6月2日(土)~3日(日)の大和山立教100年祭に家内と参加してきた。
大和山とは正式名は松緑神道大和山と謂う。新宗連(新日本宗教団体連合会)に加盟している。大正7年に青森県東津軽郡の山奥、平内町大字外童子に誕生した新興宗教で、今年立教100年を迎えた。私は結婚した折に、義父から入信をすすめられた。私の実家は仏教の浄土真宗だったが、宗教には無頓着であったので、家庭平和の為に、すんなりと入信した。爾来60年で大和山が立教100年祭を迎えることには、些か感概がある。
6月1日(金)
昼の11時頃家を出て、東北新幹線、上野駅12時j26分発の「はやぶさ21号」に乗り、新青森~青森を経て青い森鉄道に乗り換え小湊駅に16時25分に着いた。途中、新青森で教友の鷲山さん夫妻と一緒になる。
お山のバス小湊発16時45分に乗り、本部についたのは17時05分頃。早速受付を済ませて宿舎の五光館に入った。宿舎は男女別なのでここで家内と別れる。男性は5階へ、女性は2階へ。もう大勢来ていると思ったが、30人位も寝られる部屋に居たのは教友の布施さん只一人。そこへ鷲山さんと私が入って行ったので布施さんは大喜び。今夜は、この大部屋に只一人で寝るのかと思い、心細かったとのこと。後で、沖縄からの人が一人来て我々の部屋は4人なったが、両隣の部屋では、同じ広さの大部屋に夫々只一人づつだった。女性のほうも同じで、大きな部屋に鷲山夫人と家内が只二人で泊まることになった。一大行事があるのに、何故、こんなに人がすくないのか?その訳はすぐに分かった。皆さんはお利口でプログラムをよく読んでいたのだ。本番が始まるのは午後からであるので、”前夜からくる必要はなし”としたのであろう。それはともかく、その日は少し離れた瑞雲閣の食堂で夕食を録り、風呂に入って寝た。
6月2日(土)
朝、6時に起きて朝の拝礼に行く。朝食は弁当。例によってパンとおにぎり。今朝になると、夜行バスで来た人たちが多数到着した。行事は午からなので、午前はある意味自由時間。バスが出るというので奥宮参拝コースに参加した。行き帰りはバスだからよかったが、バス下りて空の奥宮までの階段の上り下りびは少しならず苦労した。が、よい運動にはなったと思う。奥宮参拝は何年振りかだった。
祭儀は神集閣で、13時開場、祭儀そのものは14時頃から葯1時間、その後、教主様のご垂教があって16時頃終わった。
直会は屋外の特設会場で17時~19時30分まで。各自、祝膳を貰って自由に席に着き、お酒も飲んで勿論無礼講。 舞台ではプロの演芸、宮古島の琉球民謡や島唄、華麗な花柳流の踊りや長唄があり、舞台下ではエイサーや ねぶた で大いに盛り上がっていた。この日は五光館はほぼ満員。行事の時らしい雰囲気で楽しかった。
6月3日(日)
この日は、朝8時開場で神集閣で式典があった。8時40分から約30分ビデオ上映がありその後、式典が約Ⅰ時間。布教師任命、功労者表彰が主だった。その後は、この信仰が三代・四代続く人達の記念撮影会などがあったらしいが、我々一般は自由行動で、帰る支度をして、記念イベントに参加すべく屋外特設会場へ集まった。
イベントは12時~14時まで。舞台では昨日に続いてプロが登場。津軽手踊り、津軽民謡、津軽三味線が演じられた。いづれも良かったが、とくに津軽三味線はこころに響いた。思い出すと、50年前の立教50年祭には、かの名匠高橋竹山さんがお祝いに来られて、津軽三味線を豪快に演奏された。その響きは未だに心に残っていたが、この度のお弟子さん達の演奏は、それを十分に思い出させてくれた。舞台下のねぶた運行もよかった。
イベントは時間通りに終わったので、本部発14時50分のバスに乗って下山した。
バスは予定より早く出たので、青いも森鉄道はⅠ本早いに乗り、八戸でⅠ本早い新幹線に乗ろうとしたが、それは満席だたので、1時間ほど待って、予定通り、東北新幹線八戸発17時06分の「はやぶさ32号」に乗った。
この電車の1号車で教友の田中敦子さんと一緒になったのは偶然だった。
上野へは19時58分着、東船橋へは21時頃到着。家に帰ったのは21時20分頃。
私は、大和山は、立教50年祭にも参加したが、50年前は大和山境内は建物が少なかったので広ーく広場がとれた。それで一大イベントをやる時は、全国の教信徒を一回に一括してその広場に集める事が出来た。お祝いも各教区、各支部のPR的な物もありそれなりに盛り上がっていた。
しかし、今は必要な殿堂、学舎、宿舎などの建物が多く建って、広場が無くなったことは、教勢が発展したということなので、これもおめでたいことです。また、何につけ、近代化していることも良いことだと思います。
私は、この度、」珍しくカメラを持って行ったのですが、宿舎に忘れたりして、1枚もとりませんでした。ですが、帰る前に、瑞雲閣で一緒にアイスクリームをたべているところを、教友の蜂谷さんに撮ってもらったのが、この写真。唯一の100年祭参加記念です。
この100年祭の間、健康状態を心配していたが、現地に来ると心配の種の咳も痰も出方が少なく、安堵すると共に、些か自信がついた。