謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

八ヶ岳山麓の記

2010年05月23日 | マナイゲルをつくる会

20日~21日。元マナイゲルをつくる会で一緒に仕事をしたSご夫妻の八ヶ岳山麓にある別荘に招かれた。新宿駅口から高速バスで中央道を約2時間半。新宿を出た時はかなりの雨だったが、八王子を過ぎた頃から雨はあがり、長坂・高根のバス停で降りた時には晴天に近い空模様でした。S氏が迎えにきていた。さらにS氏の車で約20分、田畑を縫って林の中に入り別荘に着いた。

別荘は林の中ではあるが、想像したような別荘地帯で他人の別荘も散見できる。何よりも樹間の空気が美味しい。バスの中からも遠望できたが、八ヶ岳連峰や南アルプスの景色は抜群に良い。2階まで吹き抜けの木造の別荘は開放的で広々として都会の住宅とは居心地が全く違う。自然の中で自然に過ごす贅沢を味わった。

一息入れてから、空は少し曇ってきたが、ご夫妻にそこいらを車で案内してもらった。山でのそいらはかなり遠い。最初に行ったのは清泉寮(せいせんりょう)。    アメリカ人牧師ポール・ラッシュ博士の創設で、研修・会議・合宿・イベントなどあらゆる用途に利用されているという。温泉や食事所もある。

         

     清泉寮入口    ポール・ラッシュ博士像    少し離れて牧場ま見える

次は、この辺りでは有名な滝、「吐龍の滝」と展望台へ。

      

       「吐龍の滝」水が綺麗    右上に雲間から僅かに見えるのは富士山

このあと、柳生博さんが経営する八ヶ岳倶楽部のギャラリーに寄った。彫刻、ステンドグラス、装飾家具など展示即売もしていたが目を見張るような高価なものばかり。中庭には柳生博さんの姿も見えた。この頃から雨降りとなる。

翌日は素晴らしい晴天。朝食前にいい空気を吸いながら徒歩で散策をしました。

       

  朝の空気の中で、八ヶ岳がクッキリ。右が赤岳。   清里高原道路?

こんな山の中に来ても、昼になる遠景が霞むことを知りました。

朝食後、団欒のあともう一度、徒歩で散策。気温は上がったが湿度が低いとみえて汗はかかない。1時間半ほどでもどり、再び団欒の時には、窓の外に野生のキツツキ、きじ、鹿を見た。午後2時半に山荘を辞して帰る。

 

 


チャリティーパーティー

2008年06月04日 | マナイゲルをつくる会
3日前、世田谷区瀬田の濱さん宅でチャリティーパーティーがありました。
アフリカのシエラレオネで支援活動を続けているシスター根岸美智子さんが一時日本に帰国されていて、彼女の貴重なお話を聞くために60名の人が集まりました。

シスターはあまり若くもなく、また身体も特に丈夫そうに見える人ではありませんが、お話の中に垣間見るたくましさは何処から出てくるのだろう?

シスターが淡々と話す内容は、
想像も出来ないような内戦の惨状、麻薬で麻痺された少年兵の蛮行、反乱軍兵士による暴行、虐殺、リンチ等々。実に身の毛もよだつようでした。
シスター自身も2月6日にイタリヤの神父とともに反乱軍に囚われ、死を宣告されて、後ろから銃口を向けられたが、何故か兵士は発砲せずに立ち去ったということでした。

そのような所で、そんな目に遭いながらも、支援を必要とする人達のために生命を曝して愛を貫く姿は感動のほかありませんでした。短い日本滞在を終えて又現地に戻るとのことです。
彼女は最後に「愛に勝る力はない!」と言っていましたが、とても我々が到達出来る境地ではないのではないか?


濱さんの司会で近況を語るシスター。
このあと、山田幹子さん他によるチェロとバイオリンの演奏があり、楽しい食事会にはいりました。
シスターの日本での希望は、静かに音楽を聴くことだったそうです。



我々マナイゲルをつくる会のグループは、外務省の前川報道官を囲んで楽しいひと時を過ごしました。



昨日、3日は「マナイレルをつくる会」の解散の清算結了を提出しました。
9日が完了予定日です。

解散総会(つづきの続き)

2008年04月11日 | マナイゲルをつくる会

またも解散総会のはなし。大事な事を忘れていたのでまたまた思い出し日記です。こうなると日記ではないですね。

実は、ジェンダーセンターから感謝状を貰ったんです。                   

    

 それ程のことはしていないのですが、昨年夏、現地へ行ってマナイゲルの現地スタッフと正面切って折衝し、ジェンダーセンターを始め児童福祉施設を巡り、色々やてきたことが、単にマナイゲルの支援を停止したことだけで終らなかったということでしょう。

今は事後処理中ですが、これが終ったら何をやろう。                        

世の中には立派なことをしていると人が沢山いるので、そういう人達に協力したいと思っています。


解散総会(つづき)

2008年04月08日 | マナイゲルをつくる会

3月31日の日記はそのまゝにして、今日はその続きを書く。3月29日の総会から10日も経ってしまったが、写真が揃ったので、思い出しながら振り返ってみよう。

                       

 総会は文字通りの解散総会で、事業報告の中でも解散止むなきに到った経緯が   縷々説明されて、皆さんの同意を得ることが出来てホッとしました。

              

  総会には、NPOアジアチャイルドサポート代表理事の池間哲朗先生も傍聴されていて、お願いして有意義なお話を拝聴できたことは本当に良かった。(左の写真)   続いて箱崎理事からジェンダーセンターの紹介があった。(右の写真)

         

  総会後には、会が招待したモンゴル国のNGOジェンダーセンターの所長とプログ  ラマーによる「モンゴルの子ども事情と支援の方向性」と題して、映像を伴った講演がありました。講演はアムガラン所長、通訳は東大大学院生デルデルゲルマー、構成は所員バヤスガラン。

  池間先生、ジェンダーセンター共に、世の中の弱者に手を差し伸べる崇高な精神と力を持つ人達です。

  善意と愛情を全面に掲げて発足した「マナイゲルをつくる会」は解散という、まことに残念な結果に終ったが、この2年間には素晴らしい出会いに沢山恵まれました。  たとえ、微力でも他に尽すことが出来るのは幸せです。天地自然と世の人々から受ける恩恵に感謝します。

       

  総会終了後は、懇親会。箱崎理事の先導でモンゴルの歌を聴いた。日本の鉄道唱歌と同じメロディー歌がモンゴルにあることを知った。右の写真、左から、デルゲルマー、アムガラン、箱崎、バヤスガラン。

 ジェンダーセンターのお2人は、3月31日に大坂へ発ち、大阪大学その他、博物館、労働者勤労センターなどを表敬訪問、・交流を重ねて、4月4日東京へ戻り5日に帰国しました。

     

 帰国直前、空港にて。左の写真は濱理事とジェンダーのお二人。

 右の写真は ジェンダーのお二人とデルゲルマー。           

           

         


解散総会

2008年03月31日 | マナイゲルをつくる会
3月29日(土)はマナイゲルをつくる会の解散総会の日。
朝から快晴で、桜は7分咲き~ほぼ満開とあって上野はすごい人出でした。

前日は、成田空港へジェンダーセンターの人達を迎えに行き、夜は上野のホテル(彼女たちが宿泊したきぬやホテル)の付近を夕食の席を求めて歩き廻ったが、何処も人、人、ひと・・・。とうとう会食は出来ずに、彼女たちはコンビニで弁当を買って部屋で食べるということに。
それもこれも、花見の所為だ。上野の花見に来たことはないので全く予定外のことで驚きました。

総会は出席者も多く成立し、予定通りに14時開催。解散審議にも反対意見はなく、議案はすべて滞りなく承認されました。
総会には沖縄大学の講師でアジアチャイルドサポート代表理事の池間哲郎先生が傍聴に来られたので、十数分のお話をして頂いた。
やはり第1線からの実績をふまえたお話は迫力があり説得力もあるものでした。

15時20分、総会閉会後、休憩を挟んで第2部として、ジェンダーセンターのアムガラン所長による講演会を行ないました。モンゴルからは、所長のほかに、プログラマーのバイヤガラン
さんも来日して講演の補助にあたっていました。

講演は「」と題してジェンダーセンターの紹介と事業方針につてのものでした。
社会的弱者を真摯に支援する真面目な団体が数多く存在することを知りました。

この日記は未完です。写真がまだ揃わず、講演の題名もよく覚えていない。
この日記は今週中に完成する。

「マナイゲルをつくる会」解散にむけて

2008年01月21日 | マナイゲルをつくる会
昨日は10時から17時までフェイスで「マナイゲルをつくる会」の理事会を行った。
今回は残念ながら会を閉じる方向に向けての会議でした。
今回は、特別報告としてA.デルゲルマー氏が出席して、モンゴルのジェンダーセンターについての懇切な説明が2時間に亘って行われた。かって激動の時代を迎えたモンゴルにあって女性や子供の人権を守るために数々の試練と実績を持つこのNGOの精神と現状に、国境を越えて賛仰の念を禁じ得ない。
A.デルゲルマー氏は、モンゴル大使館から紹介された女性で、交換留学生として専修大学に学び、今は東京大学の修士課程で社会福祉学を専攻する稀代の才媛である。ジェンダーセンターにはコンサルタントとして貢献している。
{会}としては素晴らしい出会いでした。
マナゲルの支援事業は相手の無理解・不服従・不誠実により、善意と愛情のこもった浄財を投ずるには値せず(寄付者に申し訳ない)と判断して閉じることとなる。
ジェンダーセンターが仲に入ってくれても、その善意、高邁な愛情は、相手に通じなかった。
しかし、彼女やジェンダーセンターとの出会いは一筋の光明でした。

午後からは淡々として、解散総会への打ち合わせが進み、丁度17時に閉会した。
議事とは別にモンゴルの他、東南アジア諸国の恵まれない子どもたちの実態を訴える本などを見せられたが、日本の敗戦直後の戦災孤児を彷彿とさせられる。
今の日本人は幸せだ。

理事長の辞意

2008年01月18日 | マナイゲルをつくる会
マナイゲルをつくる会は、昨年夏から難関に遭遇していて、我々代表4名が共催団体の
FIDR(国際開発救援財団)の1員と共に、現地で視察・折衝をして来た。
難関というのはモンゴルマナイゲルの職員の資金の使途に不審あり、それに対する当方の指示に不誠実な対応と不服従などである。
現地では善意のNGO(ジェンダーセンター)にも仲介してもらったが、結果は思わしくなく、現在悪い結論に向かって進行中です。
その折、今日15時30分頃、新田目理事長が我が家へ来て副理事長宛の辞表を提出しました。この事業は元々彼の発心からのものであり、その志に共感してNPOが立ち上がった。それであるから新田目氏の心労と傷心はよ~く分かるのです。

明後日20日は今後の方針を決めるべき拡大委員会。気を引き締めてかからねばなりません。
しかし、善意とか愛情とか最も分かりやすくて、最も誰もが持つべきものが、扱う人間の善し悪しで曲げられてしまう現実!?
国が違うとはいえ、世の中は油断ならぬ。十分な調査がなによりも必要と痛感します。