったばかりでなく、コクもありのど越しがよく微醺を帯びていて今までの酒では最高!板前の自慢話を聞きながら刺身に焼き魚に最後の握り寿司も最高に美味しかった。今日は娘にしっかり親孝行をしてもらった。夜の9時過ぎまで家族で食事したことは今までにはないことです。

翌日は婚家を10時ころ出発して順調に帰った。

翌25日は運転免許の高齢者講習会。3年前にはなかった認知症の検査が増えたので時間は3時間半もかかった。もうそろそろ友達は辞め始めているが、私は事情があって辞めるわけにはいかない。

26日(金)は新京成健康ハイキングに出かけた。大和山の川口さんご夫妻も来られたので一緒に歩く。いつも一緒の鳥越さんは風邪でダウン。薄曇で歩きには最高の日和でした。先日の雨の日の成田歴史オウークと違って、お馴染みさんが沢山歩いていた。「池チャーン」と黄色い声をかけてくれる人もいてたのしかった。途中で写真を撮りました。

    

   2枚とも、万葉植物園の写真です。紅葉もだいぶ赤くなっていましたね。

   これは大町自然公園に入ったばかりの場所。ここの紅葉が一番綺麗でした。もみじ山はまだ青かった。

27日の日曜日は一日中家にこもって、最近のお礼やご無沙汰のお詫びや、雑用の後始末をやって、相撲をみて、「江」をみて終わり。

28日からは、妹の退院、高齢者住宅への入所を巡って、働かねばならない。28日は青梅の病院へ行って諸事の相談。29日は入所契約。30日は現地およびその付近を下見、観察。引越し日は12月中旬過ぎとなるが、それまでは青梅~府中~武蔵境~船橋と飛び歩かねばならない。

 


結構忙しいこの頃

2011年11月22日 | ウオーキング

11月~12月中旬は結構忙しくなりそう。

11月11日から16日までは札幌に行った。主題は13日、親戚(家内の妹の亭主)の1周忌法要です。11日はそのまま南区藻岩下のその家に泊まり、翌12日は旧制札幌一中(現札幌南高)の級友3人とススキので夕食をとりそのままカラオクスナックへ。友人の口利きで貸切状態だった。カウンターだけの小さな店だがカウンターの中が畳敷きで、合う歌があるとママさんが歌に合わせて踊ってくれる。こんなことになるとは思わなかったのでカメラを持って行かなかったのが残念。この日は帰りが遅くなるのが分かっていたので中央区の家内の弟の家に泊まった。

13日は、このたび出札の主目的の法要。場所は白石区の教信寺というお寺。場所も名前も初めてのところです。昨夜泊まった義弟の家から直接行きました。ここで、この歳になって勉強したことがある。私とこの義弟は、「法要といっても親戚だけであり、そんなに畏まった服装でなくてもよいだろう」ということで平服で出かけたのに他の方は全員喪服で来ていた。聞くところによると、1周忌までは喪服で出るものだそうです。

14日、15日はご無沙汰の親戚まわり。と言っても2軒しかない。3軒あったが1軒は昨年配偶者に先立たれ老人ホームへ入ってしまっていた。状況を聞いて訪問は遠慮しました。残る2軒のうち1軒は88歳の未亡人が一人でマンション住まい。口はまだ元気だがもう何かに掴まらなければうまく歩かれない。それでもこうした人々があまり不安もなく生きていけることは、まんざら悪いことばかりの世の中でもないようですね。もう1軒は85歳でこれも未亡人です。だがこの人は身近に3人の娘がいるので元気いっぱい。かなり肥えておられるので動作は鈍いが声も大きく趣味も広くてまだまだ大丈夫、ちょっとやそっとでは・・・と、お見受けしました。

16日は、飛行機の時間があったので途中、最近退院した友人宅へ寄って、時間をつぶしてから空港へ行った。天気予報によると15日、16日は雪は降る筈だったが外では降っても札幌では降らず、雪景色を撮るために持っていったカメラは使わず仕舞。翌17日まで残った家内が携帯で撮って送ってきたのがこの写真。

            

帰ってからは忙しかった。何故なら家内がいないのです。彼女は18日から20日まで大和山本部の越年感謝祭の奉仕に行った。

18日は船橋歩こう会、会報257号の印刷で穴川の女性青少年会館へ。19日は降雨の中を新柏へ。千葉県ウオーキング協会主催、船橋歩こう会主管の”おもしろ半島ちば七廻道ウオーク「歴史コース」”という長い名前のウオーキング例会です。雨が降っても会報は届けなければならないので早朝7時に出かけた。その頃やスタートした頃は大した降り方ではなく、一時は全く雨は止んだ。その間は30分もあっただろうか。次に振り出してからはもう止まらなかった。後戻りも出来ぬままにそのまま歩き続けるしかない、それでも冗談を言いながら皆元気だった。寺社・史跡が点在し、自然豊かなコースでお天気が良ければどんなにか良かったのだが。雨が一向に衰えないので、行程を切り詰めて途中の逆井運動場をゴールとして12時頃解散、15km予定を11kmも歩いたろうか。カメラは持って行ったが、雨が降るので写真は撮らず仕舞。

帰ってから、濡れた衣服を着替えて風呂に入り、夕方6時から近所の斎場へお通夜に出かけた。知人が17日に亡くなったんです。暗くなって雨の降る音はするのだが程度がわからず、また、風もかなり吹き出したのだが程度が分からず。それにしても斎場は5分くらいの距離なので、コートを着ずに傘だけで風雨に対抗しながら出かけた。本人は何も分からずに式場に着いたが、係りの人が慌ててタオルを持ってきて拭いてくれた。「ビショ濡れですよ」と言いながら。翌20日の告別式は昨日の雨が嘘のような快晴。この日は午後から洗濯をした。

21日、早朝に家内が夜行バスで帰ってきた。疲れも見せず二人で気功へ行く。我が家に限らず女性は元気だ。午後から船橋総合病院の耳鼻咽喉へ行って鼻の掃除をしてもらった。もう1月以上になるがあまり良くならない。

22日は恒例の火曜ウオークに参加。近所の大神宮が一時解散場所だったので早く帰ることが出来た。歩友のHさんが亡くなったことを知る。  合掌

 


世にも不思議な物語

2011年11月09日 | 雑記帳

まことに驚くべきことが起こった。

一月ばかり前、録画しておいた映画「人間の条件」第1部から第5部が突然録画リストから消えてがっかりしたことがあった。これは錯覚ではない。この間に何度も他の番組を録画したり削除したり、その度に確認しおていたのだから、間違いはない。

それが最近のこと、録画リストが2頁から3頁に増えていたので・・・、はてな??

よく見ると1頁目に、消えたはずの映画「人間の条件」が第1部から第6部まで順序よく並んでいるではないか!!

特に変わった操作は何もしていない。テレビもデッキも何一つ変わった動き方はしていなかった。  何故でしょうか? この奇跡は!

とにかく良いことなので大喜び。これは50年以上も前の映画です。戦時下の満州を舞台に”梶”という夫婦の過酷な運命の物語。過酷なのは梶ばかりではない。戦争の不合理さと残酷さを壮大なスケールで描いています。”こんな強い兵隊はいなかった”という批評もあるが、これは原作者五味川純平の半自伝的名作で、作者の一兵卒としての理想像が描かれているとの見方もある。何れにしても戦前戦後を問わず、新旧を問わず、人間性を求める人の胸を締め付ける。映像も修理されているのか鮮明で、録音もよく保存されている。全編を紹介はとても出来ないので、50年前の俳優さんの写真を並べてみます。

        

   淡島千影と石浜 朗                   有馬稲子

      

    仲代達也         兵隊になった仲代達也(これが梶の眼だという)

     

    新球三千代                    中村玉緒

     

     岸田今日子                   高峰秀子

   50数年前ですが、面影はありますね。

この他に、佐田啓二、山村聡、河野秋武、宮口精二、安部徹、東野英次郎、千秋実、桂小金治、内藤武敏、田中邦衛、藤田進、川津裕介、佐藤慶、笠智衆、石黒達也、坊屋三郎、金子信雄、二本柳寛、上田吉三郎、多々良純、南原伸二、南道郎、安井昌二、渡辺文雄等々 錚々たる俳優陣が出演しています。

 

 


第42回東京東部支部バザー

2011年11月07日 | 大和山

松緑神道大和山東京東部支部のバザーは今年で42回目。第1回目は10坪くらいの面積の中で始めたものが、今では江戸川区興宮公園と隣接する多目的広場を借りて25張りの天幕を張っての一大イベントになりました。この間、私も実行委員長を数回やらせられ苦労はあったが、充実した達成感を味わったものでした。

例年、この時期はお天気がよくて、雨降られたことは数回しかない。今年は1週間前から天気予報が悪いので皆、雨降りは覚悟はしていました。前日の準備は1日かかる。前夜と当日の夜、雨の夜に車を運転して帰ることは、歳をとった昨今は気になるところでした。しかし、皆さんの日ごろの精進の良さが天に通じたのか、当日の朝はかなりの降り方だったが、次第に雨足が細くなり、バザー開始準備に入る頃は雨は全く止んで何等支障はありませんでした。

バザーは10時から14時までの4時間で、例年通りに盛会のうちに終わりました。私は10年くらい前から売り手はやめて、場内のコミ整理を率先してやっています。出るゴミを選別した箱に捨ててもらうように設備して、集まった各種ゴミを東京都のゴミ収集袋に入れて1箇所に集積するという仕事です。この仕事は始めは暇なくらいですが、食べ物が出回ると結構忙しい。最も忙しいのはバザー終了後です。各持ち場から分別も何もしないゴミがゴサっと持ち込まれる。うるさく言って最近はかなり良くなったが、まだその傾向は残っている。再生品のダンボールもゴサっと置いてゆく。また、この時間は各持ち場は後始末に忙しいので応援の手を求められない。他の部署の後始末が終わる頃にゴミの仕事も終わる。

この間、雨は2~3滴顔に当たったことが1回くらいあったが、後はなし。物資、物品を運び返す最終作業が全部終わる頃にシトシトと降り出した。しかし、帰る頃(18時頃)は殆ど止んで、気にしていた夜の運転は何の心配もなく、少し遠回りして教友を送って無事帰りました。

写真を撮りました。しかし、本番中は忙しいので撮られない。すべて準備中のものです。

  

 ガーデンコーナー朝の準備       日曜雑貨、品物陳列中

             やきそば 製作開始 

前日の資材運搬、天幕組み立て、売り台設置、品物運びなどこちらのほうが大変な仕事ですが、写真撮る暇がなかった。


成田街道膝栗毛

2011年11月02日 | ウオーキング

10月29日、30日は船場歩こう会の成田街道膝栗毛のツーデーマーチです。これには私は毎年必ず参加する。

このウオーキングは東京江東区の深川不動尊から、成田山新勝寺を結ぶ成田詣での道行きです。数年前から深川不動尊の僧侶2人と職員2人がこのコースを役員の先導で歩き、最後は合流して完歩します。法螺貝を吹きながら。

1日目、2日目ともにコースはロングとショート別れ、距離は1日目ロングは34km、ショートは15km。2日目はロング39km、ショート16km。また、両日ともロングは自由歩行、ショートは団体歩行です。団体歩行を嫌う人で長距離を敬遠する人はちょと困る。数年前まではロングもショートも自由歩行だったのですがね。

コースは結構よろしい。1日目は、深川不動尊で安全祈願をして木場公園、仙台堀公園、大島小松川公園を経て荒川の船堀橋を渡り、小松川境川親水公園(ショートコースはこの中の中央森林公園がゴールとなる)を通って新中川の松本橋を渡って江戸川に至り、上流にさかのぼって市川橋を渡って千葉県に入る。次に真間川に沿うて下流に進み、京成電鉄にぶち当たって左折し中山法華経寺に入る。ここを出たならば、コース図に従って行田公園、調整池公園を経て船橋駅方面へ向かい、天沼弁天池公園がゴールとなる。

2日目は北習志野近隣公園からスタートする。はじめはあまり景色の良いところはないが、京成バラ園、八千代中央の菅田第5公園などを経て新川に出て、ゆらゆら橋を渡り、やがて国道16号線を横切って道なりに進み、ふれあいプラザ、ユーカリが丘公園、北部調整池などを経て臼井城址公園に至る。ここを出たならばコース図に従って印旛沼に至り、佐倉ふるさと広場のオダンダ風車を見ながら沼に沿うて歩く。竜神橋を渡って岩名運動公園へ行く。ここには高橋尚子、千葉真子など有名選手が練習をしていた陸上競技場がある。その後は郊外や畑の中の道などを歩いて人面杉のある麻賀多神社や宗吾参道も少し歩き、水田のわき道などを歩きながら公団加良部団地に入る。団地の中を歩いて成田駅前通りにでて、JR成田駅から成田山の参道を通って新勝寺に着く。ショートコースは京成佐倉駅の近くの内郷児童公園をし出発して途中から合流する。

例年は春の桜の頃を狙って実施していたが、今年は何故か10月末に行った。3.11の地震でコースの安否が確認できなかったか?理由はとも角、今年もコマ図とコース図は受け持った。10月実施となると、下見は丁度暑い真っ盛りの7月、8月。熱中症にかかったら阿呆らしいので、早朝5時頃に出て9時には帰るようにして何回にも分けて下見した。コースが長いので、橋などの工事があって毎年変更箇所が出る。変更箇所は少し出たほうが、コマ図チェックには有効です。

このコース図は2色刷りです。白黒の図に赤線や赤文字を重ねるのに、印刷にはかなりの技術が要る。例年、日本ウオーキング協会で印刷してもらっていたが、そこに居た熟練の平間さんが亡くなったために、昨年から苦労している。昨年はどうにか出来たが、今年は再度印刷をした。要は根気と職人根性だが、人にやってもらうことなのでどうにも気がもめることではあります。役員の中には、2色をやめて1色にしたら・・・という声も出ているとか。

この図面は、今始まったことではない。谷健三、阿部宏、田中良治の諸先輩が苦心と努力の末に作り出したものです。これを止めるわけにはいかない。年毎に参加者が減っており、役員としては張り合いがないとは思いますが、先人が起こした伝統は守って行きたいと思います。参加者が毎年減り続けることは、何らかの理由はあると思うが、このコース図を変えなければならない理由にはならない。

            

            1日目 ショートコースゴール後の昼食  

         

             2日目 麻賀多神社の前で、僧侶と合流