謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

大和山立教100年祭に参加

2018年06月19日 | 大和山

6月2日(土)~3日(日)の大和山立教100年祭に家内と参加してきた。
大和山とは正式名は松緑神道大和山と謂う。新宗連(新日本宗教団体連合会)に加盟している。大正7年に青森県東津軽郡の山奥、平内町大字外童子に誕生した新興宗教で、今年立教100年を迎えた。私は結婚した折に、義父から入信をすすめられた。私の実家は仏教の浄土真宗だったが、宗教には無頓着であったので、家庭平和の為に、すんなりと入信した。爾来60年で大和山が立教100年祭を迎えることには、些か感概がある。

6月1日(金)
昼の11時頃家を出て、東北新幹線、上野駅12時j26分発の「はやぶさ21号」に乗り、新青森~青森を経て青い森鉄道に乗り換え小湊駅に16時25分に着いた。途中、新青森で教友の鷲山さん夫妻と一緒になる。
お山のバス小湊発16時45分に乗り、本部についたのは17時05分頃。早速受付を済ませて宿舎の五光館に入った。宿舎は男女別なのでここで家内と別れる。男性は5階へ、女性は2階へ。もう大勢来ていると思ったが、30人位も寝られる部屋に居たのは教友の布施さん只一人。そこへ鷲山さんと私が入って行ったので布施さんは大喜び。今夜は、この大部屋に只一人で寝るのかと思い、心細かったとのこと。後で、沖縄からの人が一人来て我々の部屋は4人なったが、両隣の部屋では、同じ広さの大部屋に夫々只一人づつだった。女性のほうも同じで、大きな部屋に鷲山夫人と家内が只二人で泊まることになった。一大行事があるのに、何故、こんなに人がすくないのか?その訳はすぐに分かった。皆さんはお利口でプログラムをよく読んでいたのだ。本番が始まるのは午後からであるので、”前夜からくる必要はなし”としたのであろう。それはともかく、その日は少し離れた瑞雲閣の食堂で夕食を録り、風呂に入って寝た。

6月2日(土)
朝、6時に起きて朝の拝礼に行く。朝食は弁当。例によってパンとおにぎり。今朝になると、夜行バスで来た人たちが多数到着した。行事は午からなので、午前はある意味自由時間。バスが出るというので奥宮参拝コースに参加した。行き帰りはバスだからよかったが、バス下りて空の奥宮までの階段の上り下りびは少しならず苦労した。が、よい運動にはなったと思う。奥宮参拝は何年振りかだった。
祭儀は神集閣で、13時開場、祭儀そのものは14時頃から葯1時間、その後、教主様のご垂教があって16時頃終わった。
直会は屋外の特設会場で17時~19時30分まで。各自、祝膳を貰って自由に席に着き、お酒も飲んで勿論無礼講。 舞台ではプロの演芸、宮古島の琉球民謡や島唄、華麗な花柳流の踊りや長唄があり、舞台下ではエイサーや ねぶた で大いに盛り上がっていた。この日は五光館はほぼ満員。行事の時らしい雰囲気で楽しかった。

6月3日(日)
この日は、朝8時開場で神集閣で式典があった。8時40分から約30分ビデオ上映がありその後、式典が約Ⅰ時間。布教師任命、功労者表彰が主だった。その後は、この信仰が三代・四代続く人達の記念撮影会などがあったらしいが、我々一般は自由行動で、帰る支度をして、記念イベントに参加すべく屋外特設会場へ集まった。
イベントは12時~14時まで。舞台では昨日に続いてプロが登場。津軽手踊り、津軽民謡、津軽三味線が演じられた。いづれも良かったが、とくに津軽三味線はこころに響いた。思い出すと、50年前の立教50年祭には、かの名匠高橋竹山さんがお祝いに来られて、津軽三味線を豪快に演奏された。その響きは未だに心に残っていたが、この度のお弟子さん達の演奏は、それを十分に思い出させてくれた。舞台下のねぶた運行もよかった。

イベントは時間通りに終わったので、本部発14時50分のバスに乗って下山した。
バスは予定より早く出たので、青いも森鉄道はⅠ本早いに乗り、八戸でⅠ本早い新幹線に乗ろうとしたが、それは満席だたので、1時間ほど待って、予定通り、東北新幹線八戸発17時06分の「はやぶさ32号」に乗った。
この電車の1号車で教友の田中敦子さんと一緒になったのは偶然だった。
上野へは19時58分着、東船橋へは21時頃到着。家に帰ったのは21時20分頃。

私は、大和山は、立教50年祭にも参加したが、50年前は大和山境内は建物が少なかったので広ーく広場がとれた。それで一大イベントをやる時は、全国の教信徒を一回に一括してその広場に集める事が出来た。お祝いも各教区、各支部のPR的な物もありそれなりに盛り上がっていた。
しかし、今は必要な殿堂、学舎、宿舎などの建物が多く建って、広場が無くなったことは、教勢が発展したということなので、これもおめでたいことです。また、何につけ、近代化していることも良いことだと思います。
私は、この度、」珍しくカメラを持って行ったのですが、宿舎に忘れたりして、1枚もとりませんでした。ですが、帰る前に、瑞雲閣で一緒にアイスクリームをたべているところを、教友の蜂谷さんに撮ってもらったのが、この写真。唯一の100年祭参加記念です。  

            

この100年祭の間、健康状態を心配していたが、現地に来ると心配の種の咳も痰も出方が少なく、安堵すると共に、些か自信がついた。


命日参山

2015年02月05日 | 大和山

2月1日は義母北本トミの命日で、毎年青森の大和山へ参山して参詣をしています。今年はその他にわが体力の如何を計る為にも非常に意義があったと思う。昨年に比べて頓に衰えてきており、昨年10月以降は、足のむくみ、胃の不調に悩まされてきていたし、一時は極度の食欲不振にもあっていたので、気にしていてところでした。

それが、1月20日に船橋総合病院へ紹介されて、薬を処方されて以来、徐々に良くなり、、出発時の1月31日には足取りも軽く、胃の調子もよく、何ら問題はなかった。医療の現場の違いは如実なものがあります。それにしても、これはまさに天地の差、こんなに違ってよいものか?とさえ思える。まだ元通りには程遠いが、座る事は出来なくとも、しゃがむくらいは出来るようになった。このまま船橋総合病院で行くつもりです。

という次第で、青森行きはなんの支障もなく、おまけに今回は非常に温かかった。もともとこの時期は厳寒の季節であり朝夕は特に寒く,難渋の旅だが、今年は自分の体調を十分に考慮して、贅沢にも、浅虫温泉一泊の旅とした。一昨年までは日帰りの苛酷な旅だったが、体調不調の昨年は青森一泊とし、今年はさらに1ランク上げて温泉一泊の旅となった。当然ながらなまことに楽な大名旅である。

厳冬の時期なので重装備で行ったが、オーバーの着過ぎの感じで暑くさえ感ずる時もあった。12月には例年以上の大雪だったと云うが、地面に雪のない所もあり、春近しの感じも。光霊殿での参拝、五光館でのお参りを終え、お祓いをしてもらった。そのあとで、神集閣によってOさんご夫妻と記念写真を撮り、りんごのお土産を貰って下山した。帰りの時間行程は一昨年までと変わりないがとにかく身体が楽でした。

        

   お山の雪もこんな程度に溶けていた        小湊駅前は道路が出ている

 翌々日の3日(火)は医療センターへ船橋総合病院へ行った結果報告。病院同士のやり取りは無かった模様。聞かれるままに処方された薬を飲んで以後順調、経過は大変に良いと報告した。その後、天野医師は足のむくみは船橋総合病院へ行き、その他は、また青山病院へ任せろとのこと。断固反対。何度言っても、胃を医療センターで診る気はないらしい。しかし、これも粘りだ。青山病院へは断固戻らない。それと緩和ケアーについて質問したが、どうも答えにならない。近く癌患者懇親会があるようなので、それに出て質問する積りだ。緩和ケアーは癌患者には大事なことである。


第42回東京東部支部バザー

2011年11月07日 | 大和山

松緑神道大和山東京東部支部のバザーは今年で42回目。第1回目は10坪くらいの面積の中で始めたものが、今では江戸川区興宮公園と隣接する多目的広場を借りて25張りの天幕を張っての一大イベントになりました。この間、私も実行委員長を数回やらせられ苦労はあったが、充実した達成感を味わったものでした。

例年、この時期はお天気がよくて、雨降られたことは数回しかない。今年は1週間前から天気予報が悪いので皆、雨降りは覚悟はしていました。前日の準備は1日かかる。前夜と当日の夜、雨の夜に車を運転して帰ることは、歳をとった昨今は気になるところでした。しかし、皆さんの日ごろの精進の良さが天に通じたのか、当日の朝はかなりの降り方だったが、次第に雨足が細くなり、バザー開始準備に入る頃は雨は全く止んで何等支障はありませんでした。

バザーは10時から14時までの4時間で、例年通りに盛会のうちに終わりました。私は10年くらい前から売り手はやめて、場内のコミ整理を率先してやっています。出るゴミを選別した箱に捨ててもらうように設備して、集まった各種ゴミを東京都のゴミ収集袋に入れて1箇所に集積するという仕事です。この仕事は始めは暇なくらいですが、食べ物が出回ると結構忙しい。最も忙しいのはバザー終了後です。各持ち場から分別も何もしないゴミがゴサっと持ち込まれる。うるさく言って最近はかなり良くなったが、まだその傾向は残っている。再生品のダンボールもゴサっと置いてゆく。また、この時間は各持ち場は後始末に忙しいので応援の手を求められない。他の部署の後始末が終わる頃にゴミの仕事も終わる。

この間、雨は2~3滴顔に当たったことが1回くらいあったが、後はなし。物資、物品を運び返す最終作業が全部終わる頃にシトシトと降り出した。しかし、帰る頃(18時頃)は殆ど止んで、気にしていた夜の運転は何の心配もなく、少し遠回りして教友を送って無事帰りました。

写真を撮りました。しかし、本番中は忙しいので撮られない。すべて準備中のものです。

  

 ガーデンコーナー朝の準備       日曜雑貨、品物陳列中

             やきそば 製作開始 

前日の資材運搬、天幕組み立て、売り台設置、品物運びなどこちらのほうが大変な仕事ですが、写真撮る暇がなかった。


大和山東京東部支部壮年部研修会

2011年02月27日 | 大和山

昨日26日(土)~今日27日(日)にかけて、大和山東京東部支部壮年部の研修旅行に行ってきました。毎年行っているが今年で何回目か。ユートピア笠森、ニューハワイ、浜紫などでやってきたが、今年のサンライズ九十九里はホテルとしては一番良かったかな。ただ、物足りないのは所定の場所から全員バスに乗って、到着までの懇親が出来ないことか。各自、車に分乗して行くことになった。

枯葉マークをつけて高速道路を走るのはちょっと面映ゆかったが、それは始めのうちだけだった。案外に空いていたので思ったとり早く着いた。時間があったので海岸へ出てみたが、外房はやはり波が荒い。砂浜は海水浴に適して、広さも十分で良いが、夏でもこんなに波が荒ければ、あまり良い海水浴場とは言えないかも。

ホテルは部屋も浴場も宴会場も廊下も綺麗で、カラオクの器械もよくて皆さん好評でした。総員19名、65歳以上が11人もいたが、みんな大元気で楽しむことが出来ました。

      

サンライズ九十九里全景     裏の砂浜        宴会風景


命日参山

2011年02月02日 | 大和山

2月1日は義母北本トミの命日なので、毎年オカミと大和山本部の光霊殿に参拝しています。

朝、6時34分上野駅発。東北新幹線はやて11号で出発。新青森行きに乗るのは初めて。車内は随分空いていた。八戸までは順調に行ったが、それから先八戸から小湊までの、青い森鉄道の電車が雪のため遅延して、当たり前なら50分待つところを2時間も待たされた。青い森鉄道というのは第3セクターで、八戸から青森までのJR東北本線の駅舎・軌道等の設備をそのまま使っている。見たところさほどの降雪でもないのにと思った。やはりJRほどの力がないのか。私は北海道育ちで、父が国鉄の保線区に勤務していたので鉄道の雪対策はよく見聞きしているので本当にそう思った。1時間10分遅れで小湊に着いたのは12時30分でした。

とはいえ、12時45分の本部バスがあったので光霊殿の命日参拝の時間には間に会った。本部は大変な雪でした。今年は寒いので、降った雪が融けないので累積したとのこと。寒さは覚悟していったが、やはり肌に刺さり方が違う。小湊駅からの往復もバスで送ってもらったが、雪道で運転は大変なことでしょう。

         

     雪の小湊駅        雪の五光館、天峰閣付近    雪の本部入口

天峰閣での参拝も終えて(その前に中村隆さんに挨拶)15時45分のバスで下山。雪はず~と降ったり止んだり。

青い森鉄道は帰りの電車も遅れた。22分遅れで、八戸からの新幹線には丁度乗り遅れ。緑の窓口で後発の特急券と取り換えた。予定より56分遅れの18:57八戸発のはやて40号。家についたのは23時頃。それでも待ち時間分ゆっくりしたためか、さほど疲れなかった。


渋谷正三さんの死

2010年10月13日 | 大和山

10月9日、大和山教友の渋谷正三さんが逝去されました。
自衛隊出身で戦中派の私でも辟易するような硬骨漢でした。
昨日(12日)告別祭と55年祭に参列しました。
自分より若い人の死はとても辛い。
渋谷さんは、凄い書の達人でした。

これは今年の年賀状で頂いた「不死鳥」生き文字です。

             

諸人の死は永久の滅びならず 世の旅終えて帰る魂

どこの世でも不死鳥のようにたくましく生きよう

 


慰霊祭

2010年07月25日 | 大和山

今年の慰霊祭は札幌支部は7月17日でした。

16日の午後2時の新幹線で発ち、6時20分にうあ小湊に着いた。お山の送迎バスが丁度よい。6時50分には本部着、すぐに慰霊書を提出して宿舎(五光館)へ行き、旅装を解いて夕食(臨時出店)に向かう。五光館の階段を下りると、14日から奉仕に来ているオカミに会った。バスの到着が予定より早かったので、その時は会えなかった。夕食は松風塾高校生の作るうどんとホタテで軽くすませた。

東京は35℃もあり、すごく暑かったが八戸に降りた時は半袖では寒いくらい。それでもお山はさらに北なのに、半袖が丁度よいくらいで、寒くも暑くもなくよく眠れた。

慰霊祭は17日、9時~12時20分で終了。臨時バスが13時20分頃出たので、予定より早く下山。八戸16時10分の新幹線で帰ってきました。帰宅時間は予定より2時間早かった。


合同新年会ほか

2008年01月14日 | 大和山
昨日は大和山東京教区の合同新年会。
朝から寒い日だったが、心配したような発作は起こらなかった。
ただ、気のせいか、上胸部と左肩・左上腕部に違和感(苦痛ではない)があった。
しかし教友で心配してくれた方もいたが、一日無事。
新年会では沖縄慰霊祭と立教90年記念行事参加のことで盛り上がった。
近頃は、行事にカメラを持って行かない癖がついたので、いつもその場で後悔します。
参加人員の目標などは、もっと落ち着いて時間もあり、話し声が十分届く環境で議論しなければいけませんね。
それでも、本部から来られた佐藤豊風先生は何等かの感触は得られたと思います。

14時ごろ帰宅。
15時に娘と孫2人が、遊びに来た。娘は薬を持ってきてくれた。
夜は、焼肉屋へ行った。これは我が家では初めてのことです。大体我々夫婦は玄米菜食主義で肉は普通は食べません。いろいろ批判はあると思いますが、ここ30数年間はこれで過ごしてきている。
この度、不覚にも異型狭心症などと言う病名をもらったが、今までの元気の元は、
この食生活によると思っています。
それは、そういうことですが、この店の肉は美味しかった。
久し振りに、ご馳走して上げる筈だったが、反対にご馳走になってしまった。
子どもも大きくなって、嫁に行って、子供を育てるとすっかり大人ですね。
ご馳走になったのは初めてではないが、この度は、何故か、凄く幸せ!


大和山・大相撲

2006年07月24日 | 大和山

マナイゲルの会報も一段落した。

昨日は朝から大和山東部支部の壮年部例会に出席した。年末の研修会に備えて先日、下見をしてきたが、皆さんが予想外に冷めているのに少なからず驚いた。もう我々の時代ではないことを痛感した。何によらず、偏った考え方を持つ集団は駄目だね。

それは、まあいいとして午後から畑に行って草取りをした。お互いに身体を動かしている時は気持ちがよいのか、軽口が出て楽しい。作業後、皆は風呂に行ったが、私は車なのでまっすぐ帰った。

帰ったのは16時半頃。大相撲千秋楽の真っ最中だった。今場所は話題が多くて楽しかった。が、白鵬の横綱見送りは納得ゆかない。「二場所続けて優勝か準優勝」の条件は充分満たしている。途中まで2敗で朝青龍に独走を許したことが準優勝と認められないというのなら、全く変なはなしだ。星の差はひとつで単独2位だ。これが準優勝でないのなら、準優勝とは一体何だ。相撲内容も申し分ない。横綱大関にすべて勝っているではないか。

               

横綱昇進の条件「二場所続けて優勝か準優勝」とは何なのか?千秋楽結びの一番で朝青龍を破ったあとの座布団の雨は何だったのか?

規則通りばかりが良いとは思はないが、大相撲協会の本当の考え方がわからない。

自分の生活には何ら関係ないが、どうも気分が悪い。

 


不滅の法灯献油式

2005年10月31日 | 大和山
比叡山に1200年間灯り続ける法灯の献油式に参加した。
21年前に当時の延暦寺お座主さまと、大和山教主との間で不滅の法灯の原料である菜種油を1000年間献油するという約束が交わされ(というわけで、この菜種油を千年油と言っている)今年は21回目になる。
今年も菜種油540ℓと、修業僧用の草鞋3000足、蓮華笠一対が贈られた。
菜種油は印度、中国、韓国、日本の四カ国産菜種の混合油である。
特に今年は天台宗開宗1200年ということで、根本中堂での献油式の後、大和山による慶賛大法会祭儀が行われた。
開宗1200年ということでもあり比叡山側からも、お座主さまを始め護摩師、導師など色々な位の高僧と思われる方々から挨拶やお礼の言葉が述べられた。
神式たると仏式たると問わず、同じ目的に進む二つの教団の儀式はやはり感動的だ。比叡山の霊気にも触れたような気がして涙が出そうだった。
祭儀のあと根本中堂前の広場で奉納のアトラクションがあった。
黒石よされ、ヨサコイソーラン、青森ねぶたの3余興だったが、中でも圧巻はやはり豪快勇壮なヨサコイソーラン。「北光舞神」というチームだが小泉校長はご存知だろうか?カメラを持っていかなかったのが残念。
下の写真は、上の儀式やアトラクションが行われた根本中堂。

   

このあと、琵琶湖グランドホテルでレセポション(と言っても和室で宴会のようなものだが)があり、その場の抽選で松華さま(現教主のご母堂)の直筆の色紙が当たった。こんな無信心(殆ど信じていない)な私にどうしたことだろう?