謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

肺癌進行せず

2013年10月15日 | 手稲会

10月8日は、医療センターにて4週間毎の診察日、この日の予約は12時30分。近所のNさんに送って貰って11時半頃到着、すぐに採血とX-Ray検査をし、待つこと約2時間、診察の結果は、この度も異常なし、癌の進行を認めず。3月5日以来、X-Ray検査はこれで10回目、この間、癌の進行はなしです。尺度を決めて綿密に計測したわけではないが、見た眼では変化なしということです。ただ、咳と痰だけは絶え間がない。これに対しては薬を飲んでいる。

癌については色々の説があり、極端なのは癌の殆どは疑似癌であるという説がある。真の癌は必ず転移して決して治らなず、手術や抗癌剤で治っているのは疑似癌だとまで言っている。   では、私の癌はどうなのだろう?私の場合はCTの判定だけではなく、気管支鏡検査で組織を摘出しての診断である。また、上記の説を唱える近藤先生も「肺癌で咳、痰を伴うものは本物である」と記述している。しかし、癌の大きさは変らず、他臓器への転移の様子もない。四度の抗癌剤投与が効いたのか、加齢によって進行が遅いのか、分からない。

何れにしても、今後とも抗癌剤は、もう止めにして、自然に任すことにします。そのうちにウオーキングにも出られるようになるかも知れない。酒も位前のように美味しく飲めるようになるかも知れない。それを夢としよう。次回11月5日の診療の時はどうなっているだろうか、楽しみだ。

10月10日は、手稲会の総会・昼食会を日本橋室町の砂場(そば屋)で行った。寄る年波で出席者は僅かに8名。会員は5名、夫人が3名、今までで最低の人数でした。欠席者の近況では、胃瘻の手術をした人、家庭酸素が必要になった人、など・・・去年にくらべて重くなっている。私などは元気なほうです。人数は少なかったが、結構盛り上がり、良い会合でした。

明日は、台風26号が関東に最接近する予報です。外出は控える積りだが、仕事をしている人は大変ですね。


交友2件

2011年02月13日 | 手稲会

2月12日(土)はG・S君、K・T君と私の旧友3人は、同じく2人の旧友H・S君とT・K君を訪れた。

H・S君を訪れたのは彼の絵を観るため。H・S君は画伯です。流山市生涯学習センターで第14回アルス展に今年も出品した。時間を打ち合わせて会場で落ち合い、S君の説明を聞きながら絵画を鑑賞した。S君の出品は下の3額です。

                 

    大通り公園        蘇州虎塔 (斜塔)    フエリンツェの尖塔

 蘇州虎塔はピサの斜塔と並ぶ世界に只二つだけの斜塔の一つ。フエリンツェの尖塔は共に旅行した時のスケッチと写真を基にしたもの。

展覧会場を13時に出て、T・K君の住む守谷へ向かう。自宅へはG・S君が一度行っているのでタクシーで迷うことなく一発で着いた。K君は一カ月ほど前に自宅で仰向けに転倒して、その後体調が悪く、自力で排尿できなくなっているというので、そのお見舞いに行ったわけ。

尿は管を膀胱まで通して、バルブの開け閉めで出しているとのこと。転んでどうしてそうなったのか?お医者からはっきりした説明はなかったようで、ただ「焦らずゆっくり療養しなさい」と言われたとのこと。歳をとると、医者からはよくそういうことを言われる。何処の医者も大勢の患者を診るからあまり徹底した検査をしようとしないようだ。立ったり動いているとお腹のあたりが苦しくなるので椅子に凭れている時間が長いというのが気になるところです。それでも特に痛いとか苦しいとかではないのが救いでした。その為か、ご夫妻とも暗くはならず明るく元気なので何よりよかった。2時間くらい談笑してお土産までもらい、令夫人に駅まで送ってもらって帰途についた。T・K君とG・S君は私と共に東京手稲会の幹事をしており、この際、T・K君が健康回復するまではK・T君が代行することになった。


墓参

2008年06月26日 | 手稲会
 今日は、4月18日に亡くなった旧学友、76歳まで弁護士を務めた故吉弘正美君の墓参りに逝きました。

 行ったのは旧級友7人。先方からは未亡人になられた奥さんと、お医者の次男(長男もお医者とのこと)田町駅で待ち合わせて、次男さんの車で5人が、タクシーで2人(奥さんをふくめて3人)で港区白金4丁目の西光寺へ。
ポツポツと降っていた雨は到着と同時に止み、ゆっくりとお参りできました。

その後で、今度は次男さんの8人乗り車に9人で乗り込み、みやこホテルのレストランで軽食をご馳走になりました。初めて食べた「何とかロー」という、ジャムとかバターをつけて食べるクッキーのようなケーキーが美味しかった。またコーヒーにいれた砂糖がよく効いていた。

カメラを忘れたので写真はない。
級友も次々に亡くなったが、残った数はまだかなりいる。医療が発達しているお陰で、かなり多いのではないでしょうか。逝った友の冥福を祈ると共に、現代医学で支えられている自身の健康に感謝する次第です。

 墓参に行く前に、昨日のプリンターについて、メーカー(キャノン)に電話で聞きました。言われるとおりにヘドクリーニング、強烈クリーニングを行ったが、結果は故障でした。

暑気払い

2005年07月06日 | 手稲会
昨日は毎月恒例の一火会があり出席は9名。田中、吉弘の両君が欠席した。
先月の合同手稲会の写真などが配られた。同じような写真でも夫々個性があって面白い。
合同会の運営を巡って批判もあったが、幹事としていずれも結構参考になった。
ただ一方的な非難は頂けない。皆いい歳になって柔軟さを欠いて頑迷なってきているので止むを得ないか?

それはそうとして、暑気払いの話が出た。暑気払いは毎年の夏恒例とはなっていない。むしろやる年のほうが少ない。今年私は当番幹事、話が出て逃げるわけにはいかない。
二つ返事で引き受け、同じ幹事の生田君と下見に行くことになった。

二次会のカラオケは、最近吉弘君が多忙なので新橋のエコーには行かずに、先月から西葛西で途中下車して「柳」という店に寄る。行くのは菊池君と二人だけ。
ここはカラオケバーというのかカラオケスナックというのか知らないが、とにかく飲み物はなんでも2杯以内だと何曲歌っても2千円。仕切っているのはママさん一人。近所の人が下駄履きで来るような雰囲気の店である。21時ころまでは空いているので廻りがよい。
帰りは東船橋に着いたら雨が降っていた。

梅雨も後半に入り、間もなくビールの季節が来る。話(暑気払いの)は早い方がよい。
電話で生田君と連絡をとりあい明日銀座に出かけることにした。
手稲会員集まるには銀座が中心であり、一番分かり易い。

明日は、オカミが横浜にバイトに行く日なので、帰りはどちらが先になるか?

季節は矢張り夏だ!

有珠山噴火の跡

2005年06月23日 | 手稲会
今日も10日間ばかり過去に戻り、有珠山の噴火跡を思い出そう。
有珠の噴火は2000年というから5年前、地殻が変動して約75メートルも盛り上がったとのこと。それに付随して沈下した国道跡もはっきり見られた。
直接、被害を蒙った工場や民家を目のあたりにし、自然の造山運動の脅威を感じた。
この噴火跡は一見の価値はある。


    このような噴煙はあちらこちらに見られる


    直接被害をうけた「わかさいも」の製造工場


黒澤牧場

2005年06月22日 | 手稲会
10日以上過去になるが、11日の黒澤牧場での合同手稲会は携帯電話からのブログで、写真もなかったので再記載したい。

札幌組は24人(内夫婦5組)、東京組12人(内夫婦4組)計36人
喜寿に手の届くようなメンバーのクラス会としては、よく集まったほうだろう。
場所は北海道空知の黒澤牧場、美しい緑に囲まれて澄んだ空気の元に、新鮮な肉と野菜のバーベキュー。自家製のバター、チーズ。ウイスキー、ビール、ワインと共にそこにあった酒は「越の寒梅」、感激の極みであった。
この歳になれば暴飲暴食はないが、結構充分に盛り上がり、久し振りの再会を喜び合いながら楽しい時を過ごした。宴のあとは牛舎を見学して閉会。

バスで新千歳空港まで。ここで札幌へ帰る組11人はそこで下車、洞爺へ足をのばす組25人はそのままバスで洞爺まで。




   ご夫人方も和気あいあい(右に立っているのがオカミ)

      牛舎 牛が200頭いるそうな。

写真は私が撮ったので、私は写っていない。そのうち誰かから送ってきてから載せよう。


清水君からこの写真を送ってくれた。




明日はお立ち

2005年06月09日 | 手稲会
ブログを再開して、その後入れていないなあ~と思っていたら、2週間も経っていた。一体どうしたのでしょう。それだけ気力の減退したということか。そうは思いたくない。やる気になって続けよう。
ところで、明日は札幌と洞爺を目指して出発です。
11日は空知の黒沢牧場で昼間バーベキュウー。終わってから洞爺へ。
今回の渡道(北海道へ行くこと)の目的はは旧制中学校のクラス会で、よさこいは主目的ではないが札幌の旧友からの誘い文句によさこいが入っていた。
洞爺は11~12日なので「よさこいソーラン」に出会う筈。

小泉先生に言うのは可哀そうだったが、黙っていくのも悪いのでつい言ってしもうた。
「写真を沢山撮ってきて!」との小泉校長の声が耳に残る。何でも一生懸命というのは見ていても気持ちが良いよい。
「よさこい」には遭遇できると思うが、当日は内浦湾に廻ることにもなっているので或いは?

でも何かかにか、掴まえると思う。
しばらくサボッテいたので、頑張って携帯からブログを入れよう!!



手稲会の新年会

2005年01月25日 | 手稲会
昨夜は楽しい手稲会の新年会。この歳になるとお正月などは特に嬉しくはないが、新年会は結構楽しい。参加は20人、会員11名とその令夫人が9名。場所は赤坂離宮。たまには少々高くても美味しいものを食べようという訳でこの場所を選んだ。
ほぼ定刻18時に開宴、出てきた料理は本当に美味しい。中華料理はよくわからないが、広東料理とのこと。広東も四川もよく名前は聞くが区別は分からない。皆も美味い美味いとい言っていたので間違いなく美味しかったのだろう。それに酒。私などはビールと日本酒しか馴染みはないが、ワインと、中華料理に付き物の紹興酒(これは知らないわけではない)。食べる程に飲むほどに酔う程に段々盛り上がり、紹興酒とワインの追加が続出。女性陣もかなりお元気にやっていたようだ。ワインをお好みの方、通の方が意外に多い。ワインには門外漢の私には驚きだった。飲んでみると確かに美味しい。しかし、これは高いんだよね。それも、追加する時はグレードを上げて注文するので予算は大幅に超過!
”まぁ~たまにだからいいか”これが同じ幹事の生田君と私の方針である。いい気持ちの2時間が過ぎたあと、何と6万円弱の超過。まぁ~たまにだからいいか!!

一火会

2004年11月02日 | 手稲会
只今帰りました。今日は月一回の一火会。一火会というのはカテゴリーにある手稲会の有志の集まりです。 手稲会とは昔々の旧制札幌一中(現在札幌南高)の昭和22年卒業の同級生の集まりです。 東京手稲会と札幌手稲会に分かれ、平均年齢は75歳。この歳になっても月一回の飲み会を楽しむ。話は多岐にわたる。  今日も11人が出席、その後のカラオケも忘れない。カラオケの常連は3人、ちょっと寂しい。3人の中、一人は本当に上手い。この人は元気象庁長官です。あとの二人はちょっと上手い。
旧級友と飲むのは、何の気兼ねもなく実に美味しい。歳とともに飲む量が減っていくのが、健康のバロメーターで、これを参考に日常の健康管理をやっている次第です。

(追記)
一火会で斉藤君が、毎日新聞のブログの記事を切り抜いてを持ってきてくれた。
今朝、阿部さんからのメールでこの記事のことは聞いていたが、我が家は毎日新聞をとっていないので、見たのはこれが始めて。

高桑夫妻歓迎

2004年10月20日 | 手稲会
 昨夜の話。この度アラスカ在住の高桑君(医師)がアメリカ人の夫人を伴って里帰りしたので。旧制札幌一中の同級生一同(東京手稲会)で歓迎会を行った。場所は銀座の「ほり川」。彼ら夫妻は札幌でも札幌手稲会の歓迎会を受けてきている。
 出席者は夫人同伴4組、単身5名計13名で迎えた。殆どは50年ぶりの再会だが、流石に級友同士、すぐに打ち解けて話が弾んだ。
医療に従事して市民権も得て長年アメリカで暮らしていたにも拘わらず、英語も日本語も本当に流暢なのには感心した。
数人の旧友や夫人が高桑夫人と楽しそうに談笑していた。経験で身に付いた人達なので、自然で違和感がない。ふと羨ましくなる。
アラスカには最近リタイアしてから住み始めたが、付近は人間よりも動物の数が多く、庭に熊が入り込むこともあるという。想像出来ないような自然の中の暮らしだ。 
雰囲気が盛り上がり話も尽きないうちに予定の3時間はあっと云う間に過ぎ、少々超過して閉会した。

外に出ると、すごい雨。帰宅は23時ちかかった。