謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

クンシランが二度咲いた

2008年06月29日 | 雑記帳

        

              

 いつも3月末~4月中旬にかけて咲き、3週間ばかり目を楽しませてくれるクンシランが今年二度目の開花。

 こんなこと初めてです。このクンシランは6~7年前に歩友 I さんから2鉢貰ったものだが、その後株分け植え替えなどで7鉢まで増やしたものが、他家に貰われたりして現在は4鉢残っています。

 ベランダ栽培なので、日焼けを防ぐために上部を「簾のこ」で覆い、冬はその上からビニールを被せて寒さを防いでいます。そして開花が始まると家のなかに入れ、花が終るまでの約3週間を楽しんでいます。

 しかし、花は上記したように毎年3月末~4月中旬が普通。こんな時期に二度目の開花とは一体全体どうしたことでしょう?

 まだ咲き始めなので7月中旬、梅雨明けくらいまでもつでしょう。

 不思議だが、悪いことではない。 何かのよい前兆でありますように!


墓参

2008年06月26日 | 手稲会
 今日は、4月18日に亡くなった旧学友、76歳まで弁護士を務めた故吉弘正美君の墓参りに逝きました。

 行ったのは旧級友7人。先方からは未亡人になられた奥さんと、お医者の次男(長男もお医者とのこと)田町駅で待ち合わせて、次男さんの車で5人が、タクシーで2人(奥さんをふくめて3人)で港区白金4丁目の西光寺へ。
ポツポツと降っていた雨は到着と同時に止み、ゆっくりとお参りできました。

その後で、今度は次男さんの8人乗り車に9人で乗り込み、みやこホテルのレストランで軽食をご馳走になりました。初めて食べた「何とかロー」という、ジャムとかバターをつけて食べるクッキーのようなケーキーが美味しかった。またコーヒーにいれた砂糖がよく効いていた。

カメラを忘れたので写真はない。
級友も次々に亡くなったが、残った数はまだかなりいる。医療が発達しているお陰で、かなり多いのではないでしょうか。逝った友の冥福を祈ると共に、現代医学で支えられている自身の健康に感謝する次第です。

 墓参に行く前に、昨日のプリンターについて、メーカー(キャノン)に電話で聞きました。言われるとおりにヘドクリーニング、強烈クリーニングを行ったが、結果は故障でした。

写真が!

2008年06月25日 | ウオーキング

昨日は梅雨の中休み。2週間ぶりにほの歩の会に参加しました。

コースは緑台・高根コース。 habechanが紹介してくれたお陰で、ブログのことで沢山の人から声をかけられた。幾つになっても、自分が認められることは嬉しい。そんなわけで、大変楽しいウオーキングでした。

今日のことをすぐに書こうとしたが、 ハタ と止まった。理由は次の写真!

           

 いきなり左の写真が出てきた。これはプリンターAからでてきたもの。明らかにヘッダー汚れと思ってクリーニングをかけたが改善しない。試みにワードのカレンダーを印刷するとちゃんと出る。         幸いプリンターAが故障して修理中に買ったプリンターBがあったので同じものを印刷した。それが右の写真。

 始めから分かっていれば、Bプリンターを使ったのだが、先ずカメラを疑った。いま持っているデジカメ(ソニー製)は取説がCDだ。以前に開いてプリント、製本しておいたから良かったものの、それがなければ大パニックだったと思う。

 ところが、その取説は初心者向けでなく、すっごく分かりにくい。「詳細は〇頁」「詳細は〇頁」の連続で、頁をあっちに行ったり、こっちに来たり。説明も不親切なのでなかなか前に進まない。2時間近くもかかってやっとカラー調整に辿りついたが、それは原因でないことがわかった。 その後で上記のプリンターのヘッドクリーニングをやったわけだが、どうもしっくりこない。とにかく無駄な時間を何時間も使いました。

最近、プリンターは随分安くなっているが、その代わりインクはすぐ減るしヘッドの汚れも早い。  まあ、それでもいいか?  無ければ困るんだから。

 


2008年06月18日 | 雑記帳

昨日からこの数日は妹との付き合いになる。

昭和34年、母と妹は当時の国鉄技研の兄を頼って東京へ出てきた。私は、炭鉱に勤務していたので北海道に残った。爾来49年、様々な変化があった。簡単には語り得ない。妹は結婚後、精神病を発症し離婚された。その後病状は一進一退、入退院を繰り返していたが、母の最期の入院時に、母の要請により現在の青梅坂本病院へ長期入院となった。昭和59年に母が、昭和63年には兄が亡くなった。今は私がただ一人の肉親となっている。20年前から年末年始とお盆には必ず外泊の送り迎えを続けている。病状は今のところ安定している。一昨年までは車で送迎していたが、昨年末に異型狭心症といわれて、寒い時期の車の送迎は止めた。また、妹も非常に寒がるので、今年からは暖かい時期に外泊させることとした次第です。

船橋~青梅の電車連絡は時間がかかります。行きは朝の9時50分に船橋を出て、途中昼食をとったが、病院へ着いたのは12時55分。帰りは病院を13時40分に出て家に着いたのは17時でした。

今日は、少し疲れがあるようだったが、車でアンデルセン公園に連れていった。この公園は、孫がまだ小学生の頃に行ったのが最後なので10年以上前のことだがあまり変っていないようでした。

            

        入ってすぐの噴水。           いつ行っても撮りたくなる 


立教90年

2008年06月17日 | ウオーキング

6月15日(日)は松緑神道大和山の立教90年記念祭がありました。前日の14日(土)はその前夜祭。ところが14日8時40分頃、岩手・宮城地震が発生。

私はその日の東北新幹線、東京11時56分発に乗るべく出かけたが、東京駅でビックリ!とても見込みなしと判断。急遽夜行バスに切り替えて乗車券を手にした。続いて新幹線をキャンセル。これは、一泊付きの新幹線で私にとては初体験。珍しさに期待ぢていたのでまことに残念。そして帰りの新幹線を予約した。

早い列車に乗り込んだ人達は、ひどい目に遭っていたが、私は一時帰宅して夜22時10分発の夜行バス ラ・フォーレ の時間までゆっくりと過ごした。

定時に発車したラ・フォーレは15日朝7時30分に青森駅到着。8時02分の八戸行きに乗って、小湊へは8時31分着。本部のバスが待っていてくれて、9時前に神集閣に着いた。記念式には少し遅れたがどうにか参加できました。

              

 式場には献撰が終った直後に到着。これは献撰後の祭壇。遠くて暗いので、参加 した者でなければ、何がなんだか分からない。

          

 余興にバレーが出たのは初めてのこと      乾杯前のお預け               大和山も変った

     祝宴中に磯野みちさんの訃報が入った。

 15時45分の本部バスで下山。普通列車、新幹線を乗りついで21時08分東京着家には22時30分到着

 

 


新緑 ウオーク

2008年06月11日 | ウオーキング

昨日10日は51回の結婚記念日。だが、昔の嫁は大和山本部へ奉仕に行っていて不在。  また、この日はマナイゲルをつくる会にお清算結了の書類完了の予定日。     それが9日に終ったので、お陰でほの歩の会の火曜ウオークに出かけました。

京成大和田駅に9時半集合。電車が遅れて少し時間がずれたが、2~30人集まり、大体予定通りに出発。気温27度といわれたが、かなり暑い。しかし、コースがよかった。横戸緑地、柏井市民の森、花島公園など木陰が多く、そよ風にも恵まれ暑い中をこの人数ではもったいないような快適なウオーキングでした。

         

      横戸緑地の美しい紅葉          柏井市民の森、休憩後の出発

         

     花島公園の睡蓮を見ながら歩く       花島公園、人工?の美

                

                 花島公園で三三・五五休憩

      


家族環境ウオーク

2008年06月09日 | ウオーキング

昨日、曇りのち雨の天気予報なので、「家族環境ウオーク」へ参加した。距離は10km

すぐ降りそうな空模様ではなく、風はそよ風で歩くには一番良い天気で、集まった人は330名とか。予想以上の参加者数で行田会長はニコニコ顔。いつの例会も役員は本当にご苦労様です。

この例会は6月10日の「谷津干潟の日」を盛り上げるために「谷津干潟の日実行委員会」が7日、8日に企画したイベントの一環。船橋歩こう会が共催で8日(日)に「家族環境ウオーク」として例会を開催した。(ものと推察する)

前日の7日は<谷津干潟クリーン作戦>ということで、干潟のゴミ拾いとアオサの回収を行ったようです。8日の日もゴミ袋を持って歩きながら道端のゴミを拾ってる人を何人か見かけました。  この谷津干潟は訪れる人や、通行人のマナーの低下でひどく汚れていたものを、一人の人がコツコツとゴミ拾い・清掃を始め、その後それを見て同感・賛同する人達が加わって環境の美化に努め、今日の綺麗な谷津干潟が出来たと聞いています。ホッとするような美談ですね。

コースはお馴染みの谷津バラ園から谷津干潟を半周し、香澄公園、海浜公園、秋津公園、また谷津干潟に戻って自然観察センターにゴール。家族連れも多く参加して和気藹々のウオークで良い半日を過ごしました。

          

    これを胸や腕につけて歩いた        全員の到着を待つ役員たち

         

       アンカーの到着           全員ゴールを確かめて役員代表挨拶

 

この他に、船歩の石田副会長の挨拶を撮ったのに何故か写っていなかったのが  残念。始めは写真のことは念頭になかったので、大勢の団体歩行も写さなかった。最近、こういうことが多い。今後はもっと感じをだすようにしよう。

 


チャリティーパーティー

2008年06月04日 | マナイゲルをつくる会
3日前、世田谷区瀬田の濱さん宅でチャリティーパーティーがありました。
アフリカのシエラレオネで支援活動を続けているシスター根岸美智子さんが一時日本に帰国されていて、彼女の貴重なお話を聞くために60名の人が集まりました。

シスターはあまり若くもなく、また身体も特に丈夫そうに見える人ではありませんが、お話の中に垣間見るたくましさは何処から出てくるのだろう?

シスターが淡々と話す内容は、
想像も出来ないような内戦の惨状、麻薬で麻痺された少年兵の蛮行、反乱軍兵士による暴行、虐殺、リンチ等々。実に身の毛もよだつようでした。
シスター自身も2月6日にイタリヤの神父とともに反乱軍に囚われ、死を宣告されて、後ろから銃口を向けられたが、何故か兵士は発砲せずに立ち去ったということでした。

そのような所で、そんな目に遭いながらも、支援を必要とする人達のために生命を曝して愛を貫く姿は感動のほかありませんでした。短い日本滞在を終えて又現地に戻るとのことです。
彼女は最後に「愛に勝る力はない!」と言っていましたが、とても我々が到達出来る境地ではないのではないか?


濱さんの司会で近況を語るシスター。
このあと、山田幹子さん他によるチェロとバイオリンの演奏があり、楽しい食事会にはいりました。
シスターの日本での希望は、静かに音楽を聴くことだったそうです。



我々マナイゲルをつくる会のグループは、外務省の前川報道官を囲んで楽しいひと時を過ごしました。



昨日、3日は「マナイレルをつくる会」の解散の清算結了を提出しました。
9日が完了予定日です。