謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

耐暑ウオーク

2005年08月26日 | ウオーキング
8月20日(土)は船橋歩こう会恒例の酷暑ウオーク。ゴールはビール工場で年に一度のお楽しみです。もっとも担当役員は下見の度に試飲をやっている。私も担当の時は3~4回は下見をしたもんだ。
今年も暑さが激しいせいか、参加者は予想をこえて240人を超えた。
当日は日中34℃の猛暑と云われていたが、体が馴れていたのか差ほど感じない。
さくら公園を9時出発、毎年少しづつ変るコースを進む。
だが休憩場所は鷺沼城址公園、谷津干潟公園、若松公園とこれは変らない。
(上の写真は出発M前のストレッチ。下の写真は鷺沼城址公園からの再出発、逆光 なので顔が真っ黒)

人数の関係で若松公園でA班とB班とに別れ、私はB班についた。B班はA班より1時間ばかり遅くなる。高校野球の決勝戦が気になったが仕方がない。
A班より1時間後の出発が待ちきれずに45分後に出発。ビール工場へ着いてから時間に余裕があったので、汗に濡れたシャッツをゆっくり着替えることが出来た。
この点は、後続のB班でよかった。
いつものように工場見学を終えてから出来たて生ビールの試飲。例会はここが最高潮になる。何時飲んでもこの一瞬の最初の一口は最高!
20分間で9杯飲んだバカもいる。お代わりに立って歩く時間、注ぐ時間を差し引くと2分弱に1杯くらいだ。私は去年までは4杯飲んだが、今年は3杯。味合うのはこんなところだろう。
帰ってみれば、駒大苫小牧が優勝していた。快哉。しかも57年ぶりの夏2連覇。

21日(日)は銀座ブロッサムで大和山新和会主催の文化講演会と平和集会があり、参加した。
文化講演会は出雲井晶さんの「日本の神話」。戦前の時局便乗者の話を聞くようで
なにか白けた。 午後の平和集会も全然新鮮味なし。同じ言葉を繰り返しているだけでパネラーのカラオケ。我々には単なる時間つぶしに過ぎなかった。

22日から23日にかけてユートピア笠森に壮年部の下見に行った。
始めは壮年部員4人だけで行く予定が、21日になって本間夫人とうちのオカミが加わることになって総勢6人。車2台に分乗して出かけた。
東船橋駅で澤田さんを乗せて、東金まで行き大沼さんを乗せる。そのあとは、澤田さんに運転してもらったので楽だった。
夜は久し振りに開放された酒を飲んだので6人でかなり盛り上がった。
翌日は、笠森観音を見学してから養老渓谷を見て帰る。
これも澤田さんの運転なので今回はすごく楽だった。


ユートピア笠森前景

終戦の日

2005年08月17日 | 雑記帳
14日は千鳥が淵戦没者墓苑での「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典」に参加した。千鳥が淵戦没者墓苑は無名戦士の墓である。
昭和12年7月以降に政府などが外地から収集し、ご遺族にお渡しできなかった無名戦士の遺骨が納められている。軍人、軍属のほかに一般邦人も含む。
今年で359,260柱という。この式典は新日本宗教団体連合会(新宗連)と新日本宗教青年会連盟が主催する。
17:30開式、新宗連理事長の挨拶に始まり教団別礼拝(これがメイン)があり、折鶴献納、献灯、献花と続き平和へのメッセージと続き、最後は平和の祈り。
亀淵友香さんとそのグループの平和を希求する歌。終了は19:30

上の写真は献灯。下の写真は新宗連15教団の教団別礼拝の内、3教団の礼拝。
各教団、3人づつの代表が各自の作法により礼拝した。

PL教会


松緑神道大和山


立正佼成会?


15日は、終戦記念日。朝からテレビに引付けられた。健康に悪いとは知りつつも、午後は14時からの「昭和50年の記憶」に始まり夜の「日本のこれから」まで10時間。

「日本のこれから」では外国の人や若い人が真面目で思慮深く、言葉を沢山知っているのには驚いた。その上、頭がいい~~~。
靖国問題では女性に首相参拝の肯定者が多いのに驚いた。

とかく8月はテレビを見る時間が長い。この他に高校野球や「寅さん」も見なくてはならず、眼の疲れる月である。


ひめゆり

2005年08月09日 | 雑記帳
8月は終戦の月なので、我々昭和一桁生まれには敗戦に繋がる様々な記憶が掘り返される月である。
8月6日、9日はそれぞれ広島、長崎に原爆被爆の日。両日とも平和集会がテレビで放映された。被爆60年ということで、体験者、語り部の減少が心配されている。10年前の被爆50年の時にもこのことは言われたが、この時になってのこの10年間の推移は大きい。

定年になってからは、この二つの平和集会のテレビ実況中継を毎年みている。
その度に感慨は新たになり、最近は歳の所為か涙を禁じ得ない。
今年、広島の平和集会に参列した外国人がヒロシマ、ナガサキには同情しながらも
「原爆の惨状は忘れてはいけないが、日本が中国や韓国で行ったことも忘れてはい
けない」と言っていたのが印象的だった。
外国人には外国人の見方、考え方があるのだろう。
涙ながらに思いを語るアメリカ人もいたが、アメリカ本国ではどうなのだろう。
平和集会の招きに応じて参加したのはロシアだけとは、いささか寒い感じだ。

昨日(9日)は、大和山の教友と東京芸術劇場にミュージカル「ひめゆり」を観に行った。
テーマが重くて、ミュージカルに合った題材とは言われないかも知らないが、舞台に工夫をこらして、戦争の惨たらしさ、ひめゆりの惨禍、命の尊さを表現していたと思う。
劇中のシーンはあまりに暗くて悲しいので、演技の中の拍手はあまりなかった。
歌や演技が良くても、拍手できるような心境ではない。

だが、公演後のカーテンコールは常に感動的。拍手は鳴り止まなかった。

この写真は、私が撮ったものではない。資料写真。

ミュージカル「ひめゆり」


原爆の子(ヒロシマ)


平和記念像(ナガサキ)

暑い!暑い!

2005年08月04日 | 雑記帳
現役の頃「暑いと言ったら1,000円とる」などと言い合っていた。
その状態が昨日、今日である。

昨日は、恩寵園にボランティアに行くオカミを送り、その2時間の間、習志野台付近をウオーキングした。暑かったが風が適当にあって割りに楽な歩きだった。
しかし、時速は約4km。やはりいつもとは違う。

今日は、パソナから帰っただけで汗びっしょり。オカミは朝からバイトで横浜に行っており、我慢できずに昼からビールを飲んでしまった。
ビールと言っても我が家では10年以上前からビールといえば缶ビールのみ。
あまり暑いので2本飲んだ。美味かった。
しかし、午後は全くの休み状態。まことに消費的・非生産的態度を反省。

パソナ教室は今日で絵は一区切り、フォトショップを学ぶことにした。
フォトショップは以前にも習ったが、その時はフォトショップなるものを理解できずに、ただ皆さんにくっ付いて行っただけ。
「こんなことまでやらなくても」と思って乗り気にならなかった。
が、絵をやってから俄かに興味が湧いてきた。

人間、死ぬまで勉強だ。勉強でなくても 何かを面白がってやっていきたい

今日のパゾナの成果。上が水彩、下がフォトショップ。






若葉店

2005年08月02日 | 雑記帳
昨日と一昨日の日記。
昨日は月曜日。午前は気功が定例。
オカミは翌日(今日)の「平和を語る会」の準備のため欠席した。
いつものように進み、最後の按功でグッタリとなって少し眠ってしまった。
揉手が気功13年のベテラン金武女史であったことでもあるが一昨日の疲れが随分とれたので気功の効果を認識した。

一昨日は朝8時半に出かけた。
行き先は夷隅郡岬町長者、娘の嫁ぎ先である。
目的は、婚家の石野薬局が新店を出店したのでそれのお祝いの為。
実際は7月1日に開店したが、その頃は忙しくてお相手ができないと言うので今日までのびのびになっていた。
京葉道路~千葉東金道~126号線~九十九里有料道路~九十九里ビーチライン~128号線と走り約2時間。途中京葉道路の一部で渋滞あったが覚悟していた程でなく順調の部類だ。
新店の店名は「石野薬局・若葉店」、本店から約500mほど離れた所にある。日曜日で休みだったが中を見せてもらった。
新店なので何もかにもが新しく綺麗だ。
色んな電気機具、道具、棚、調度品などが実に合理的に配置されていて感心した。
店を見て感じたことは”若い者には敵わない”ということである。
このことはパソナの教室でも折に触れてよく思うことでもある。
「今の若い者は・・」などと云ってはいけない。
報道されているようなトンでもない若者もいるけれども、そうでない若者(私から見れば50代以下)一般に真面目で度胸もあり、夢多くて明るい。
我々が若かりし頃の活力とは一味違う、発達した技術社会の密度の高い活力があるように思う。

新店の正面の写真を撮った。
若葉店の右に見えるハイカラな建物は産婦人科病院である。


雷を聞きながら(空は晴天)昼ご飯をご馳走になり、一休みしてから15時半、長者を出発した。この時季、夏休み中の日曜日、混まないわけがない。
来た時は2時間の同じ道を3時間半かかって帰ってきた。
若い頃なら、さほど疲れるような距離でも時間でもないが、やはり歳ですか?
その時はあまり感じなかったが、昨日の按功でそれが分かった。

以上、この日記は昨日書く予定だった。が「拝啓、天皇陛下様」を観てしまった。
渥美 清のデビュー作というが、ベテラン俳優の演技だと思った。
脇役も良く、引き込まれてしまった。それで日記は今日に。

8月は終戦記念日の月。今年は終戦60年。観たいテレビ番組は目白押し。
終戦秘話は100年経っても無くならないだろう。
喜び(終戦)も悲しみも込められた戦争の記録。
今月はこの日記も、毎日書くのは益々難しくなりそうだ。