謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

千の風になって

2017年06月19日 | 雑記帳

一昨日は、嫂成子さんの遺骨と共に、妹純子の遺骨を、同じ墓に埋葬した。

成子さんは5月2日に、純子は5月10日と命日は8日間違うが、参列者の都合があって、夫々の49日を繰り上げ、二人同時に49日の法要と埋葬を行うことにしたものである。参列者は7人。成子さんの長男、次男、長男の妻と次男の4人。純子の側は兄である私等夫婦と娘の3人。この中、成子さんの長男夫妻と次男は札幌からの参加である。

成子さん側は電車で、私達は娘の運転する車で、夫々に遺骨と位牌を持って八王子の第二高尾墓苑の大宣寺に集合した。

私達は、朝7時50分に船橋の家を出て、途中少し寄り道をしたが、10時10分頃には到着した。成子さんの側も余裕をもって到着し、夫々、受付を済ませ、定刻の11時には法要が始まった。読経、焼香、法話と進み、法要は11時40分頃に終わった。その後全員でやや傾斜のある坂道を進み池守家の墓に行き、墓碑の刻銘を確認し、塔婆を置き、位牌を供えて二人の遺骨を同じ墓に埋葬した。その後で僧侶の読経のうちに、全員でお墓全体を水で清め、納骨の儀式は終了した。

人の一生は、何方の一生であっても、夫々に波乱万乗の人生であったと思います。お二人とも波乱に富んだ長い人生で色んな体験をして、それを乗り越えて来られたことと敬意を表します。骨は墓の中にあっても、魂は、歌の文句のように、千の風になって大空を駆け廻ってほしい。


菊池幸雄君弔問

2017年06月15日 | 雑記帳

何もやりたくない、気力ない日が続いている。我ながら情けないと思うが、気持ちも身体もあまり意欲的に動かない。

そのうちに、そのうちにと思っている間に菊池幸雄君の49日が迫ってきていることに気付いた。それで慌てて弔問することにしたが、聞けば49日は6月16日ということ。それで、迷わず、今日6月15日に市川のお宅を弔問した。家内と二人で。

花と写真に囲まれた部屋で、遺骨が安置されていた。奥様は大変喜んで迎えてくれた。奥様はまだ平常の気持ちには戻られてはいないようだ。それは、私自身を省みても、無理からぬことと思う。私も、妹を亡くしたばかりなので、感情が一致するところが多々あり気持ちが大変慰められた。

思い出話に花が咲き、ついつい長居をして、お昼をご馳走になり、その上、遺品の靴まで頂いて退出した。  明日は空路、札幌へ飛び、昨年9月に亡くなった姉上と同じ墓に納骨される。気象庁長官にまで登りつめたのは、この母親代りだったお姉さんのお蔭と聞く。そのお姉さんが病気になり、その間、10年間も東京~札幌間を月1回の間隔で見舞い続けた彼の事を想うと感概が一入である。

妹、純子も明後日17日には納骨する。49日には早いが、甥達と相談して、8日前に亡くなった嫂と一緒に、繰り上げて法要し納骨することにした。従って、遺骨を我が家に置く期間は短くて寂しいが、諸事情を考えて一緒に埋葬することにした。

去る6月10には、60回目の結婚記念日迎えた。人間は長生きすると、良いことも悪いことも色んな事がある。

 


ブログ再開しました(続き)

2017年06月01日 | 雑記帳

一昨日、2年2月振りにブログ再開したが、現状の補足をしたいと思います。

一昨年、9月1日、旧船橋総合病院跡に「介護老人保健施設リハビリケア船橋」という施設が出来、開所当時からそこへ毎週水曜日と金曜日の週2日、午前中のリハビリに通っています。ここは4階建ての大きな建物で、上階には「介護付き有料老人ホ-ムきゃろっと」などがあります。

我々リハビリ組は、1階の約半分を使って種々サ-ビスを受けていますが、通所には送り迎えの車が来て、とても楽です。リハビリの内容も、個人の体力・体調に合わせたもので<安心です。私達は午前だけなので正午頃帰りますが、午後からの組もあり、一日の人達は、昼食、入浴、昼寝などもあります。

ここに週2回、1年8カ月通っているので,心身には良ろしいようです。

老齢になると、人の死を惜しむ心情は一入で、この一月は憂愁と哀愁に閉ざされています。

菊池幸雄君は旧制中学時代からの旧友で実に71年間の旧交があり、かっては気象庁長官も勤めたクラスの出世頭だった。

兄嫁の成子(よしこ)さんは、兄の死依頼、29年間の寡婦生活に耐えた。

妹、純子は婚前は幸せであったが、不幸な結婚をして離婚し、母の死以降は長い間(27年6カ月)の入院生活。その後、府中市の多摩同胞会の高齢者住宅に入って4年6カ月の恵まれた生活が出来た。しかし、その後、路上で転倒して右肩を骨折してからは身体の機能が衰え、要介護5の状態となり、多摩同胞会傘下の信愛泉苑に入所してから胃癌が見つかり、それが原因で、不幸せな一生を閉じた。

何時までも沈んでばかりいられないが、これが肉親の情というものか?  故人のことは忘れずに。しかし早く立ち直ろう!