謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

松陶会と大和山

2004年11月06日 | 大和山
午前は松ヶ丘公民館で作陶、といっても文化祭と忘年会旅行の打ち合わせばかり。打ち合わせに加わらない人達も、何か落ち着かない3時間半だった。なんのかんのと言いながら結局、文化祭の展示品は40点、旅行参加者は18名、例年よりやや少な目。
午後からは大和山のバザー(明日実施)準備。数年前からは全て若い人に任せて、私は品物を載せる台の配置、設置だけにしている。それでもイベントテント6基なので時間はかなり食う。
他にも少し手出しをして、家に帰ったのは21時。明日があるので早く寝る。

日歩の記念碑

2004年11月05日 | ウオーキング
日記を5日前に戻す。
比叡山の中腹の駐車場。ここには展望台、レストラン、お土産店、トイレがあって延暦寺参詣前後の休憩所です。
右の写真は伝教大師の銅像でこれは只々有難いだけだが、

ここまで来たが、2枚目の写真が入らない。
拡大写真の上で右クリックして、表示された一覧から「プロパティー」を選択すると「画像は使えません」と出ます。何処か手順の間違いがあるのだろう。
時間が無駄なので今日は一先ず中止。
次の写真が今日の主題なのだが。


そうこう言いながら、今までのメモを色々組み合わせてやっているうちにバッチリ。
何か分からないうちに入った!
これは、上の最澄さんの銅像の隣にある日歩協の記念碑である。時間がなくてあまりよく見なかったが、始めての日歩協主催のウオーキングがここで行われて、それの記念碑だと思う。
そのようなことが書いてあったし、碑文はウオーク祈念碑となっている。ここまではどうでも良いが、写真向かって左側の先人○○碑になんと前会長の武部三嘉さんの名前が刻まれていた!
なんでか感動した。

一火会

2004年11月02日 | 手稲会
只今帰りました。今日は月一回の一火会。一火会というのはカテゴリーにある手稲会の有志の集まりです。 手稲会とは昔々の旧制札幌一中(現在札幌南高)の昭和22年卒業の同級生の集まりです。 東京手稲会と札幌手稲会に分かれ、平均年齢は75歳。この歳になっても月一回の飲み会を楽しむ。話は多岐にわたる。  今日も11人が出席、その後のカラオケも忘れない。カラオケの常連は3人、ちょっと寂しい。3人の中、一人は本当に上手い。この人は元気象庁長官です。あとの二人はちょっと上手い。
旧級友と飲むのは、何の気兼ねもなく実に美味しい。歳とともに飲む量が減っていくのが、健康のバロメーターで、これを参考に日常の健康管理をやっている次第です。

(追記)
一火会で斉藤君が、毎日新聞のブログの記事を切り抜いてを持ってきてくれた。
今朝、阿部さんからのメールでこの記事のことは聞いていたが、我が家は毎日新聞をとっていないので、見たのはこれが始めて。

根本中堂の”不滅の法灯”献油式

2004年11月01日 | 大和山
今日、帰宅して見ると昨日のブリグに わんこさんからのコメントあり、よく分からない由。
簡単に説明すると、これは宗教上の話です。
比叡山延暦寺の”不滅の法灯”とは伝教大師最澄以来、千二百年灯し続けられてきた灯明のこと。
この灯明は菜種油を燃料としています。
今から21年前にシンガポールでアジア宗教者会議があった。
ここで天台宗座主、山田恵諦猊下と松緑神道大和山教主、田沢康三郎が、意気投合。
「比叡山の”不滅の法灯”を灯し続けるために大和山もお手伝いしましょう」ということになり、それ以来大和山の教信徒は各自に菜種を栽培してその実を菜種油の原料として奉納するようになった。大和山はそれを製油して毎年五百数十リットルを比叡山行者ようの草鞋千五百足、蓮華笠一傘と共に20年間奉献し続けていて、これが大和山の一行事となっている。これが”不滅の法灯”の献油式です。
これが、今日、延暦寺の根本中堂で行われ参列して来ました。
かく云う私は大和山の教徒の一人です。菜種は、うちはマンションなのでベランダで4鉢栽培して本の一握りの菜種の実ですが献納しています。勿論、大量に作っている人もいますが、私のような一握り、二握りが集まって五百数十リットルもの油になっています。

私は、信仰には非常に批判的なので決しての「めりこみ」はしません。
しかし、こういうことは、非常に良いことだと思っています。