三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

痛みに耐えて踏ん張って

2006年10月12日 | 健康・病気
 坐骨神経痛を持っている人間にとって一番つらいのはやはり電車です。特に満員電車。まだつり革や手すりにつかまることができればいいのですが、何もなくてただ踏ん張っているときは本当につらい。揺れる電車で自分の身体を支えるだけでもつらいのに、人の体重までかかってくるのでそれに耐えようとすると腰から爪先まで痺れと痛みが走ります。これは神経痛の人にしかわからない痛みで、悲鳴を上げるほどの激痛ではないけれども耐えるのが困難な情けないような痛みです。
 いつまでも痛い痛いと書いても仕方がないのですが、そういう痛みに耐えている者にとって、電車のドアの前で降りる人に逆らって踏ん張っている人は本当に困ります。痛くて力が入らないので、そういう人を押しのけて降りることができないんですね。そこで「すみません、降ります」と言いながらどいてもらおうとするんですが、もともと満員電車で沢山の人が降りる駅なのにドアの前で踏ん張るような人は、何を言ってもどいてくれないんですね。仕方がないので「降ろしてください、降ろしてください」と叫ぶことになります。相手が女性だったりすると変な誤解を受けるかもしれないなどという余計な心配もしながら、しかし押しのけることができない以上、そうするしかないのでそうします。
 どうして一旦降りて降りる人を降ろしてからまた乗ることをしないのか? その心理がよく分かりません。よく分かりませんが、私自身がそういう時は一旦降りて降りる人を降ろしてからまた乗るその心理はよく自覚しています。飼い馴らされた羊の心理です。車掌のアナウンス「ドア付近のお客様は一旦降りまして降りるお客様を先にお通しくださいますよう、お願い致します」を聞くまでもなく、どうしたら周囲の人に迷惑をかけないようにできるかを考えて、率先して人の都合を優先しています。こういう私のような従順な羊ばかりだと電車の運行もうまくいくんでしょうが、これが国家全体だと、おそらくとうの昔に日本は侵略されていたでしょうね。その方がよかったかもしれないし、よくなかったかもしれない。
 しかし少なくとも私自身は、たとえ日本が侵略されるかもしれないとしても、電車のドアの前で踏ん張って降りる人と乗る人の両方に迷惑をかけるような真似だけはしたくないなと、そのように思っています。それに、電車のドアの前で怒ったように踏ん張っている人を見ると、なぜか金正日を連想してしまうのは、多分私だけではないでしょう。

 1年近くも返してもらえなかった敷金ですが、この間の電話が利いたのか、10月10日に振り込まれてきました。ただ、満額ではなく、なぜか3万円ほど引かれた金額でした。しかし、少額訴訟をしても戻ってくるのは大体半額ちょっとという話だったので、それに比べれば許容範囲かなと思い、納得することにしました。泣き寝入りすることもなくお金や時間をかけるでもなく解決したのは、まだ日本のどこかに少しは良心というものが残っていたのかなあ、と思わせる出来事でした。


他人の痛み

2006年09月22日 | 健康・病気
 久しぶりに坐骨神経痛について。
 坐骨神経痛は人によって多分痛み方が違います。私の場合は腰からつま先にかけて常に鈍い痺れがあり、寝ていたり椅子に腰掛けていたりする分には大丈夫なんですが、長時間連続して歩いたり立っていたりするとだんだん痺れが痛みに変わってきて、最後は立っていられなくなります。どれくらいの時間でそうなるかというと体調や天候?によって違っていて、大体10分から30分くらいの間ですね。寝たり坐ったりしているときも脚に触れるとかすかなバイブレーションがあって、きっと神経が悲鳴を上げているんだろうなと思います。そのせいなのかわかりませんが夜中に脚がつることが非常に多くて、これがつらい。レム睡眠時の半覚半睡の状態であっても脚がつりそうになっているのがわかって目が覚めます。そして、確実に脚がつります。仕方なくベッドから降りて痙攣が解消するまで待ちますが、このとき失敗すると一日中痛むことになりますのでううっとうなり声を上げつつも、慎重に脚の筋を伸ばしていきます。脚がつるのはビタミンやカルシウムマグネシウム不足だと聞いたのでサプリメントでたくさんとりましたがまったく変わらないので、もしかしたらと思って調べると案の定、ヘルニアや脊椎管狭窄症が原因で脚がつることがあるのがわかりました。脚がつるのも腰痛のうち、ということです。
 しかし一番つらいのは通勤電車で、私が使っている東急線はいつもいつも行きも帰りも満員で、朝はまだ元気なので耐えられますが、夜になって帰るときには痺れが飽和状態に達していて、会社を出て歩き始めるとすぐに痛みに変わります。それで電車に乗るとただ立っているだけでも痛いのに、そこに電車の揺れやら他人の体重やらがかかってきて、思わず悲鳴を上げそうになりますが、そこは大人ですからグッとこらえつつも顔をゆがめて我慢しています。つらいのは自分が坐骨神経痛であることを他人に分かってもらえないことですね。一見病人に見えないところがつらい。松葉杖を突くとかすればわかってもらえるんでしょうけれど、松葉杖があってもなくても神経痛ですから関係ないんですね。つまり不必要なので松葉杖は突きませんけれども、たとえば電車の優先席に坐っていると目の前にお年寄が来たらやはり席を立たなければならない。説明するのもなんですし、かといって「私は坐骨神経痛で立っていられません」と書かれた札をぶら下げるのも同情を買おうとしている乞食みたいでとてもできません。
 同病相憐れむといいますが、同病でない人は決して憐れまないわけで、同じ坐骨神経痛であっても人によって痛み方が違うわけですから、坐骨神経痛でない人に坐骨神経痛の痛みがどれほどのものかわかるわけはないし、だから「腰痛くらいで休むな」という発言があったりします。この発言者は実は自分も腰痛持ちでそれに耐えつつ仕事をしているから同じ腰痛を抱える者に対して励ましの意味合いもこめて言ったんだと思いますが、坐骨神経痛の痛みはまた格別で、私の場合は特にすべり症もありますから、なんと言っていいかわからない、情けない感じの痛みなんですね。ヘナヘナとなってしまう痛み。

 やっぱり自分の痛みの話というのはあまり長いこと書けませんね。だんだん自分が情けなくなってきます。痛いのは自分の問題ですから、他人と分け合うことができません。ただ、自分が坐骨神経痛を経験すると、他人の坐骨神経痛の痛みがだいたい想像できて、さぞかし痛むだろうなと思いますし、そういう人が困っていればなんとか手を貸してあげたいと思います。坐骨神経痛は見た目ではわかりませんが、歩き方だとかが少し普通じゃないので、よく見ればわかります。簡単に言うと老人のような歩き方というんでしょうか。たいした段差じゃないのになぜか慎重に降りたりする人は、たいてい足腰に問題を抱えていると思っていいでしょう。逆にいうと、お年寄でそういう動きをする人は坐骨神経痛の人と同じように困っているわけで、やはり手を貸してあげたくなりますね。以前はお年寄がもたもたしているのに少し腹を立てたりすることもあったのですが、お年より自身はもっとすばやく動きたいし人に迷惑をかけたくないと思っているのに体が言うことを聞かないので非常にもどかしい気持なのではないかと、自分が自分自身について思っているように老人たちも彼ら自身について思っているのではないかと考えるようになってからは、体が動かずに困っている人を見ると必ず手を貸すようになりました。そういう意味では坐骨神経痛のおかげで少しは人の痛みがわかるようになったのかもしれません。
 毎年自殺者が3万人も出ている国の次期首相も少しは他人の痛みがわかってほしいものです。


サラ金生保連合軍

2006年09月07日 | 健康・病気
 仕事復帰に先立って病院で診察を受けました。医者から、多分、坐ってする仕事なら大丈夫でしょう、と言ってほしかったわけですね。ところが想定した言葉とは違って、新しい病気というか症状を宣告されました。それは脊椎管狭窄症。脊椎の中が狭くなって中枢神経が圧迫される症状ですね。「みのもんたさんと同じですよ」と軽く言われてしまいましたが、椎間板ヘルニア、腰椎分離すべり症に加えてこれで三つ目ですから、それは坐骨神経痛もひどくなりますわな。
 ところで「治りますか?」と誰もが聞く質問がありますが、これがなかなかしづらいもので、もし軽く「治りませんよ」といわれてしまったらどうしようかと、そう考えて躊躇してしまいます。病気がひとつ追加されたとなると、なおさら聞きづらくなりました。
 しかしどうせいつかは聞くんだからと、今回ついに聞いてみました。すると、
「治るかもしれません、何年か安静にしていれば」
 ・・・・「何年」って何年?とは聞けなかった。一概に何年と言っても、まあ1年は1年だし、9年になると「10年くらい」という言い方になるから、大体2年から8年くらいの間ということになるんでしょうけれども、2年と8年じゃずいぶん違うぞなどと意味のないことを考えながら、がっかりした気持をごまかそうとしました。やっぱり腰痛というのは治らないものなんですね。人類が二足歩行をはじめた宿命だ、と学者先生は言いますが、もちろん何の慰めにもなりません。
 会社でデスクワークの仕事を用意してくれたのは大変ありがたいことなんですが、その仕事の中にさりげなく「クレーム処理」が入っていまして、初日からたくさんのクレームと対峙することになりました。これがなかなかストレスのたまる仕事でして、身体は動かさないので楽なんですが、精神的にはとても「安静にしている」とはいえないような気がしつつ、まあ、働かせてもらえるだけでもありがたい話だと、謙虚に考えて過ごす事にしました。
 実際、休職している間というのはそれはそれは暗い気持で、このまま職場復帰できなかったらどうしようとか、最後は浮浪者になるしかないのかなとか、もしそうだったら路頭に迷う前に自殺しようとか、悪いほう、悪いほうにしか想像が進みません。自殺する前に遺書を書いたほうがいいだろうかなどと、財産を残すようになってから言え、と突っ込まれそうなことまで考えました。もしこれで借金があったら、本当に自殺していたかもしれません。
 というのも、借金取りは相手が病気だろうがなんだろうが関係なく、最後は殺して保険金を取ればいいと、そこまで本気に考えているからですね。そしてこれが冗談で済まされないのは、実際にサラ金大手5社が、去年1年間で4万人分の死亡保険金を受け取っているからです。
 090金融が危ないのはみんな知っています。しかし武富士アコムプロミスアイフルレイクといった大手も、同じように危ないんですね。これらの大手消費者金融は、消費者金融連絡会などという偽善的な団体を作って、「借りすぎに注意」などと、心にもないことをテレビでコマーシャルしています。どこまで性質が悪ければ気が済むのか、まるで暴力団です。そういえばテレビで放映していた武富士の上司の人の
 http://www.youtube.com/watch?v=k-u-XdIRaMo&eurl=
「ぜんぜん足りねえじゃん!」の繰り返しは、暴力団員以上の迫力がありました。頭のねじが外れていれば外れているほど、凄みは増すものです。そして、この上司の体質が企業の体質そのものだと思われます。
 生命保険会社がどうしてサラ金がらみの保険契約を受けるかというと、それは儲かるからに決まっています。生命保険には死差益というものがあって、契約者が死ぬと保険金を支払わなければならないので、どれぐらいの割合の人がどれぐらいの年数で死ぬか、あらかじめ想定しておいて保険料を決めますが、想定よりも死ぬ人が少ない場合、支払う保険金も減るので、その分が利益となり、これを死差益といいます。字面を見ると、なんとも非人間的なものである印象を受けますし、内容はというと、まさに非人道的なものなんですね。
 だから4万人分の死亡保険金を支払ってもなお、生命保険会社は儲かっているわけです。ということは死亡する4万人の何倍も何十倍もの人が、サラ金がらみの生命保険に加入させられているわけで、中には病気をして仕事ができなくなる人もいるでしょうけれども、そういう人からも容赦なく取立てをして、絞るだけ絞ったら、自殺を強要して保険金までむしりとると、そういうことなんでしょう。サラ金と生保が結託して、脅しやら暴力やらに弱い人を餌食にしているわけです。
 次期総理とか言われているお坊ちゃんは、そういう修羅場を知っているんでしょうか。最底辺で、生きたままハゲタカに身をついばまれている痛みがわかるんでしょうか。
 それに、こういったサラ金生保軍団は、人からむしりとる商売で、自分ではなにも生み出さないわけで、なくなったからといって経済が変になるわけじゃありません。取締りを強化しても、誰も反対しないと思うんですけどね。


国からもらえるもの

2006年09月01日 | 健康・病気
 半年ほど休職していましたが、半年を過ぎると退社扱いになるのでその前に復職できないか?と、会社から連絡がありました。坐骨神経痛がまだひどいのでどうかなとは思いましたが、このところ椅子に坐っている分にはそれほどの痛みがないので、頑張って復職することにしました。腰痛くらいで休んじゃいかんよ、という人もいらっしゃると思います。もちろん筋肉痛などの普通の腰痛なら休むことはありません。腰痛にも二種類ありまして、ひとつがいま書きました普通の腰痛、もうひとつはみのもんたさんなどが患っていた神経痛です。神経痛は我慢できない類の痛みでして、痺れて痛いものですから、それが足腰の場合はほぼ歩けないし、立ってもいられません。みのもんたさんは、常人には考えられない努力をしていたと思います。神経痛は、見た目は病気に見えないので、たとえば電車で優先席に坐っていると、白い目で見られがちになります。老人や妊婦さんなどが来たら、席を替わらざるを得ません。わざわざ周囲の人に、私は坐骨神経痛がひどくて電車では立っていられないのです、と説明するのも変ですからね。
 ところで、復職にあたって聞かれたんですが、休業補償とか傷病手当金と呼ばれるものがあるんですね。民間の保険会社だったら保険金に相当するものです。知らなかったのでもらっていなかったのですが、最長1年半にわたって、平均給与の約6割が支給されるとのことです。そして時効は2年なので、まだ間に合うらしく、医者と会社の証明が必要になりますが、申請すればもらえるだろうとのことでした。もらえればかなり助かるので、ありがたいなと思いました。

 ありがたいなと思って、そして気がついたんですが、ありがたいと思う心理は、もしかしたら少し変なのかもしれません。たとえばお百姓が、新しいお代官様に年貢を軽くしてもらったら、それをありがたいと思ってしまう心理と同じような気がします。
 健康保険は曲がりなりにも保険の一種なのですから、病気になったら保険金を支払うのが当然で、しかも公的保険は選んで入るのではなくて、否応なしに加入せざるを得ない強制保険ですから、なおのこと保険金はしっかり支払ってもらわないといけない、なんといっても給料から天引きで保険料を徴収しているわけで、所得税の源泉徴収も同じですが、給料をもらって生活している人間にとっては、拒否のしようのない有無を言わさない強引なやり方で取り立てているわけですから、保険金を支払うときくらいはきちっと支払ってほしいと、そんなふうに思わなければいけないのかもしれません。相手が民間の保険会社だったらきっとそう思うでしょう。明治安田生命のような保険料を集めるだけ集めて保険金を支払わない会社には憤りさえ覚えるくらいです。
 ところが相手がお上となると、途端に腰砕けになってしまうのは日本人の習性なんですかね。それとも私が古い? 当然の権利なのに、保険金(保険給付、傷病手当金)をもらえるのがありがたいと思っているようでは、役人の言いなりになっても仕方のないところです。逆の言い方をすれば、役人は「払ってやる」と思っているわけですから。

 私の傷病手当金がもらえるかどうかはまた後日報告しますが、昨日のニュースで伝えられた、生活保護費については、まったく笑えない実態が明らかになりました。地方自治体による生活保護費の不払いです。主に失業とか病気とかが原因で生活できなくなった人は、自治体に生活保護を申請しますが、誰にでも支払われるわけではなく、審査があります。ところが今回明らかになったのは審査の前の段階で、申請自体を拒む事例が、調査した180件のうちの118件、66%にも及んだそうで、これはかなり悪質というか、役人の正体がまたしても明らかになった典型的な出来事ではないかと思います。日弁連は申請自体を拒むことは違法であると言っていますが、憲法第25条に書かれてある有名な言葉、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」にも違反している、つまり違憲である、とも言えます。
 自治体の役人というのが、これまた国家の役人に勝るとも劣らずお手盛りのオンパレードでして、勤務先である役所の目の前に自宅がある人にも「徒歩手当」として通勤手当が出たりするくらいですから、自分や仲間内に支払うものは最大限度の支払いをしようとし、それ以外の住民に支払うものは最低限度、できれば支払わずに済ませたい、そういう傾向があります。ひとことで言うと、税金の集団的私物化、ですね。租庸調の昔からなんでしょうけれども、お役人というものは、徴収した税金が自分たちのものであるかのような勘違いをしがちです。だから自分たちの給料や手当はきちんと支払って当然、それ以外は節約して当然、そう考えています。住民に支払うべきものを支払わないで、それを「節約」だと主張するくらいに勘違いしているわけです。
 今回明らかになったことで一番ひどいなと思ったのは、生活保護の申請の拒み方で、それは申請用紙を渡さないのがほとんどだったというものです。申請用紙に不備があるとかで書き直させるとかならまだしも、申請用紙を渡すことさえしないというのは、ひどい話です。役人にしてみれば、とにかく生活保護費を支払いたくない、審査する時間も節約したい、用紙さえもったいないと、だから申請自体をさせないんだと、そういうことなんでしょうか。
 たとえば年を取って足腰が悪くて、にもかかわらず子供たちに面倒を見てもらえないお年寄が、
「生活保護を申請したいので用紙をもらえるかね?」と役所の窓口に来たのに対して、
 窓口の役人は、
「生活保護?」と目を吊り上げながら聞き返して、
「おじいちゃんね、生活保護を受けるには審査があるの、わかる? あなたは息子さんがいるでしょ、息子さんに面倒を見てもらえる人には生活保護は出ないの、わかる?」とかなんとか言って、申請用紙を渡そうとさえしません。
「いや、息子も働いてはおるんじゃが、会社からは請負だと言われてな、どれだけ働いても給料は変わらんので、息子たち夫婦が食っていくだけでやっとなんじゃ。わしが年金をもらえればいいんじゃが、未納でない証拠がないから、ということで払ってもらえなんだ。家賃も滞っておるし、かといって働き口もないし、体も動かんし、だから生活保護しかないんじゃ」
「そんなことはおじいちゃんの都合でしょ、きまりはきまりだからね、しょうがないの、わかる?」
 といったようなひどい場面が考えられます。これでは窓口の役人が審査しているのと同じです。しかも窓口の役人が勝手にやっているのではなく、生活保護費を支払わないですむように、役所ぐるみでやっていることなのです。
 このお年寄がこれまで、どれだけ健康保険料やら所得税やら住民税やらを納めてきたかについては、一顧だにされません。ボロ雑巾になるまで働いて、使い物にならなくなったらハイそれまでよ、ということでは、政治も自治体も国家もないほうがいい。人間をボロ雑巾扱いするような役人がのさばっている役所なら、そんなものは要りません。

 こういうことが起こる背景に、私たちの「もらえればありがたい」心理があります。裏返しにすれば、役人たちの「払ってやる」という心理があるのです。もし役人に、自分たちが扱っているお金は国民が一生懸命働いて得た収入から預かったお金で、それは国民が、うまく使ってくれよ、という願いを自分たちに託したものだ、という認識が少しでもあれば、窓口に来たお年寄を追い返すようなことはないでしょう。役人はもはや「お上」ではなく「公僕」でなければなりません。およそ人の上に立つ者は、人のために尽くす者でなければならない、というのは、二千年前からの常識なのです。そしてこの常識が実現したことはただの一度もありません。何十年にもわたって税金や保険料を納めてきたお年寄が、きちんと評価される日がいつか来るのでしょうか?


色覚異常

2006年08月31日 | 健康・病気
 最近では色覚異常と呼ぶそうです。私が子供の頃は、色弱と判定されました。赤緑色弱。

 小学校で初めて身体検査を受けたときに、紙に描かれた絵を見せられて、みんながその絵の中にある数字が見えるのに、私には見えない数字があったので、検査票に赤緑色弱と書かれました。それではじめて、自分は赤緑色弱なんだ、と認識したわけです。それがなんとなく不利なものであることは、子供心にもわかりました。ただ、日常生活には何の影響もなく、具体的にどのような不利があるのかわからなかったので、それが直ちに悩みとなることはなかった。むろん、自分に見えている色と他人に見えている色は違うんだろうな、という程度の認識はありました。しかし赤と青、白と黒は明確に区別できるし、たとえその見えている赤色が他人が見る赤色の見え方と違っていても、たとえばりんごの絵を描くときに、りんごの赤も絵の具の赤も、両方とも他人とは違って見えているわけで、結局は同じ赤の絵の具を選ぶことになりますから、特に支障は感じなかった。色の見え方がどのように違っているかについては説明のしようがなかったので、一年に一度、色覚検査があって、そのたびに同級生たちから「これ何色?」「これは何色に見える?」としつこく聞かれるのは、たしかに嫌でした。しかし翌日からはもう、何もなかったように平穏に過ごしました。
 二度目の色覚検査からは、また同じことの繰り返しだろうなと、少しうんざりしていました。検査の紙がめくられるのに応じて、描かれてある数字を言うのですが、四枚目か五枚目くらいでわからなくなるので「わかりません」と答えます。もちろんいい気分じゃありません。4年生のときまでの教師は、大体三度くらい「わかりません」を聞くと、黙って検査票に「色弱(赤緑)」と書いていました。
 しかし小学5年生のときからの教師は、これまでと違って、三度目の「わかりません」を聞くと、私をギョロリと睨みつけながら、「おまえは理科系は一切ダメ!」と大声で宣告してきました。それからみんなに向かって「(コイツは)みんなが8だと言っているのをわかりませんと言い、みんながわかりませんと言うのを5だと言った」と、薄ら笑いを浮かべながら言いました。その薄ら笑いは今でも、昨日のことのようにはっきりと思い浮かびます。人の不幸を笑う、というのがどんなことなのか、よくわかりました。
 私はそのときまで、できれば理科系の高等教育を受けて、なにかのエンジニアになれればいいなと、漠然と考えていましたが、このときの担任教師の一言で、そうか、自分はダメなんだと、諦めてしまいました。なぜか涙が出て、それを我慢するのに廊下に飛び出しました。仲のよかった友達が追いかけてきてくれたのを憶えています。

 非常に残念な出来事でした。私は自信を喪失し、理科系に進むことを諦めました。
 最近になって、色覚異常について再び調べてみると、主に遺伝が原因であると考えられていること、男性の20人に1人の割合で発症すること、色盲と色弱の明確な区別はないこと、色覚異常という言葉は精神分裂病を統合失調症にしたのと同じように最近になって使われるようになったこと、そして、理科系の仕事に就くのに、色覚異常はそれほどハンディキャップにならないことを知りました。いまさら取り返しがつかないし、この教師を恨む気持はまったくありません。残念なのは、この教師の発言について疑問を持ったり、調べたりしないまま、ただ諦めてしまったことです。塞翁が馬と悟るのもなかなか難しい。
 色覚に関しての自信を喪失するとどうなるかと言いますと、デザインや料理、部屋や会社のレイアウト、小物類の購入なんかについて、自分と他人と意見が違ったときは他人の意見に従ってしまう傾向になります。というよりも、それ以前に、デザインとか色合いの良し悪しを自分で判断しなくなってしまう部分がありまして、するとそういう部門に関する興味を失いがちになります。そして、結果的に世界が狭くなります。そうならない人もいると思いますが、私の場合はそうでした。料理もデザインも小物類を買ったり作ったりするのも好きですが、積極的にそういうことをしはじめたのは、色覚異常はそう変なものじゃなくて、血液型の違いと同じようなものだとわかってからのことですね。つい最近です。
 ひとつのことについて自信をなくしてしまうと、それに係わるいろんなことに対しても自信を持てなくなりますし、積極的になれなくなります。私の場合は色の判断についての自信をなくしたことで、いろいろな機会を逃した気がします。気がするだけかもしれませんけどね。
 ところで、自信には二種類ありまして、ひとつは練習とか経験に裏打ちされたものです。もうひとつは何の根拠もなく自分を信じることで、実はこの何の根拠もない自信のほうが大事なんです。というのも、どれだけ練習しても経験を積んでも、自信を持てない人は持てないもので、何の根拠もなく自信だけを持っている人のほうが強いことがあるからです。

 特に子供には、なるべく自信を持たせるような接し方をするのがいいのではないかと思います。それは子供がひとりの人間として生きること、ひとりの人間として人格を尊重されることを、周囲が認めてあげることであり、それがすなわち子供の自信になります。もし子供に、ひとりの人間として生きるに値しないとか、人格を尊重される権利がないとか、そんなふうに思わせたら、その子は自暴自棄になったり極端な引っ込み思案になったりするわけで、そういう子供を育てたくはありませんよね。何の根拠もない自信、まさに何の根拠もありませんが、そういう自信というものが確かにあることを、私たちはみんな知っていますし、それを子供たちから奪ってはならないこともまた、知っているはずです。


処方箋の行方

2006年07月11日 | 健康・病気
 今日は朝の九時から整形外科で診察を受けました。起きてから病院に着くまで約1時間と短かったからなのかもしれませんが、まだ腰の痛みがはじまる前で、診察を受けている最中にはあまり痛みを感じなかったので医者にそう告げると「少しずつよくなっているみたいですね」と希望的なことを言うので、こちらもその気になっていましたが、帰りにツタヤに寄ってゲームを買い、薬局に処方箋を出したあとに生協で食料品を買って、それから帰宅してすぐに料理を作り始めたときに、ついに痛みがやってきました。間の悪いことにちょうどビーフシチューに入れるルウを作っているときだったので、色がよくなるまでには時間がかかるけれども火から離れるわけにいかないし、かといって火を強めたら小麦粉が焦げてしまうし、ということで我慢しつつルウを作りました。気を紛らすために、小麦粉を色がつくまで炒めるその色というのは狐色なんだけど小麦色ともいうのかな、ん? 小麦粉を小麦色に炒める? そもそも小麦粉というのにどうして小麦色ではないのか? あ、小麦と小麦粉は当然別なものだからか、などとくだらないことを考えつつ、ひたすら炒めて、そこにスープを注いで延ばしてからシチューの圧力鍋に戻してやっと一息つきました。
 薬局に処方箋を出して、いつもすぐには揃わないから後日取りに来ることにしたときに思ったことなんですが、病院からもらうこの処方箋というやつに関しても当然健康保険が使われているわけで、国の側から見ると7割負担ですよね。病院は社会保険庁に対して国庫負担額を請求することになりますが、処方箋の薬に対してはどの段階で請求を決定するのでしょうか? わかりにくい話ですがつまり、東京では(地方ではどうなのか知らないので)医者が処方箋を患者に渡し、患者はそれを自宅や仕事場の近くの「処方箋受付」の看板がある薬局に提出して薬をもらいます。代金は薬と引き換えにその薬局に支払います。ここで疑問なんですが、もし薬をもらわなかった場合、つまり処方箋を薬局に提出することなく期限(3、4日)が過ぎてしまった場合はどうなるんでしょうか? その場合もやはり病院が提出したとおりに薬品に係わる国庫負担額が病院に支払われるのか? もし支払われるとすれば誰も受け取っていない薬について社会保険庁から病院にその代金の7割が支払われることになり、それはおかしい。かといって、処方箋を受け取って薬を患者に渡した薬局が処方箋を根拠に国から7割を受け取るのも変ですよね。いや、要するにそうなると病院が儲からない気がするからです。たとえば今日の診察料は410円でしたが、それに対して薬の代金は1か月分で約4~5千円くらいかかります。薬のほうが国庫負担額が断然大きく、病院がその儲けを全額見知らぬ薬局に渡すはずがないし、「患者を薬漬けにして儲ける悪徳医者」の事件が説明できなくなるし、そのあたりのからくりがどうなっているのか、素人にはよくわかりません。
 医療費の問題だけではなくて医療そのものに関しても、もし患者が処方箋をなくしたりお金がなかったり単にいやだったりして薬を受け取っていない場合、医者は自分が処方したはずの薬を患者が飲んでいない、ということを知らないままですよね。それとも処方箋を受け付けた薬局が医者に連絡することになっているのかもしれませんが、もし連絡がなかった場合もそれに気づくかどうか、または気づいても薬局の人が連絡を忘れたかな、と思ってしまう場合もあるでしょう。どこの薬局に行くかは患者に任されているわけですから医者には確認のしようがない。そもそも次から次に患者が来る状態では、処方箋を渡した患者が薬を受け取ったかどうか確認するなんて物理的時間的に不可能でしょう。
 かといって病院の薬局ですべての患者の薬を賄うのもまた不可能だと思います。大きな病院では総合受付の事務員でさえ10人以上いて、しかも「現在の待ち人数」が平均50人だったりします。薬を病院で揃えるとなると大規模の薬局が必要になって、雇う薬剤師も大人数、それでも患者は大行列、ということになりますから、現在の「患者の近くの薬局」制度は病院の混雑緩和のためにも必要なんでしょう。しかし医者との連携が不十分という問題が生じてしまいます。
 健康保険料や厚生年金を黙って支払い続けている側としては、制度がしっかり機能しているのか知りたいところですが、社会保険庁ホームページを開いてみても、各種手続きだとか保険料の徴収対象を広げたことその他の言い訳だとかばかりが書かれていて、全体像がちっとも見えてきません。情報公開というか社会告知というか、このあたりをちゃんとしないと「百年安心できる年金制度」も少しも安心できませんよね。


坐骨神経痛

2006年06月06日 | 健康・病気
紀貫之ではありませんが、みんながやっているから、という単純な理由でブログを始めることになりました。坐骨神経痛でしばらく仕事を休んでいてヒマな上に給料が途絶えて蓄えがだんだん少なくなってきて将来が心配でしかもこのところ社会ではろくな事件が起こらず明日の希望も感じられないし毎週やっている競馬も外れっぱなしというのが主な理由でしょうか。ワイドショーなんかでやっているろくでもない出来事に対するしょーもない雑感などを自分勝手に書いていきたいと思います。これがはじめなので少し緊張気味な文章になりました。本題は次回から。