わたくしは、GOODをブログ・テーマとしていますので、
東日本大震災・フクシマなどに触れることを避けてきました。
個人としての問題意識を持たないということではありません。
しかし、このテーマをどうしようか、この一週間ほど迷っておりました。
その“ひとつ”
『 鄭周河(チョン・ジュハ) 私にとっての3・11「 奪われた野にも 春は来るか 」 』
韓国の写真家です。
フクシマに向かうのにはそれなりの覚悟が必要でありましょう。3年経ってはいますが。
1時間の番組を、彼は饒舌に語りつづけていました。
そこに住んでいた人々の目線、その人々が見ていたなにげない景色、そういうものを撮りたい、
という意味の発言がありました。
海の岸壁に置かれていた動物の置物、その視線は海を見ています。
かたづけに勤しむ老人たち。
など。
タイトルは、ある詩人の詩を引用しています。
彼は、精神障害者が収容されている場に数年通い続けて写真集をまとめています。
(人物写真は避けました)
彼は、ことし東北でこの写真展示を行なったそうです。
「こころの時代 ~宗教・人生~」 2014.9.06. 1ch. 13:00-14:00
“その2”
この写真です。
撮ったのは、もとだ・けいぞう(1971-)という方。
彼は、避難されているMさんと帰宅困難区域・福島県富岡町に入り、Mさんの家の周りを
撮っています。
この区域は放射性廃棄物の仮置き場の計画にも入っており、ほぼ数十年以上帰宅は望めません。
おそらくは半永久望めません。
津波による壊滅とかとは無縁のよく見かける“普通”の風景です。
人のいないこの風景は自然に侵食されていくのでしょう。
「Mさんは表札を外していた」「森になりつつある田園」などの写真が続きます。
記事は、Mさんの「この町がどうなるかずっと見ていたい。それが生きがいっちゃ生きがいだよね」
と、終わっています。
Mさんは少なくとも50歳以上でしょうね。そのココロをわれわれは想像できません。
SANKEI EXPRESS 2014.6.23. ZOOM.東北点景 それから⑮
なんでもない、いつもの、風景。
崩壊の中のその風景。崩壊していくその風景。
しかし、どちらも、見た目には“いつもの風景”であります。