謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

夏は来ぬ?

2005年06月30日 | 雑記帳
朝9時、今年初めてエアコンを入れた。

寒さ暑さが交互の6月上旬を経て、北海道で寒いくらいの涼しさに遭い、そうかと思えばカッと照らされたり、船橋に帰ればカラ梅雨のはなしばかり。それでも2日ばかり降った。翌日からは30℃を越す真夏日が続き、テレビもラジオも水不足のボヤキがしきりだ。それなのに西の方では大水・洪水の被害。船橋は昨日も今日も雨、蒸し暑くて如何にも梅雨のまっ只中という感じです。
水不足の話は近年珍しいような気がするが、じめじめ降ったり、急に強烈に照りつけたり、急に降って洪水になったり、やはり夏が来た?

季節感がなくなってきているというのは錯覚だ。今年も確実に冬~春~夏と順調に来ている。

今年はおかしい などと言ってはいけない

なにも おかしくないよ。 ちゃんと夏が来てるじゃないの。 
  梅雨が明けたら また暑いぞ~

札幌回顧

2005年06月28日 | 旅先
昨日、中島君から合同手稲会の報告文、収支報告、剰余金、それに写真などを送ってきた。写真は竹田君の撮ったもので機械と腕の良さは抜群。前の日にこちらから送った写真が悔やまれる。
今日はその送った写真について植村君と中島君からお礼の電話がきた。さらに林君からも写真が送られてきた。まだ2週間くらい前のことだが、友情の軌跡はいつ見てもなつかしい。
なつかしついでに、札幌の公園を回顧しよう。
これは札幌南郊外にある「国営すずらん丘陵公園」である。その名のとおりすずらんが咲いていたがそれ程の群生ではない。
綺麗だったのは上の写真にもあるチュ-リップと、下の写真にあるラベンダー。


   この紫がラベンダー、前後は紅白のチューリップ

有珠山噴火の跡

2005年06月23日 | 手稲会
今日も10日間ばかり過去に戻り、有珠山の噴火跡を思い出そう。
有珠の噴火は2000年というから5年前、地殻が変動して約75メートルも盛り上がったとのこと。それに付随して沈下した国道跡もはっきり見られた。
直接、被害を蒙った工場や民家を目のあたりにし、自然の造山運動の脅威を感じた。
この噴火跡は一見の価値はある。


    このような噴煙はあちらこちらに見られる


    直接被害をうけた「わかさいも」の製造工場


黒澤牧場

2005年06月22日 | 手稲会
10日以上過去になるが、11日の黒澤牧場での合同手稲会は携帯電話からのブログで、写真もなかったので再記載したい。

札幌組は24人(内夫婦5組)、東京組12人(内夫婦4組)計36人
喜寿に手の届くようなメンバーのクラス会としては、よく集まったほうだろう。
場所は北海道空知の黒澤牧場、美しい緑に囲まれて澄んだ空気の元に、新鮮な肉と野菜のバーベキュー。自家製のバター、チーズ。ウイスキー、ビール、ワインと共にそこにあった酒は「越の寒梅」、感激の極みであった。
この歳になれば暴飲暴食はないが、結構充分に盛り上がり、久し振りの再会を喜び合いながら楽しい時を過ごした。宴のあとは牛舎を見学して閉会。

バスで新千歳空港まで。ここで札幌へ帰る組11人はそこで下車、洞爺へ足をのばす組25人はそのままバスで洞爺まで。




   ご夫人方も和気あいあい(右に立っているのがオカミ)

      牛舎 牛が200頭いるそうな。

写真は私が撮ったので、私は写っていない。そのうち誰かから送ってきてから載せよう。


清水君からこの写真を送ってくれた。




YOSAKOIのこと

2005年06月21日 | ウオーキング
 6月10日、札幌へ行く飛行機内で埼玉県のYOSAKOIチームと会う。チーム名は「いぶき組」、
キャプテンの新井伊吹さんの名前からつけたとのこと。女性6人、男性1人の小人数ながら大張り切りの面々。キャプテンの新井伊吹さんは、息子さんが京成船橋駅の近くに勤めていたと言うから小泉先生と同じくらいだろうか。足首を捻挫して包帯をまきながらもファイト満々、頭が下がります。何ごとも一生懸命は見ていて気持ちが良い。

そこでYOSAKOIだが、私たちがクラス会を終えて大通りに到着したのが12日の16時30分頃。大通りはYOSAKOIの踊り子と見物人で溢れかえっていた。運良く桟敷席に上がれたが、もういい所は終っていた。「学生」と書いた大きな幕を持った人を先頭に全部が学生だろうか、数え切れないような大人数で続々と続く。
人数の多いのは結構だが、この人達は「鳴子」を持っていなかった。もう疲れてしまったのか、動きが小さく、それも単純で小学生の遊戯を見ているようで迫力も感動もなかった。「参加することに意義あり」ならそれでもいいか。それが、人数が多すぎてなかなか終らないので困った。
しかし、大通り8丁目の特設舞台でのコンテストは大迫力で目を見張る。ただ残念なことに見物席の観覧券は売り切れ。「立ち止まらないで下さいー」と叫ばれながら周囲を廻る。
審査会の会場を「立ち止まらないで下さいー」と言われながらぐるぐる廻っている中に、所沢の「武蔵滝風」と云うチームが出てきた。ここでその名前を聞くとなんとなくなつかしい。それでも足を止めるわけにはいかない。同じ関東という贔屓目なしにこのチームの踊りは素晴らしいと思った。CHIよREN北天魁を探したが見当たらない。そうこうしている中にオカミが疲れてきたので、見物をやめて帰った。
最初にYOSAKOIを見たのは同じ札幌で6年前。年々盛んになっているのは分かっていたが、凄かった。が、もう少し見物人にたいして配慮が欲しい。見物人も踊り子と同じ位にYOSAKOIが好きなのだから。







船橋へ帰った

2005年06月20日 | 雑記帳
新千歳発15:35 羽田着17:05、船橋へ帰った。途中食事をしたので家に帰り着いたのは19:30。
ブログは矢張り携帯からよりパソコンからのほうがやり易い。今日は少し疲れているので明日、写真などを含めて10日間の総合報告としよう。

明日は帰る日

2005年06月19日 | ウオーキング
あっと言う間の10日間、明日は船橋へと帰る日、昼前に林君が草餅を持って来てくれた。後から聞いたが作ったのは奥さんぢやなくて林君本人とのこと、ビックリしたなーもう。 午後は5キロばかり離れている義妹・義弟の家まで歩いて行った。薄曇りで歩きには適していたが風がもう少し欲しかった。ここで土産を貰って帰る。帰ってから宅急便を作る。 夜は義弟も下りて来てくれて一杯。

エレモ沼公園

2005年06月18日 | ウオーキング
今日はイサム・ノグチが設計したと謂うモエレ公園に連れて行かれた。10時に家を出て札幌駅で7月の慰霊祭の切符をかってから行ったので公園着が12時。この公園は大きくて素晴らしいが食べる所がない。あるにはあるが、1軒しかなくて今日は予約で一杯。家族連れなどが手弁当で来ているようだ。今日は18日なので朝飯抜きで来ていたので参った。公園は一寸覗いただけで引き返し街中の食堂に行くことにしたがこれが目茶苦茶遠いのだ。朝飯抜きで14時半まで飲まず食わず。目眩する程腹が減った。昼の冷酒の効いたこと、効いたこと。何時もの3倍は効いた。

祭りの跡

2005年06月17日 | ウオーキング
今日の昼前は、オカミが美容院に行ったので留守番をした。その間に河井君が風呂敷を持ってきてくれた。ホームページも新たに立ち上げて風呂敷の創作を始めるらしい。彼のやることは何をやっても半端じゃないので楽しみだ。昼から少しクイズをやってから散歩にでた。中島公園に祭りの跡を見にいく。途中、林君の所に立ち寄った。先に義弟達が行っているのであまりやっくり出来なかったのが残念。中島公園に行って驚いた。出店が綺麗になくなっていた。見世物小屋は骨組みを残すのみ。昨日までの祭りの余韻が少しは残っていると思ったが。それでよし

すずらん丘陵公園

2005年06月16日 | ウオーキング
今日は、昼前は義母の薬の種分けと配分に費やした。 午後は義弟と郊外の滝野すずらん丘陵公園に出掛けた。国営の公園で実に広々としている。チユーリップは今が盛り、千葉より2カ月近く遅い。それと共に少し早いラベンダーが綺麗に咲いていた。平日なので園内は人は疎ら、なにか勿体ないような気がした。はじめは、広い園内をウオーキングするのが目的だったが花があまりにも綺麗なので花見にかわってしまった。まだこの公園は全体が緩い傾斜になっていて冬はスキーやソリを楽しめるそうである。北海道ならではと云おう画札幌ならではと云おうか。