この7月に病院二題。
その1、 治療なき闘病
医療センターで肺がんと判定されてから、約1年半ばかり医療センターでお世話になった。その間、昨年の3月から6月に亘って四回の入院で抗がん剤の投与を受けた。
その結果は、癌が拡大しなかったことを以て“良し”としながらも、体力に予想以上のダメージを受けたので、以後、抗がん剤は中止し、同時に癌に対しての一切の治療は停止して、自然に任せることにした。だが、自然でいると、咳と痰が激しく出るので、咳止めと去痰剤は続けている。
医療センターでは1度/4週間のX-Ray検査と血液検査を行ってきた。
その結果は、この1年間に何れも目立った変化はなく、6か月ごとのCT検査で僅かに推定3mm程の変化が見られるのみ。それで天野医師は「病状は落ち着いている」と診たのであろう、
「この後は、青山病院で診てもらってもよし」として、紹介状にデーターを添えて、青山病院へとさし戻した。私は、青山病院の方が近いので喜んでいた。
ところが、これでについて、驚いたことが5つある。
- 紹介状が病院受付から担当医に廻るまでに、開封されていたこと。
- 紹介状の趣旨が “おたくから紹介された患者なので、落ち着いたから、おたくへ差し戻す” 程度のもので、詳細な申し送りが一切無かったこと。
- 添えられたデーターが、この病院では解読できなかったこと。
- 最後の際の苦痛緩和処置をお願いしたら、断られたこと。
- 自信がないなら、それでも良いが、「緩和ケア病院はネットで探せ」と言われたこと。
4と5は特に ガツン と来た。
「医は仁術なり」の精神は何処へ?!
病院の理念などと堂々と掲げているが、そんなものは「看板に偽りあり」 でしかない。
以上、簡単に廻してくれた医療センターにも不誠意を感ずるし、青山病院でも、嘗ての患者を受け入れるに、難色を示して、実も蓋もない挨拶をされたことには落胆した。まるで厄介者扱いでこちらは立つ瀬がない。
しかしながら、こちらは患者、向こうはお医者様。 逆らって勝ち目はない。
あまりに多くは望まないことにしよう。これが普通なことなのだろうか? しかし、すべての病院がこうではないでしょう。
その2. 尿管結石全快
尿管結石はこれが4度目(この他に腎臓結石が2度ある)。しかし、こんなに長くかかったのは初めてです。痛みを感じて青山病院へ行ったのは、3月13日。約4~5mm角の石があることが分かった。薬で下ろそうとした が、2週間経っても下りず、船橋クリニックへ紹介されて破砕することにした。4月22日入院して破砕して23日に退院。その後2週間くらいで1mmm角の欠けら4個、その他若干の砂を採取したが、残部が砂状に残って排出されなかったので、その後、約2カ月の薬餌療法でやっと完治した。7月30日にやっと全快を告げられたが、この間142日。全治するまでに今までの数倍の日数を要した。これは加齢により、回復力がこんなに遅れたものか? しかいながら、これはその1と違ってとても目出たい話です。
全快の前日、私が不在の時に歩く会の T さんからから電話があった。この日は火曜日で例のの火曜ウオークが終わった時点だったらしい。夕刻、改めて電話したが、いつも変らぬ友情がとても嬉しかった。早く体力を回復して皆さんと一緒に歩きたいという気持ちが沸々と湧いてきました。でも、いまは 暑い! 涼しくなったら出来るよう頑張ろう!