謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

9月になって

2014年09月25日 | 雑記帳

8月は、鎮魂と追悼の月といわれるが、まさにその通りでした。歳を経る毎にその感は強く今年もその記録やノン・ドキュメントが胸に迫った。また、終戦番組で、第2次大戦の日本の相手がどこの国か分からぬ若者が多数いるのには芯から驚いた。NHKのスペシャル「憎しみと許し」では終戦直後のフィリッピンのキリノ大統領が国民の日本へ対する強烈な憎しみの中に、また、自分は目の前で妻子が日本兵に殺されているのに、まことに寛大な心をもって、日本の戦犯を許し帰国させた。それは、未来の国交や平和を目指してのことで、本当に雄大な思想ですね。それに比べて中国や韓国は未だに70年も前におことを引っ張り出してゴチャゴチャ云っています。なんとも心が狭いですね。同じ東洋人でありながら、この差には驚きます。

そんなこんな思っている中に、9月7日 元李香蘭、山口淑子さんが亡くなった。知る人ぞ知る 波乱万丈の人生を送った人ですね~  旧満州で生まれ育ち、中国人の養女(と言っても戸籍を移したわけではない。ただ中国名を貰っただけ。日常の生活は実の父母と一緒に過ごす)になり、李香蘭という名前をもらった。それが、天性の美貌と美声に恵まれ、女優や歌手として日中間で大活躍をする。時代は日中戦争の始まった頃からで、中国を宣撫する上では随分利用された。

昭和18年(1943年)私は、「誓いの合唱」という映画で初めて李香蘭を見た。当時15歳の少年だったが、女性の美しさに初めて打たれたのを覚えている。女性とはこんなに美しいものか、李香蘭とはこんなに綺麗な女優だったのかと、感激して魅入っていた。 それが動機となり続けて「白蘭の歌」とゆうのを観に行った。 実は当時の中学校では、学校推薦の映画以外は、映画館に出入りすることを禁じられていた。見つかったら罰を喰らう。それでも、李香蘭見たさに観に行った。映画のあらすじ等は殆ど忘れてしまったが、「白蘭の歌」は往年の名優長谷川一夫との共演で、この美男・美女の演技を感動をもってみていた。この映画はもうDVDも手に入らないが、主題歌「白蘭の歌」「いとしあの星」は”なつかしの歌声”などのCDやyou tubeで聴くことが出来る。

戦後は、本名の山口淑子を名乗り多くの映画に出ていたが、私は「我が生涯の最良の日」「暁の脱走」を観にいった。従来の日本女優にはない野性味と、なんとも知れぬ美しさと迫力があってどちらも名作といわれている。 映画のほかでは、色々な女優さんが、李香蘭の大陸時代をドラマで演じたし、劇団四季ではミュージカルを何度も上演した。一度私も友達を誘って観にいった。一度本人も観に行ったそうです。

その後、彫刻家のイサム・ノグチと結婚して、4年で別れたり、「3時のあなた」で司会をしたり、外交官大鷹氏と再婚したり、参議院議員で活躍したのは、皆さんご承知のとおりです。94歳のご高齢ではあるが、私の初恋にも似た李香蘭・山口淑子さんの死はやはり悲しい。

         

                この3枚は 李 香 蘭 時 代

       

         白蘭の歌(長谷川一夫と)         暁の脱走(池部良と)

              

            山口淑子                 大鷹淑子

9月20日(土)、自動車運転の高齢者講習に行ってきた。もう、そろそろ止める時期だが、なんとなく免許証返納の決心がつかないので行ってきた。前回同様、記憶力の検査もされたが、3年前に比べてかなり落ちていた。動体視力は明るい所から暗い所へ入った時の視力が非常に悪かった。もう夜の運転は止めよう。