謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

第四の人生

2011年12月25日 | 雑記帳

2011年12月22日は妹純子にとって第四の人生の始まりです。本人にその自覚があるかどうか? 長い間の病院生活から抜け出して、齢74歳にして殆ど無一物からの新しい出発です。最も心配なのは運動不足からきている手足の衰え、それと頭の回転。この日、病院へは家内と二人で10時に到着。看護師さんたちは それぞれの持ち場に散っていたので、残っていた数名の看護師さんと、常日頃からお世話になっていたケースワーカーさんにだけお礼の挨拶をして、10時30分に出発。車は病院が手配してくれた。見馴れない風景の中を約1時間半、丁度12時に高齢者住宅「うらら多磨」に着いた。昼食の時間にジャスト間に合い。

昼から夜具一式と机が到着。何もないようでも、新居となると落ち着くまでいろいろあり、足らないものも出てくる。この日から早速ヘルパーさんも来たので、時間は慌ただしく過ぎて、家内が還る頃はもう真っ暗だった。私は念のために純子の就寝まで確かめてから、その日は近くのホテルに泊まった。翌朝、見にいったが、ちゃんと時間通りに起きて身支度も整えていたので一安心。昼前に椅子が入り、10時からヘルパーさんが来て、洗濯、掃除など一緒にやってくれる。思った以上に動けるので大丈夫とのこと。本人も落ち着いているので、不足している日曜品を買いに出かけた。府中の中心部までは徒歩、電車で約40分かかる。帰ったころ、またヘルパーさんが来ていた。この日は夜足元を薄明かりで照らすソケットを買ってきたのでそれの説明をして、やはり就寝を確かめてからこの日もホテルへ泊まった。

3日目の24日は、朝は妹のところへは行かずに、府中市役所へ行って転居届を出す。土曜日だが、転居届けなどの窓口は8時半から12時までやっていることを確認しておいた。一番に整理券を引いて待っていたところが、代理人の場合は本人の委任状が要るとのことで、急遽、兄嫁のところ(府中市役所の近く)へ行って作成した。【委任状の用紙は市役所には置いていない。要領を示して本人が自分の紙に自筆することになっている】幸いに兄嫁の家が近かったので10時頃に届けが済んだ。また、日用品不足分を買って行った。純子も3日目なので、住人ともかなり打解けて、この住居が気に入ったようです。その為か、お正月は船橋へは行かずに、ここでお正月を迎えたいとのこと。皆さんもお正月はここで過ごすとのことです。早く新しい環境に馴れる意味でも非常によいことなので、ことしのお正月はここの皆さんと一緒に居るようにした。

今のところ、非常に順調に船出しているようですが、あまり自由になり過ぎて、従来の怠け癖がでてきて、その結果運動不足になって心身の衰えが加速することだけは、絶対に防がなければならない。これには当分の間、近くで見ていなけばならないでしょう。


ほの歩の会納会

2011年12月21日 | ウオーキング

妹の引越し準備は気ばかりあせってあまり捗らないが、12日府中のあさひ苑で介護保険関係の会議があり、実感が沸いてきた。13日にはテレビと冷蔵庫を手配し14日は「うらら多磨(妹が入る高齢者住宅)」にベッドの搬入があり立ち会った。

15~17日は年賀状を作りながら机、椅子などの手回り品を手配し、18日は娘がいすみ市から車を持って手伝いに来てくれたので、家にある引越し荷物を運んだ。高速道路を順番に進んで約1時間。うらら多磨に着いてからの不足品の補充や買出しは、娘がテキパキやってくれたので、大助かりでした。やはり若さにはかなわない。頭脳のまわり、体の動き、加齢による衰えを思い知った!

19日は、引越しにつての確認事項を順次確認。相手不在の場合も、一日かかってどうにか決着しました。

20日は、ほの歩の会恒例の納会ウオーク。昨年同様、稲毛浅間神社に15時集合して、ポートタワーまで。今年のまた友の会のコンサートのお誘いのパンフレットを配らせてもらった、私はあまり知らない人の出演なのに、早くも7人の方が、前売り券を申し込んでくれた。変らぬ友情に感謝!                            ゴール近くになって水平線上の落陽を見る。上のほうに雲があったが、燃えるような赤に染まった空の一部がすごく綺麗でした。ポートタワーでは、去年と同じくエレベーターで最上階まで上がって薄暮の夜景を眺めました。去年はここでコーヒーを飲みながら、何処か外国の鉱山の落盤後の救出劇のことを讃えあったことでしたが、今年はタワー・イルミネイションお時間が迫っていたので17時05分までに位階に戻った。その頃はすっかり暗くなって、夜の冷気も押し寄せてきていた。イルミネイションは時間通りに始まりました。

    

最上階から船橋方面の眺め。前方に幽かに筑波山? タワーイルミネイション完成


年末も忙し

2011年12月10日 | 雑記帳

風邪をひいてしまった。この忙しいときに全くの不覚。危ないと思ったときには葛根湯を飲んで予防していたが、ひく時はひくということですね。

2日間ばかり寝たが、寝てばかりいられないので、5日(月)府中市役所まで出かけた。妹の退院、引越しの手続きをするためです。この役所の人たちはみな親切で本当に体までが楽になる。府中に親戚があるが、外にいる時間をなるべく少なくするために寄らない。

帰ってから引越しについて考えたり調べたり。このあとは大変なので、健康を保つべく、ほの歩の会の忘年会は欠席した。去年も風邪で欠席、2年続いた。                       9日は再び青梅の病院へ行き、最後の打ち合わせをした。風邪については、熱は下がり平熱よりは少し高い程度。ただ咳が止まない。青梅往復の電車の中でも恥ずかしいくらい出た。しかし、電車の中では、咳をしている人がだいぶいましたね。流行っているのでしょう。

妹の引越しは22日。 これから、 これから。


忙しいを楽しもう

2011年12月02日 | 雑記帳

12月はいよいよ妹の退院・高齢者住宅への入居がある。忙しいには違いないが、妹の人生最後?の再出発の為に楽しんで働こう。

予定通り11月28日は、病院へ行って本人,医師、相談員との確認と下相談。29日は入所契約。30日は入所予定住宅の現地およびその付近の下見、観察をした。最寄の駅は西部多摩川線の多磨駅だが、付近に商店街はあって一応生活に支障はないが、電化用品、家具などの新生活の備品はここでは揃わないことがわかった。この地は府中市だが、小金井市、三鷹市、調布市がすぐ隣接しているので、いづこかの都市部から購入することになるでしょう。

12月1日はかねてから予定通りのバスウオーク。しょぼしょぼと降る雨の中を早朝千葉工大前からバスで出発、一日中こんなところかと思いながらそれでも楽しさが一杯、乗り物で遊びに出かける楽しさは子供も大人も(幾つにもなっても)変わらない。雨の降りしきる中をバスは京葉道路・館山道を経て久留里街道を進む。20年ほど前の見覚えのある久留里を通過。名前は聞いてはいたが、見るのは初めての片倉ダムへ着いた。この頃、風は少しあったが雨は幸い小降りになっていた。天気が良ければどんなにか綺麗だったろう。こんな綺麗なところあったのか!と思うほどの絶景に息を呑む。

    

   雨にもめげず出発準備            片倉ダム

 この紅葉の綺麗なこと!この辺りでは一番綺麗。星の広場でしたか?

片倉ダム記念館の近くまで来て、山道を登って展望台まで行く組と、平地を歩いて戻る組とに分かれた。雨は少し降ったり止んだり。私は鳥越さんと平地の組に入った。両者の比率は9:1くらい。一旦、片倉ダム記念館に寄って阿部さんの先導で歩く。所々に渓谷が見えて両岸の秋の木々が何とも美しい。

   

         似たような眺めだが、秋の風情が満点

適当に進んでから引き換えし、展望台組と出会う。片倉ダム記念館近くに駐車中のバスに戻って、バスの中で昼食。片倉ダム記念館で食べた人もいたが、万葉軒?の美味しいちらし寿司だった。この頃から雨と風が少しづつ強くなる。食後近くの道の駅に行ったが、傘なしでは少し湿った。

食後、大休止のあと最後の一歩き。千寿の湯(入浴は中止)の前を通って清水渓流広場へ。雨は小降り。

    

  広場の手前から洞窟の滝を見る        洞窟の向こうに滝が

この後、バスで久留里城を見学。雨は霧雨。ここは、20年くらい前に来ているが、全く変わっていない。ただ、坂を上り初めてから天守閣までの距離がこんなに遠かったかと驚き。これは間違いなく歳のせい。老いてからの20年の差は大きい。天守閣からの眺めは素晴らしい。但し、カメラを持たずなので写真はなし。

帰途に着いたのは何時ころだったろう。雨は結構降り出した。思えば、一日中降り続いた雨も、我々が歩くときは小止み、小雨、霧雨であまり気にならなかった。とにかく濡れなかった。誰のおかげだろう?また、バスの中で回覧した山田さんの写真俳句も印象深かった。

今日行ったところは、個人でももう一度行こう!天気の良い日に。

このあと、いよいよ忙しくなるが、それは後日なるべく早く更新しよう。