謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

齢90歳に到達

2018年11月17日 | ウオーキング

あれよ あれよと言う中に、2018年11月14日90歳の誕生日を迎えました。
人生50年の時代に生まれ育ち、戦時中は”軍人半額25年”の最中に17歳で終戦を迎えたので、1年違いで徴兵もなく、命永らえて90年を生きてしまった。数年の違いで、戦火に散った先輩方には申し訳ないような一生です。
終戦後73年、上級学校受験、北海道での炭鉱生活、リストラ後の鋼管工事会社生活、定年後のアルバイト、趣味のウオーキング等々、どれもその時は一生懸命にやったと思うが、”私は何を残しただろう”の感じ です。

それでも、やはり、この世の皆さんは優しい。
子と孫たちが、一堂の会してして卆寿を祝ってくれました。場所は娘の嫁ぎ先、房総の いすみ市のお寿司店。
娘婿、娘、孫息子、孫娘二人、それに家内と私の都合7人。
私達は、もとは3人家族だったが、今は5人の子と孫に囲まれて、楽しいひと時をすごしました。
これは、その時の贈り物です。

 

中央は祝いの花籠(生花が加工されていて長持ちするとのこと)その手前は茶碗と湯呑。
一番手前は箸。何れも夫婦用です。

また、近所の吉田さんご夫婦からも、このお菓子のお祝いを頂きました。
有難うございます。

 

 この他に、現在私が所属している近所の”道路をつくる会”の皆さんにも、お祝いをして頂きました。
その時の、お祝いのケーキーを切っているのが、下の写真です。

また、サンズパソコン教室からも、毎年のことですが、誕生日お祝いのカードを頂きました。

 

皆さん、有難うございました。

皆さんのご厚意を忘れずに、これからも元気に生活してゆきます。

 


11月のこと

2014年11月30日 | ウオーキング

11月中には更新する積りが、つい月末になってしまいました。

11月の物事と言えば、先ずは大和山は東京東部支部の例年恒例のバザーになります。行ったのは11月2日(日)今年は45回目。もう支部の伝統になりました。行事に携わる人は年と共に遍歴してきたが、昔の人も点在しており、このバザーに寄せる精神と情熱は一貫して変わっていない。時に課題はあるが、皆の力でその都度克服してこの行事は続いています。これが”絆”というものか。感動しながら皆の活動を見ていました。     私は、前日の1日(土)は妹のことで、府中のうらら多磨で会議があり、一番忙しい前準備に出られなかった。出てもこの身体ではあまり役にたたないが、雨の降る中を、皆さん本当によくやったと思います。  当日は、ゴミ処理の仕事を手伝ったが、高齢なのと持病があるため、皆さんの好意で一足早く引き上げたので、今までのバザーでは一番楽をしました。

        

    開始前に朝礼。皆さん頑張って!         焼き鳥、焼きいか準備完了 

          

        バザーは笑顔が大切です             寛いで食事とお喋り

次は、私の健康状態ですが、これがよく分からない。11月10日(月)CT検査をやって14日(金)にその結果の説明を受けた。やはり病巣は同じ肺の中で転移はしていたが、元の腫瘍の大きさは約2、8mmとのこと。以前に医療センターで聴いた時は3.5mmと聞いた。何と小さくなっているではないか?その旨、医者に尋ねたら、「はっきりしたことはわかりませんよ」・・・・ ギャフン!

10月下旬くらいから胃痛を感じるようになった。夜明けなど空腹時に痛くなったり、食事中に痛くなったり、といかく痛い。10月31日(金)に主治医に診てもらった。胃潰瘍かも知れないと薬をもらった。同じ状態が続く中に11月5日(水)未明の2時頃、激痛がきた。救急に飛び込もうと何時もの青山病院に電話したが、「当番でないので診られあない」とのこと。医療センターに電話して受け入れられたので、夜中だが、近所で親交のあるNさんに頼んで車を出してもらった。たまたまNさんは起きていた。医療センターの救急外来に行って、調べてもらったところ、「特に心配のところはない、夜が明けたら消火器内科を受診しなさい」と、痛み止めを貰って帰った。    それはそれ帰ったが、その後も、激痛ではないが、胃痛が繰り返すので、その旨、主治医に訴えて、11月22日(土)に胃カメラの検査をした。痛さの状態からして、肺の癌が胃に転移したか、胃潰瘍にでもなたか、と思っていたが。その結果は、「かなり爛れているが、潰瘍はない。またポリープがあるが、心配したものではない」とのことでした。安心はしたが、胃痛は依然として散発して、食欲がない。食べたくないから時々食事を抜く。いいことではないが、どうしても食べられない。今までポリープなど無かったのに、何でもないのだろうかとも思う。 どうもよく分からない。

足のむくみもまだ取れない。医者はこれに関しては「全く心配ない」と言う。足はまだ腫れているのに!よくわからない。

とにかく10月以降はあまりパッとしないが、バイオリズムの下降か。我慢して様子を見て行こう。

26日(水)には免許証を更新した。しかし、もう、そろそろ止めようと思ったりしています。


船歩総会ほか

2014年02月26日 | ウオーキング

2月16日(日)、高根台公民館で船橋歩こう会の第25回通常総会があった。昨年の総会ウオーク以来、この丸1年間は船歩のウオーキングには一度も参加していない。役員の顔ぶれは、知らない人が随分増えていたが、皆さん相変わらず、元気に真面目に勤めておられるようなので、頼もしく拝察いたした次第です。

会計収支報告や予算案の説明の中にあったように、名誉会員の増加に伴う財政は益々大変になると思う。我々名誉会員は、その事情よく分かるので何もタダでなくてよい。お荷物になるのは忍びないので、これからは、普通どうりに会費を徴収して欲しい。

総会が一通り終わった後で体操のオリンピック選手、鶴見修治さんの講演があった。東京オリンピック体操団体の金メダリストであり、種目別では2~3の銀メダルも獲得あいているそうだ。本人お話しなので、とても真実味が伝わってきて面白かった。昔と今の選手環境も随分変っているようで、夫々それなりの苦労があると想像した。

今年の総会は、2~3日前からの降雪・積雪のために、総会後のウオーキングは中止となった。ほの歩の会の人達は、毎年総会にはあまり出てこない。今年もウオーキングだけを目指していたのか、例のとおり少なかった。特に女性は少なく、顔見知りではT・Gのみ。去年もそうだったので、男性のK・Tさんと3人で「陣屋」という中華そば店で昼食をした。お二人はウオーキング代わりに歩いて帰ったが、私は一緒に歩く自信がないので電車で帰った。

さて、ソチでの冬季オリンピクが17日間の幕を閉じた。海外での冬季オリンピックでは最高の8個のッメダルを獲ったが、今回は随所にメダル以外の感動場面があった。今までのオリンピックでは一番だったと思う。  オリンピックは人間の気持ちを純粋にしてくれる。上村愛子選手、浅田真央選手共に最高のオリンピックでした。     勿論他の選手も。

        

         本当は3位!? それでも笑顔!

        

         スパイラルは圧巻。まだ辞めずに続けて欲しい。

妹の所へは、今は週一回のペースで通っている。2月19日に介護認定の立会いがあった。


今年も終り。12月のこと

2013年12月30日 | ウオーキング

今年最後の月は、忙しくはないが、結構いろいろありました。

3日(火)は医療センターにお定期診察。CT検査の結果が分かった。普通のX-Ray検査では変りは分からなかったが、CTでは、6ケ月前にくらべて2.6mmほど大きくなっているのが分かった。それにしても進行は遅い。進行が遅いことはいいことだ。私の病気の快癒を祈ってくれている人たちの無限の愛情に感謝あるのみ。先生に来年の予想を聞いたが、それは誰にも分からないと言われた。咳と痰は相変わらず出るが、もうだいぶ馴れた。仲良く付き合っていくことにしましょう。

10日(火)には、ほの歩の会の忘年会に出席した。今年は殆ど歩いていないが、久しぶりに皆さんと会いたくて出かけた。皆、いい人ばかり。その中でも特に仲良し仲間と楽しく2時間ばかりを過した。酒は飲まなくとも楽しかった。もう一度、一緒に歩かれるようになりたいものです。

その前日の9日に、健康診断の結果がわかり、大腸がひっかかったので、4日前から薬を飲ませられて、」17日(火)に大腸カメラ検査を受けた。詳しい結果は3週間後に分かるが、ポリープを4個取って検査に送ったとのこと。心配はないということでした。

22日(日)から23日(月)にかけて大和山東京東部支部壮年部の研修会下見をした。行き先はホテル・ニューオータニ。昨年もやっているので打ち合わせは極めて簡単。お土産にガーベラと鰯のみりん干しを買って帰った。

合間を縫って、年賀状とカレンダーの作成。今年もいい物ができました。

30日(月)葉、午後から東京東部支部へ行き、歳旦祭の準備を手伝い行った。毎年門松をつけるのが私の仕事。今年も無事役目を終えた。

あとは、家にお中を綺麗にして年越しを待つのみ。今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。


誕生日と桜

2013年11月26日 | ウオーキング

11月14日(木)は私の誕生日、晴れて85歳になった。1945年8月15日、17歳で終戦を迎えた日、あと半年程と思っていた命永らえてその後68年も生き続けた。昨年暮れに、あと1年未満と言われた命も、医療のおかげでまだ持ちそうだ。神(天地自然の恵み、人の働き)に感謝しながら余生を送るとしましょう。出来れば何か世の中に貢献したいが、今の状態では無理かな?

うらら多磨の妹の所へは、色々皆さんに支援をお願いしてあるが、まだ1週間に1度程度の割合で通っている。途中、西部多磨川線の電車々窓から野川公園に桜を見た。それが1ヶ月程も続いているので22日(金)に妹を散歩に連れ出して現場を見にいった。船橋の海老川で見たのと同じ桜が5~6本かたまって咲いていた。

       

  花びらは小さいが、正真正銘の桜です     花が小さく、少ないから満開に見えない

そんな訳で、ソメイヨシノとは趣きが全く違う。この地域の人たちも、この桜のことを、「10月桜」又は「冬桜」と言っていました。ソメイヨシノ又は山桜の狂い咲きではないようですね。


10月 二題

2013年10月29日 | ウオーキング

10月は、船橋歩こう会例年の特別例会、成田道中膝栗毛がある。役員在任期間は、この行事が近づくと下見・コマ図・地図作りと色々仕事をさせてもらった。大変だったが今は懐かしい思い出です。その思い出のウオーキングも昨年からは体不調の為に出られず、残念です。が、仕方がない。現在の、遅々た歩みも継続すれば、ウオーキングにも参加できるようになるかも知れない。やってみよう。

10月20日、知人から券を貰って、K君と「山内恵介コンサート2013」なるものに行ってきました。場所は中野サンプラザーホール。かなり人気のある歌手ようだが、私は、本人を知らない。ファンの年齢層は厚く、30代~60代の女性に人気があるようにに見うけました。さまざまな形のライトを持って振り回していましたね。歌はやはり上手でしたね。近頃の歌番組によくある、耳障りなリブザードもなく、最後に声をやたらに長く伸ばす変なところもなく、とても聞きやすかったです。勿論、最近の歌ばかりで”良さ”はよく分からなかったが、一曲だけわかる歌「星影の小径」を歌ってくれたのが嬉しかった。司会は元NHKの宮本隆治アナでその巧妙なやりとりは面白く、間に挟む寸劇も面白い。ただ、男のくせに、衣装をやたらに取換え・引換え、何かというと「歳は三十・白皙美男」を何度も繰り返す、のが気に喰わないが、その度に女性達がキャ~キャ~と騒いだ。

10月25日~27日は大和山の年中行事である、比叡山永遠の灯火に使う、菜種油【千年油】の献油式に参加した。これには毎年参加して毎年ブログな書いているが、これは、比叡山開山以来1200年(信長によって攻め滅ぼされ、一時途絶えたが、地方の寺に分灯された灯から引き継いだ)にわたる永遠の灯火として、灯し続けられている灯火の燃料である菜種油を献納する儀式です。印度産、中国産、韓国産、国産の菜種から菜種油540L(1年分)と蓮華草鞋(修行僧が修行する時に履く)1200足、蓮華笠1領を献納しました。  台風27号の襲来を心配していたが、東に反れてくれたので、出発前に傘をさしただけで影響はなかった。

行程としては、25日21:00 上野駅公園口前を出発、翌26日4:00頃太閤温泉豊公荘で休憩・朝食。比叡山へは11;00ころ到着。宿舎は延暦寺会館、ホテルと同じです。天気は曇り時々晴れ。この日は午後、菜種油【千年油】の搬入式があり、これは14:00頃終わって、あとはゆっくり入浴など休み、また休み。本番は27日8:30~12:00.このうちの本当の本番は10:00~12:00.根本中堂の中で、かなり寒かったが、厳粛のうちに無事終了。帰りは延暦寺会館前を約14:00頃出発、名神~東名~首都高を経て上野駅公園口前に21;00到着。バスの中でお酒を飲まされたので、酒の味を少し思い出す。上野駅で遅い食事をして帰宅は23;00でした。


夏去り? 秋の訪れ

2013年09月10日 | ウオーキング

今年の夏は暑い、暑いというのが数年毎年の文句でした。毎年、毎年、平均気温が上がっているのは本当のようです。私は、3年前の2010年の夏に単独で伊勢神宮に行きましたが、この時の温度が37度と38度、そんな猛暑がくると思っていなかったので、その時はあまりこたえず、後から温度を聞いて驚いたものでした。ですから、私はこの2010年の夏が一番暑いと思っていましたが、そうではないようですね。皆さんが言うように毎年、毎年、暑くなっているようです。この調子で温度が上がっていくと、今にどうなるのでしょうね?

その今年の夏も、一週間前頃から急に涼しくなり、夜も眠られるようになりました。それでも時々30度以上の日がきますが、前のように連日のギラギラと違って、日光も穏やかになってきました。異変とか異常気象とか言っても秋はちゃんとくるようです。それにしても、我々千葉県はよかったが、四国・九州・中国・山陰・北陸・北東北など広きに渉って、大雨。洪水の被害が大変でしたね。山崩れも。果ては竜巻までも。テレビを見ていて無事な我々が申し訳ないようでした。なんでこんなになるんでしょうかね? 地震の警戒もおさおさ怠ることはできません。災害の多い国ですね日本は。 と言っても、内戦よりはいいか!?

災害や殺人や詐欺など暗いニュースばかりのところへ、2020年オリンピックの東京開催決定のニュースが9月8日朝に飛び込んできました。色んな見解がありますが、やはり明るいニュースでしょう。前向きに捉えて喜びましょう!

この日、我がマンションの敬老会があって出席しました。敬老の対象者は70人以上もいるそうですが、出席者は25~26人くらい。民話を聞いたり、カラオで歌ったり、大切にされて2時間ほどを、楽しませてもらいました。おまけにお土産までもらって、有難うございました。

今日、10日は定期診察の日でした。例の通り採血とX-ray撮影をしてからの診察です。癌の大きさは殆ど変らずです。今まで略々一ケ月置きに8回撮影しているが、何れも変らずで、進行していません。先生から治療再開を聞かれましたが、「抗癌剤はもうやめた」と答えました。先生は何も言いませんでした。これ以上、体力を損ねることはないと思います。

 


2月下旬から3月初旬

2013年03月06日 | ウオーキング

船橋歩こう会の総会が終わり、自分のことばかりになった。妹の今後の支援についての打ち合わせが続くなかで、府中市の福祉の充実振りに感心させられる。あさひ苑が中心になってやってくれるが、関係先が多岐にわたるので、まだ少し時間がかかりそうです。

2月25日は、午前中は家内とサンズパソコン教室の展示会に行った。会場はホテル・オータニ幕張2Fの会議場。いつものお馴染みの先生3人が迎えて下さった。生徒の作品が沢山展示されており、中には私の作品もあった。自分の作品を見るのは気持ち良かった。ついでに会場で、骨密度を測定したり、干物などを買って帰る。  夜は月例の旧クラス会があったが、この日は少し疲れていたので、恒例のカラオケはK君に悪いが、行かなかった。

私の方は、一旦、抗癌剤投与を受けることに一時決めたが、その日時打ち合わせ(3月5日)の2日前に 陽子線治療をすすめる知人がいて、打ち合わせのときにその旨打診した。担当医は快く承諾して紹介状と資料を7日に出してくれることになった。行き先は柏の国立がんセンターです。問題は、私の肺癌の現状が陽子線治療に適合するかどうか?先生は無理ではないか、と。  でも、駄目でもともと、の気持ちで受診することにした。結果は、どちらに転んでも一向に構わない。


では、行きましょうか

2013年02月02日 | ウオーキング

転移検査のその1は、RI検査(骨への転移検査)。1月25日朝9時に行って、放射性医療薬品を静脈より注射して約1時間半休憩。10時半頃から検査を始めて、約1時間で終わり。寝台に仰向けに寝ているだけでOK.とても楽な検査でした。転移検査その2は2月5日、これはMR検査で脳への転移を調べるものです。

RI検査の翌26日は、昼前は京成船橋駅の上の喫茶店で、船橋歩こう会の会計監査をした。前から辞意を漏らしていた椎名さんと私には、最後の監査となった。船歩会計担当の高田橋さん・亀山さん、長い間お世話になりありがとうございました。

その夜は、西葛西の”柳ぎ”のママのCDデビュー記念パーティーに出かけた。旧級友のK君も一緒に。場所は亀戸のライブハウス「柳ぎ」。デビュー曲の作詞家、作曲家も出席し、ほかに名前知らぬ歌手が二人来ており、秋元順子さんから祝電が届いていた。60人くらいの人が来ていて、場所は少し狭かったが、結構楽しい時間を過すことが出来た。発表した曲は「長崎慕情」「ギヤマンの雨」、勿論、初めて聞く歌で、よく分からない。

            

 これは、今回発売した彼女のCDのラベルです。当日は携帯で写真を撮ったが、とても公開できる出来映えではないので、今日は出しません。この日、係の人が撮った写真が出来てきたら掲載します。

28日は、恒例のクラス会(四月会)で、1ヶ月ぶりに逢った旧級友と顔を合わせて、肺癌が分かるまでの経緯を話しした。初めて聞く人には多少の動揺は見られたが、皆、年配でもあるし、それぞれに覚悟はしているので、私の話は極めて冷静に、同感をもって聞いてくれたと思う。そのあとは、また西葛西の”柳ぎ”に寄ってカラオケを楽しんだ。 ホントニ病気なのか~?!と、自分でも思う。

29日は、3週間ぶりにほの歩の会に出ました。押上駅に集合して、スカイツリーを下から眺めたり、牛嶋神社、言問橋など通り、懐かしの浅草に到着。浅草寺、仲見世を散策して、土産を買ったり、写真を撮ったり。散策後、伝法院通りに集まって上野へ向かう。浄土宗源空寺で伊能忠敬や幡随院長兵衛夫妻の墓を見たりして上野公園へ出る。上野は我々北海道や東北出身者にとっては懐かしの場所です。飛行機になど気軽に乗られない時代、東京といえば必ずここで降りた。そして地図を見たり、列車時刻表を見たりして目的地へ移動したものです。

その懐かしい上野で、迷子になりかけた。上野東照宮で流れ解散のあと、三々五々帰ったのはよいが、上野公園は昼食の場所が容易に見つかるところではない。会長のAさん達が、精養軒の前をうろうろ。なかなか決心が付きかねている様子。私とTさんも、どうも気が進まない。そこへ、かの元気なEさん達4人が「天竜」「ラーメン」などと言いながら降りてくるではないか。ラーメンあるところに必ずチャーハンあり。Tさんとあとを追ったが、ちょっと一息遅れたので彼女等の姿は見えず、盲めっぽうに追いかけたが、案内がよう分からず、とうとう迷子になったてしまった。しかし、文明の利器は有難い。携帯電話でEさんと連絡できたので、西郷さんの前でばったり。おかげさまで、横アメの中にある「昇竜」という地下食堂に行くことが出来ました。安くて早くてうまい。調子良かったのでビールも少しだが飲んだ。しかし、近頃の女性は強いですね~中ビールの一杯くらいは、どこ吹く風の人ばかり。

  

上の白いのは飛行機雲    いつ来ても賑やかな浅草寺と仲見世

30日は、妹の所へいったが、月が変って2月1日は、義母の命日参山で大和山本部へ行って慰霊し、肺癌のお払いもしてきた。今や、新幹線は新青森まで行っているので日帰りが出来る。青森の真冬は例年ならば、とても寒いので日帰りはちょっと辛い。しかし今年は、噂と違って当地は雪が少なく、お天気も良くて暖かく、とても楽な命日参山でした。しかも、この度。買った切符は”のっけ丼付き”で、青森で”のっけ丼”が食べられた。”のっけ丼”とは

これは、資料写真です。左下の発泡スチーロールの丼にご飯を貰い、上に乗せる具を、店を廻って載せて貰い、市場の中の休憩所で食べる。具は新鮮で美味しい。味噌汁も貰える。休憩所には調味料、お茶が置いてある。値段は約1000円。


今年の締めくくり

2012年12月28日 | ウオーキング

12月25日は、今年最後のほの歩の会。昨年同様、14:30稲毛公園集合してポートタワーへ行って夜景と塔のイルミネーションを観た。18日の「しょいかーご」に続いて2回続けての参加は久しぶり。夜は寒くなるのが分かっていたので、セーターとウィンドウブレーカーを持っていったので、帰りの寒さにふるえることはなかった。

          

携帯で撮ったが、富士山のシルエット出ていてよかった。   これはカメラで。

26日は妹の所へ行き、27日はカレンダーの仕上げに励んだ。

28日は、21日のCT検査の結果を聞きに、医療センターへ行った。結果は肺癌の疑いあり。更なる検査をして治療の方法を決めることになった。来年1月10日に内視鏡検査をして、結果は22日に聞きに行くことにした。結果説明は18日でもよかったが、何かあるような気がしたので、22日にした。検査の注意点を聞き、心電図検査と肺活量検査をして帰った。ある程度予想していたことなので、驚きはない。84年間の人生に、有為転変はあったけれども常に周囲の善意と愛情に恵まれて、幸せに送ってきた。これからも運命さかわらず普通に生きよう。