3回目の抗癌剤も投与から3週間を過ぎると、副作用もなくなり随分と楽になった。体力の衰えは日常の生活で随所に感じられるが、これは仕方がない。そんないいことばかりはないが、この度はいいことがあった。
5月23日は札幌の手稲会に東京手稲会員か自主的に参加した。以前は2年に1度、合同手稲会の名前でイベントを持ったが、寄る年波で身体に強制感が強くなり、気軽に自由にの感じで、勝手に参加出席することにした。今回は札幌手稲会の総会にお邪魔したわけです。
手稲会とは、終戦の年に旧制中学4年生(現在の高1に当たる)の時に、勤労動員先で終戦を迎えた仲間が、その後全国に(ある者は海外に)散っていたものが、1989年(平成元年)頃から集まり始めた同級生の会です。
母校が札幌一中(今の札幌南高)なので、会員は当然札幌に多いが、東京近県にも多かったので、札幌手稲会と東京手稲会とに分かれた。そして、夫々の手稲会は月1回の飲み会や、時に応じて会食しては、旧交を温めてきた。
その内に、亡くなった時に、令夫人の顔が分からなくては困る、ということで、会食は夫人同伴を原則とした。しかし、これはご夫人の性格もあり、強制するわけにもゆかず、あまり守られてはいない。年を経るごとに健康上の理由もあり、同伴するご夫人の数は年々減少している。会員本人も、死亡やら健康上の理由で減少している。
この度は、会員は札幌11名、東京4名。ご夫人の出席は私の家内と札幌のH夫人の2名だった。計17名。
クラス会は、12時から札幌の総会から始まったが、これは10分間くらいで終り。この後、約2時間の懇親会は、年輩者の集まりなので、酒量も少なく、比較的静かな雰囲気だが、幾星霜過し来し方の話しの内容は参考になる。その後は、ビンゴやカラオケで盛り上がり、終わってみれば16時。あっという間に4時間経過していた。 幹事さん、有難う!
今回の札幌行きは、クラス会が目的であったが、今後、会えるかどうか、という親戚に2件会ってきた。その中の1件は、最近、有料老人ホームに入ったので、住所がよく分からず、地図を頼りに訪ねていったが、なかなか探し出せずに困っていたが、たまたま出会ったタクシーの運ちゃんが「そこは分かるよ。だが少し遠い。乗りなさいよ。金は要らない」と言って乗せていってくれた。勿論、金はとらない。
最近は、歳とったせいか、どこに行っても親切な人は多い。しかし、こんな運ちゃんは初めてでした。
ところで、札幌の花。昔、私が居た頃は、5月の連休の頃に、円山公園の桜が満開だった。ですから、今回訪れた5月下旬はもう散っていている筈。それなのに
自転車公園で山桜が満開 少し離れて梅も満開
札幌へ行っても、私はあまりラーメンを食べない。いつでも食べられると思うからか? 後で後悔するので、この度は空港でラーメンを食べたが、空港にこんなラーメン街があるのを知らなかった。
帰ってきたのは5月26日。28日は妹の通院介護の件で、府中市役所へいくが、29日は4回目の抗癌剤治療の為に入院します。