謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

早朝ウオーク

2008年08月23日 | ウオーキング

今日は久し振りに船橋歩こう会の例会に出ました。                               例会名は「早朝ウオークPart2」。 私としては今年は7月以来とにかく歩きには出ていないのでPart2にはならない。

お天気は、歩きには最適の曇りで風も適当で条件は最高。220人以上の参加者が集まりました。8月としては多い方だと思います。いつもの通り、リーダーの挨拶、会長の挨拶、コース説明、ストレッチの後、新鎌ヶ谷駅前広場を8時前に出発、貝殻山公園~八幡春日神社~根頭神社~南部公民館~妙蓮寺~東部公民館~鎌ヶ谷大仏~鎌ヶ谷八幡神社(ここで解散)距離は11km。

しばらく歩いていなかったので、皆について行かれるか心配だったが杞憂でした。久し振りなのでとても気持ちが良かった。暑いのを嫌って2ヶ月近くも歩いていなかったのが悔やまれたし、人と話をするのがとても楽しかったです。やはり動かにゃ駄目だ。

          

         いつもの受付光景        東部公民館で休憩、これもいつもの光景


夏も盛り

2008年08月16日 | 雑記帳

夏も盛り。オリンピックと高校野球も今が盛り。テレビでは毎日感動の場面が続き、目が離せません。スポーツ特有の熱気と涼気が交々やってきて観る者を飽きさせない。

一方、8月は終戦の月、毎年この月は終戦の頃の思い出と、これに関わる行事が一杯です。

8月6日、9日の広島、長崎への原爆投下、それに対して夫々の惨状を語り継いでの平和祈念。あやまち(日本もアメリカも)は2度と繰り返しませんとの非戦の誓い。中でも今年は、元米軍兵士が撮影した長崎での、弟を火葬に付す直前の少年の写真は涙を誘う。

15日は終戦の日で、高校野球も正午には試合を中断して戦没者に黙祷を捧げる。 戦後63年、終戦の時の思いは年月を重ねても色褪せることはない。

南方の島々で、洋上で、中国大陸で、旧満州で、樺太で、シベリヤで艱難辛苦の末、遂に帰らなかった同胞を思うとき、戦争の愚かしさと罪悪をつくづく思う。

15日には国主催の慰霊行事があるが、前日の14日には新日本宗教団体連合会と新日本宗教青年会連盟主催で「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典」が国立千鳥が渕戦没者墓苑で行われる。終戦直後から行われたものではないが、今年は第43回です。時間は17:30~20:00近くまででやや涼しくなりかけた頃からで、政治家の出席も多く、各宗教団体から多数の参加者が集まります。

               

         PL教団の祈り             松緑神道大和山教団の祈り

           

           主 賓 席                   開式直前の会場

       8月は旧盆の家庭も多く、追悼の月でもあると思います。

 


観るのに忙しい

2008年08月10日 | 雑記帳

毎年8月は高校野球があるから、テレビを見る時間が長くなります。

また、終戦の月でもあり広島・長崎の原爆犠牲者慰霊、その他終戦番組があって、そちらも見ることになる。

おまけに今年はオリンピックが始まったのでテレビに釘付けになりがちです。健康に悪いし、眼も疲れるのは百も承知だがどうしてもそうなる。野球やオリンピックは何といってもも面白いです。

野球は一日中観ているわけいかないので、北海道と千葉県以外のは見ないようにした。健康上の理由ばかりでなくオリンピックが始まってしまったからだ。

高校野球では今日現在、南北海道の北海と東千葉の木更津総合が敗れたが何れも検討。北海高校は15安打を放ちながら相手(東邦)が強すぎた。木更津総合も相手(智弁)が強すぎた。だが、北北海道の駒大岩見沢と西千葉の千葉経大付属は勝ち進んでいる。駒大岩見沢は2回戦も勝っており、千葉経大付属は春のベスト4であり評価も高いので楽しみ。

オリンピックでは昨日、女子柔道46キロ級で谷亮子選手が準決勝でドゥミトル(ルーマニア)に敗れたのが返す返すも残念。

やはり、あれ程の選手でも加齢による衰えはどうにもならないのか。   微妙な判定に我々素人は納得ゆかないが、その道の人達は「仕方がない」と認めており、何よりも本人が異議なく受け入れているので、正しい判定なのでしょう。素人目に見ても往年の敏捷さは影を潜めていた。       しかし、ママでもメダルだ!。

               

   3・4位決定戦では見事に1本!          ママの銅メダル

過去、オリンピックでは2個、世界選手権では7個の金メダルの実績は不滅の輝き。まさに空前絶後、こんな人はいない。


時間つぶし歩き

2008年08月03日 | ウオーキング

 今日は大和山の月例会。                                     

役員を辞めた現在はそんなに早く行く必要はないが、オカミが色々と用事があるので、朝10時前に道場に着いた。さあ、それからが時間つぶしです。幸いに本間さんが来て「ちょっと相談がある」というわけで、車を日陰に止めて、かねて懸案の九州旅行の打ち合わせを約1時間。

なかなか具体化しないままに打ち切って、あとは新中川の河川敷をウオーキング。

 ”この暑いのに”とは思ったが何もせずにいるのよりは楽だ。風も適当にあってそれ 程の酷暑ではない。河川敷には樹木もあるので立ち止まって休むことが出来る。千葉街道から2kmばかり川下に新鹿骨(しんししぼね)橋というのがあり、その橋の日陰を利用して将棋を楽しむ人達がいました。風はそよそよ、駒を吹き飛ばすようなことはなくそこは別天地といっても良いほど涼しい。見れば、将棋の台と椅子が7組くらいあった。日曜日なのに2組しかやっていなかったので、あまり知られていないのでしょう。

 本当に日本的で微笑ましい光景なので、写真を撮らせて貰いました。

 「写真を撮っていいですか?」と聞いたら「ああいいよ」

 ”なんせそんなこと聞くのかな~”というような顔をしていました。

          

       縁台ならぬ橋下の将棋            新中川河川敷


また、2週間

2008年08月01日 | 雑記帳
うっかり過ごしているうちに、あっと云う間の2週間が過ぎてしまいました。

「暑い暑い、今年の暑さは半端でない」と思っているが、外に出てみるとそうでもない。
しかし、家の中から見る外の反射っぷりに恐れをなして7月1日以来、一度も”歩き”をやっていません。
火曜日といえば用事が出来たりもしましたが。
その他、理由はありますが、1ヶ月も”歩き”をやらないと矢張り身体には良くないようです。

では、この2週間のこと。
7月20日には東京慰霊堂での大和山の慰霊祭に参加。
東京慰霊堂で大和山の聖歌を歌うというのはどんなものだろうか?ちょっと考えさせられました。

7月26日は「マナイゲルをつくる会」最後の拡大委員会があった。
会そのものは解散して公の認証も受けているが、モンゴルのジェンダーセンターからの事業報告がきていて、A・デルゲルマーさんも出席して説明を受けた。
モンゴルの子ども支援には、内外の諸機関や心ある人々が参加して、その成果は少しづつ上がっているようです。
そこで、解散したマナイゲルをつくる会」のメンバーも何等かの形でジェンダーセンターに協力することで一致しました。
会の名は「マナイゲルの会」

また、28日は、妹のことで船橋市精神保健福祉協議会の「オアシス」に井村所長を訪ねた。
ここ船橋にも福祉関係に多数の人々が携わっているっことを知ります。
ニュースでは、毎日のように刃物を振りましては「誰でもよかった」「ムシャクシャしてた」など・・・気持ちの判断もしようもないような事件が続いているが、他方では一層懸命に社会に貢献している人々がいることを知ります。


病院にはよく行った。この一月に8回です。
妹のことで青梅坂本病院へ1回、オカミのお供で医療センターに2回、行きつけの青山病院へは5回です。
このうち定期的に内科1回、泌尿器科1回、眼科2回。
あとの1回は今日8月1日のこと。

オカミが所属している全国婦人友の会のがあり、その支部で市川友の会というのがあります。その市川友の会で「平和を願う会」という催しをやり、船戸良隆さんという方に講演を依頼しました。
しかし、その方は船橋へ来る途中、お茶の水駅の階段で転び、顔面と手足を強打。駅員が救急車を呼ぼうとしたが、時間に遅れるといってそのまま来場しました。
そこでオカミから電話があり「13時頃、診察してもらえないか。その予約を取り付けて欲しい」と。
早速病院へ行って依頼したが、先方では友の会の趣旨も知らず、「平和を願う会」といっても関係ない。
あるのは病院の規則だけ。
それでも、友の会と連絡をとりながら本人の住所、生年月日を教えてもらって診察券を作ってもらった。
それは11時15分で午前の受付時間中だった。

だが、この時点で受付が完了したと思ったのが私の早合点。
そうではなかった。受付番号を貰っていなかったことに気付かなかった。
私は、友の会に「受付は終ったから、なるべく早くくるように」と連絡した。
本人は、講演を終えて昼食もそこそこに12時15分頃病院に来た。

ところが、「午前中の受付は終ったから、並んで午後の受付をしてほしい。午後の受付は13時からで診察は13時30分からだ」とのこと。
聞いていなかったが、船戸さんは13時30分からまた講演を予定されていた。
事情を話したが、聞き入れられず結局キャンセルして彼は講演会場へ戻った。
私のしたことは何にもならなかった。

これは、私の早合点。勘違いによる行き違いと反省します。
今までこれに似た経験は何度かあった。殆どうまくいっていた。
やはり加齢による注意力・集中力の欠如、伝達能力の衰退もあるかも。
病院側は規則に忠実に従ったまでのこと。