4月17日、海老川の桜を見に行きました。期待はしていなかったが、その通り大部分は葉桜になっていた。10日に傍を通ったときには道路の両側に不法駐車が連なり大盛況のようだったので、これほどになっているとは、ちょっとがっかりでした。それでも両岸に出店が並びいかにも日本人の花見好きがほほえましい。大震災から1ヶ月後なので、さすがにドンチャン騒ぎはないが、ゴザやシートを敷いての家族団欒、ご近所団欒、友達団欒の風景は随所に見られた。
誰かが餌をまいたので水鳥の乱舞 咲き遅れの桜が、今 綺麗
東日本大震災があってからすでに1カ月以上を経過。被災現地のことはテレビ、新聞等で偲ぶほかないが、インター・ネットに羅列される諸情報には辟易させられる。勿論、正しい情報もあると思うがまったく意図も意味もわからない無責任なものがあるのは確かです。
情報ではないが、ツイッターに見られる呟きには真実がある。例えば「地震以来、言いたくないことが増えた。正確に言うと、人を選んでからしか話したくない」「普段日常で使う『頑張れ』ってそんな深い意味じゃなくて、挨拶程度の意味しか持たないのに、やけに噛みついてくる人いますね。なんだろうあれ」「あなたの言葉は別の階層には届きません。政府にも、科学者にも、行政にも、同じ選挙民にも。みんな分断された言葉を話しているのです」等など・・・全くマイナス思考の呟きだが共感できる。
だが、こんな間違った呟きもあった、「海外が日本の秩序正しさや我慢強さを称賛しているとか。私はそうは思わない。理性的な面は認めるが、どちらかといえば同調圧力が強いだけだ。そして臆病である。悪い方に同調して正しいことを葬りさってきた結果がこの事態を招いているには東電や保安院の会見を見れば分るだろう」・・まるで自分は日本人でないような言い方をしている。悪いとか正しいとか言っているが何を指しているのだろう?東電や保安院に同調した者などいない。こんあことを言って偉くなったように思っているのならバカだ。
地震も津波も原発も、復興に向かって真摯に努力している人達がいるのだから、あまり勝手なことは言わないほうがよいですね。真面目な意見は結構ですが。テレビなどで国会中継など見ていると嫌になりますね。過ぎ去ったことをほじくり返して、責任がどうの、やり方がどうの・・一つも前進させようとしていません。菅首相に退陣を迫ってもいいが、代わりに誰を据えようとしているのだろうか?意地悪や苛めばかりを繰り返すような政界ならどうにもならないよ。政界が一致しなくて全国民が力を合わせることなど出来ない。もっと政府を信じましょう。
地震についてはあれこれ言うことは到底私には全くありませんが、税金であれ国債であれ出てきたものには全面的に出きるだけ協力していこうかなと考えております。出来ることなら一日でも早く元の生活に戻れることを願っています。