outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

プランクトンしました

2008年01月14日 19時15分17秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
昨日から計画していたダイビングに行って来ました

生憎の寒空で一日中外気温は上がりませんでしたが今年の海の中はどうなっているの??

飛び込んですぐあったか~~~  そしてクリア~

一番にあの大量の青ブダイがお出迎え

この季節にこの周辺に居てはいけない「タテジマキンチャクダイ」とか「サザナミヤッコ」などがウロウロしてます

ツムブリが大群でイワシの群を追いかけカンパチは一匹だけだけど・・・

シラコダイの大群もいたしまあ賑やかな海中で「中性浮力」をとって海中をプランクトンの気分になってしばらく漂うといい気持ちでした

大きなフグを宴会用に手で捕まえて上がりました

水中で小便をしてしまった「八十氏」はウエットスーツを脱いで体を洗いに裸で飛び込みました1月15日なのに・・

そして「ぬく~い!」(暖かい)と平気でしばらく泳いでいましたから今の水温がどのくらいか皆さんにも解ってもらえると思います。

帰り道に二人で「明日の夜はフグ宴会」と決めました

フグは5キロ位のものです。多分10人は集まらないと喰い切れないです

そんなんで誰でも食べたいと思う方はお越しください

今まで何度も食べて99.9パーセント中毒の心配はないと思いますので

一旦ブログをアップして茶の間に行くと

美由紀が大量のアラゲキクラゲを採ってきていて

我が家は益々キノコに埋もれています
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小説家

2008年01月13日 17時56分07秒 | ヨット世界一周クルージング
すご~く寒くてチンチンが引っ込んでしまうような徳島県阿南市です。

太陽は全く出ず厚い雪雲が威圧するように覆いかぶさって僕は縮んでいます

そんな具合で殆ど外に出る勇気もでず「サスペンス小説」でもと思い書き始めました

出ることも無いと言うより多分何処の出版社も相手にしてくれないだろうけど・・趣味で時々書いているのです


ブログに書くような出来事も無かったから・・サワリだけでもアップしてみますね 下書きですが・・

     

紅い雲

    一章

1970年3月14日、吹田市の千里丘稜で大阪万国博覧会始まった。日本は東京オリンピックも無事終えて高度経済成長著しくアメリカに次ぐ経済大国となっていた。

その成長の象徴である万博開催地として大阪では大規模的な開発が進められ地下鉄の路線も増やされ高景気に浮かれていた。

開催前から特に話題となったのていたのはアメリカ館で展示されるアポロ11号が月から持ち帰った石だった。

開催当日の夜、浩二を駅に送って戻ってきた娘に母親の紗枝が「今日の浩二さんなんか違ったね、あんなにお酒を呑んでもよえへんし・・」

そう言われて多恵は何故か背中に冷たいものを感じた。

多恵(21歳、短大卒、高槻住)と浩二は年明け早々、父の知り合いの紹介で見合いをして来月には結婚することになっている。

父も仕事上で以前から浩二を知っていて気に入っていたので話はトントン拍子に進んだ。

多恵は21歳、短大を出てから花嫁修業に料理やお花を習って一年になる。 少し色が黒いと言えない事もないが小さな顔にぱっちりした目と少し厚めの唇が小悪魔的ですれ違った人の何割かが振り向くほどだった。

見合いからまだ二ヶ月半しか経っていないが一目見た時気に入っていた。言葉にするのは難しいけど信じられる気もした。

自分の夫として認めることが出来ると思った。 結婚するつもりだったので二度目に会った時に多恵は浩二に体を許していた。

自然な成り行きだったし多恵自身興味もあったから逆らう気持ちは殆どなかった。もしかすると多恵のほうがその気にさせたのかもしれないと今となっておもっていた。

 ただ気持ちと異なり少しだけ両腕が抵抗したと思っている。

初めての体験は特に痛みも快感もなくオシッコを漏らしそうで息をするのがやっとだった。
学生の頃仲が良かった友達二人から聞いていた経験談とは全く違っていた。

行為が終ってから少し涙がでたがこれは天井を見すぎたせいかもしれない。 心のどこかで何か覚悟のようなものが出来たと思えなくも無かった。 

会ったのは今日で6回目だった。二度目にそんなことになったので会うたびにそうなると半ば期待もあったが時間の都合や打ち合わせで
今日の午後が二度目だった。 

快感ではなかったが、どこかに快感に変わっていきそうな息苦しいような胸を締め付けられるようで水が飲みたいような咽喉の渇きがあった。

浩二は東京に住んで虎ノ門の大手建設会社に勤めていた。この三月末で会社を辞め大阪の多恵の家に来る。入り婿だった。

仕事は父が起こした「安藤建設」(天王寺)で営業部員としてスタートすることになる。 

突然の事故でまだ44歳の父が逝って半年、今は母(45歳)の弟になる伯父さん(42歳)が副社長から社長に昇格している。他に三人の取締役がいた。

母は安藤建設が始まった時から専務取締役として10年余りの期間経理を担当していたがその後は多恵を育て主婦業に専念していたのだが父の急死で会社に出なければならなくなっていた。

多恵自信情が薄いとは思っていなかったが、この頃は父が亡くなったショックから完全に立ち直っていた。

これは母も同じで余りに全てが忙しくなって最初の事故の報告を受けた時をピークに日々回復しているように見える。


安藤建設は1948年、23歳の父がツルハシとスコップだけで始めた会社だった。 上場していない親族会社だが父や伯父の真面目な性格は官公庁でも人気が高く、民間企業からの受注も順調で業績は伸びていた。 

毎年の様に色々な省庁からの退職者も受け入れていた。父の営業は主にそれらの省庁周りだったが毎日現場にも顔を出していたらしい。

今期の売り上げは念願だった20億円を超えることがほぼ間違いない。大阪の業界では中の下といったクラスだが財務内容は極めて良く堅実経営で知られていた。

とは言っても短期借り入れが便宜上発生することはあるからずっと以前から会社の敷地、建物や多恵が住んでいる家も「根抵当」に入ったままになっている。

現在、株式の70パーセントは創始者である父と母の名義だった。会社を始めて五年くらい後から手伝い始めた現社長の伯父夫婦も20パーセントを持っている。残りの10パーセントは取り引き銀行4社が保有していた。

創設時当時は祖父や祖父母、父の兄達も登録上の株主だったそうだが亡くなった時に買い取る形で父の名前にしたと聞いている。

父が逝ってしまった今、父名義の株式の名義を期末までに変えなければならなかった。現在の株主資本金一億円のうち父名義が50%で5千万円分ある。

 これは出資金としての額で実際に株式市場に上場すれば二十倍以上の評価はあるそうだ。

だが資金面の余裕があるので上場の必要はなかった。上場すると知名度が上がり、資金を公募などで簡単に調達出来る特典がある反面
決算報告や監査、株主総会などの基準が厳しくなり時間と費用がかかる。

大口資金が必要になるまで上場はしない方針だった。

当面の問題は株式の名義を変えることにある。名義を変えると相続になり相続税も払わなければならない。

同族会社でもこの規模になると出資額面通りの評価でなく現在の資産なども評価対象になるので上場企業ほどではないものの莫大な相続税を払うことになる。

会社の将来や相続の事を考えて一人娘で唯一の継承者である多恵の結婚は急ぐ必要があった。

            

まあこんな感じなんですが・・・「続きが読んでみたい」と思います?






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自分について

2008年01月12日 19時10分35秒 | キャンピングカー旅
阿南市は昨晩から時々大粒雨が多量に降ってバスの屋根を叩いて賑わしかったです

ヨットに暮らしていた頃ならかなりの量の水が溜まって喜んだと思うのですが・・蛇口がすぐ横にある状況だから感謝は出来ませんでした。

でも雨粒の大きさや量を感じられるのはさすがはキャンピングカーです

朝になってからは降ったり止んだり、次回のダイビングに備えてタンク二本を準備しました。

月曜日に久しぶりに八十氏と潜りに行く予定も立てました

話は変わりますが・・昨日五木寛之氏の「人間の関係」を読み終えてから思ったことなのですが

時代が変わり人が生きていく為に他の人との結びつきが昔ほど無くても暮らして行けそうな現代ではありますが・・

生まれてから出会う殆ど人は会話も無ければ目を会わす事さえなく通り過ぎて行きます。そんな日常の中でほんの一部の人と話す機会が
出来「共有する時間」を体験します。 それが最初で最後の場合もあれば、末永く時には生涯続くことにもなるから不思議と言うか面白いと思うのです

「一期一会」人と接する時は「これが最後かも知れない」と思う気持ちで一生懸命接しなさいよ。と教えられても実行は難しいし余程悟り
を開いた人でなければ出来そうにありません

一度の出会いで時に生涯続く関係が始まることはそれほど悟りの無い一般庶民の我々も経験します。勿論「一期一会」の心で接したらチャンスはもっと増えると思いますが・・

そこで人と接する「自分」について考えてみました

37年程前に地元スーパーチェーンの社長だった林和弘さんが読んだ本から教えてくれたのですが「自分というのは3つある」そうです。

一つは「自分が思っている自分」で他に「人が思っている自分」と「本当の自分」なのだそうです。

客観的に僕を例にとると・・18年間仕事をしていない。身なりは貧しそう。 でもお金に困っている気配もない

車の中で寝起きしている。ヨットで世界を回ったらしい。古い改良したバスで寝泊りしてスキーや山登りに年間数ヶ月も出かける

多分余り知らない人や少し紹介された初対面の人が思うだろう溝田正行とは一口に言えば「変人」以外の何者でもない。

一般的「変人」が何故「変人扱い」されるかと言えば「社会適応性」に欠ける場合が多いと思う(僕自身が思っているだけかも??)

確かにある面では適応性に欠けるかも知れないけれど一般的常識は持っているつもりだし(出来ないけど・・)何より多くの友達と愉しく時
を過ごすことが出来るし、有難いことに多くの友達に恵まれていると思えます

こんな事を書いたのは人が人に出会い、何を根拠に(どの自分)を見て末永くお付き合いをするかしないかを決めているのだろうと思ったのです。

そして先の三つの自分ない「自分」が最も重要な選択の基準ではと・・・

これが正しいかどうかは別として僕が思い当たった重要な基準とは「自分がなろうとしている自分」ではないだろうか?と言う事です。

そこに「共通するものや共感するもの」があるから「価値観」が似ているからいつまでも話しが出来、何時までも付き合うことが出来何時までも会えたことが喜べるのではないでしょうか

人が人を選ぶのが過去が基準より「未来」であり「夢」や「企画」が重要と思うと愉しく元気になれます。そう思いません?

だってどんな人にも未来の「幸せで愉しいと思える絵」を書く事は可能なんですから・・・

と今日は昨日に続いてややこしい話になりましたがお許しください

昨日調子よく呑みすぎて少し胃の調子が・・



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本を読んで

2008年01月11日 23時59分59秒 | ヨット世界一周クルージング
天気が悪くなる予想と4日連続で山に登ったので今日は休息日と決め、バスのカーテンをイッパイに開いて外が見えるようにしてパソコンのスイッチを入れました

カーテンを開いても家の横の駐車場なので隣の修理工場の車が見えるだけなのですが でも全く外が見えない我が家よりは気分的に愉しいのです

そしてホームページにアップする今回登った山の写真と文を書きました

それが終って先日高松に行った時に西松建設副社長の石橋さんがくれた新刊本「人間の関係」を読みました。

五木寛之氏はこの本の中で一番伝えたかったことは本の題名通り「人と人との関わり方」だと思うし僕が信じ実行している(思っているだけかも知れませんが・・)事も多く大いに納得したのですが・・・僕が一番感心し「これは面白い」と思ったのが冒頭の「三冊のノート」でした

僕は若い頃(十代後半から20代前半)には良く「鬱」になっていましたが何時ごろからかどちらかと言えば「躁」となってそれが続いているので関係ないようなのですが・・・

五木寛之氏本人が鬱状態から抜け出す為に最初に作ったノートが「歓びノート」次が「悲しみノート」そして最後が「あんがとノート」(有難うの意味)だったそうです

それぞれ鬱になった時の年代が10年ほどの間隔なのですが「歓びノート」には一日の終わりに一つだけ「楽しかった事」を毎日ノートに書き込む事で脱出したそうです

ところが二度目になったときは「歓び」で脱出できず鬱を肯定する「悲しみ」を書く事で脱出し三度目は「感謝」で脱出したと書かれていました

人はどんな立場や環境にあっても毎日探せば必ず楽しいことも、悲しいことも、感謝することも可能な事は解っていても「文章にして書きとめる」ことまで殆どの人はしないと思います。

鬱でなくてもやってみると面白いのではないだろうかと・・愉しい想像ができました

皆さんももし「鬱」になったらやってみてください。特に定年退職者に多いそうなので・・・ きっと抜け出せるような気がします

夕方「鬱」には全く縁がない不動産業の「前川さん」が来てくれました

不景気知らずの前川さんは時々このブログにも登場してくれる常に最新型最高級ベンツに乗り大型クルーザーももっている人なのですが徳島の同業者間でも「謎の人物」で僕の友達の中でも多くの人は「大きな組関係人?」と疑問を持ちながら見ている不思議な人です

でも僕が家にいると何故か時々顔を出してくれて、いつも愉しい話しをイッパイしてくれるのです 

30年ほどの付き合いがありますが、主に東京や大阪で年間百億円以上の話しをまとめる事業に成功している人ですから「人を見る目も時代を読む目」も確かで今日の様に二人でゆっくり話しをすると教えてもらう事ばかりなのですが・・とにかくいつも笑顔でなおかつ話しが面白いのです

そんなことで、あっと言う間に七時間が過ぎブログのアップが遅くなりました

明日は前途の本を読んで本の中には無かった事ですが「思った事」がありますのでそれを中心に書いてみます
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体力男?スポーツマン?

2008年01月10日 18時42分42秒 | 日本三百名山に登る旅
徳島は四国島にあり、四国には2000メートルを超える山が一つもありません

でも山が好きな人は全国平均レベル程度にいるし平均年齢も全国レベルより少々高めの65歳以上?(なにしろ県民の平均年齢がそうなんですから・・)ながら頑張っております

そんな徳島県の老人達が本州島の山に行く場合の「区分け試験山」となっている「高越山」に今日は登っていました

登山口から頂上までの高低差が千メートル余りあり、アクセスが容易なことから選ばれているのですが・・・

5キロ余りの荷物を担いで3時間で登れないと本州島の山に連れて行って貰えないと言うクラブは結構あるようです

そんな山だから僕も試験のつもりで一生懸命登りました。

結果は予想通りで美由紀は僕を待ちながら楽々登っていましたが僕は鬼のような顔からボロ雑巾になって頑張ったにも関わらず3時間30分掛かりました

でも僕は主に日本三百名山を150山登っています

前にも書きましたがダイビングや水泳のインストラクターでヨットで世界を回り、日本の名山を150座も登っている僕をスポーツマンと思い、体力も人並み以上と思ってくれている人は多いようですが

実際の僕は全く「正反対」と言える位体力無く、運動神経も最悪なのです。

まあ一度一緒にそこらの「ボタ山」にでも登れば一発で納得できます。

だから山に登るのも前夜からキャンピングカーで登山口に行ってそこで泊まり「人より早く」出発するのです もちろん天気が悪いと延期して何日でも待ちます

それはさておき「老人の山」とも言えるほど山には老人が多いのですが・・最近特に増えてきた「定年退職者」の一部が毎日同じ山に登るのをよく見聞きします。

山は毎日「表情を変える」から毎日同じ山に登っても愉しむ事は出来るし健康のため(医療費を使わない)にも大いに結構なのですが・・・

その中の一部の人達が「間違った善意」で山を「私物化」し「自然破壊」や「環境破壊」をするのです

やっている人達は登山道脇や休憩所付近に花が一杯あれば楽しめるだろうと考えての事とは思うのですが本来そこにあるべきでない植物を移入すれば自然のサイクルが壊れます。

また山に登って自然の草むらや倒木に腰をかけて弁当を食べるのは自然ですが・・沢山のテーブルや椅子を設置してしまいます。 他の登山者や毎日来る自分たちが快適に過ごそうとも考えるのでしょうが・・・ それを設置するために山を掘り平にしてしまうのです

山の土は一度掘り起こすと二度と元に戻ることは出来ません

そんなことで善意ながら「街で考える快適、便利」を持ち込もうとする人達と自然を出来る限り壊さず「後世に残そう」とする人達の間で戦いが繰り広げられています

僕は「山に入るだけでも自然破壊」していると思いながら「山に行ってしまう」人ですから出来る限り自然のままにしておいて欲しいと願っております
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スキー場もありました

2008年01月09日 18時57分11秒 | キャンピングカー旅
長距離を歩かなければならないので早く出発したいけれど・・・朝の番組「ちりとてちん」も見なければ「退職者の義務違反?」だから見終わって出発

それにしても香川県は暖かい朝でした 狭くて曲がりくねった阿讃山脈を越える道を峠になる曼陀トンネルまで行き「四国の道」との合流地点から歩き始めました

雲辺寺山は四国八十八箇所の雲辺寺がありお寺のすぐ傍まで車道が付いていてバスでも行くことができます。 でも我々は歩かないと意味がないので・・尾根についている車道をテクテクと片道約7キロ歩きました

今の季節、車は殆ど通らず高原野菜畑の間は「天空の遊歩道」の気分でした

頂上の広場横にあるスキー場に少し入れてもらって久しぶりにゲレンデの雪を踏み広場でインスタントながら豚肉、キクラゲ、キャベツたっぷりのとんこつラーメンをフーフーしながら美味しく食べました

うまかった~!!

でも往復14キロはさすがに疲れました。

トンネルを抜けて徳島県に入りカルロス上田氏に電話してコンビニ駐車場で落ち合い持参してくれた美味しいパンで一緒にお茶を呑みました

そして高速道路内にある温泉を教えてもらって入浴 道の駅「みの」に移動。今晩はここに泊ります

今日も「四国八十八箇所」のお寺に行って思ったのですが・・・

「商売に熱心過ぎ」を感じます 参拝者が多くて充分収入があると思うのですが・・・まだまだお金を欲しがっているのが露骨に見えます。

そこらのお寺ではそれほど感じないのですが・・・「お金がお金を呼ぶ」というのか・・弘法大師はそんな事を教えていなかったと思うのですが・・・

そんな事を考えていたらずっと昔両親と祖母を連れて四国八十八箇所を回った時(車で10日間ほど)の事を思い出しました

はっきりは覚えていませんが・・・八十八箇所を回ると言うのは各お寺で印を貰うスタンプラリーなのですがその時にお札?を各寺に納めて行きます。

そのお札にもルールがあって5回目?までは白。10回目まで、20回目までと色が変わり50回を越えると金色になります

ある宿で出会ったおじさんは金色でした。 なぜ解ったかと言えば50回も回っている人は少ないので「有難い人が泊っている」と皆が教えてくれるのです。

当然同宿者の羨望の的?尊敬の目?となりその人が持っているお札を頂くとその人の徳を授かると言って欲しがる人も多いのです

でも・・でも・・です。 僕が26~7歳の青二才だった頃にですが・・・その人と話しをして50回以上回っても「人は変わらない」と思ったものです

今話をすれば又違った感じ方をしたかも知れませんが・・・

お寺の坊さんが「衣の色」にこだわり「金で買う」位ですから・・「人」に頼ってはいけませんよね~・・・
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捨身ヶ嶽

2008年01月08日 17時54分32秒 | キャンピングカー旅
道の駅「みの」で温泉には入れなかった(高すぎて)けれど気持ち良く朝を迎え軽い朝食を摂って四国八十八箇所の「出釈迦寺」へ

ここは弘法大師が修行をしたことで有名なのです。少々込入った話になりますが・・・ その究極の修行をした「捨身ヶ嶽」があるのが「我拝師山」でその山の中腹に出釈迦寺の「奥の院」があります。

奥の院から急な崖を鎖に掴まりながらしばらく登ると「捨身ヶ嶽」があるのです。

この捨身ヶ嶽は見るからに身投げするのに格好のロケーションにありまして弘法大師が「七歳」の時に「仏道に入って衆生を救いたい。かなわぬものなら一命を捨てこの身を諸仏に供養する」と崖から身を投じた

ところが空中に釈迦如来が現れ「天女が羽衣で大師を抱きとめた」のだそうです。

そんな事があるわけはないのですが・・・四国と言うところには八十八箇所寺があるだけに弘法大師にまつわる話は数キロ毎に五万どころか100万もあってなかなかそれが面白いです(本州にも結構ありますが・・)

基本的な話は修行中の弘法大師が何か食べ物を欲しがったのを何か理由をつけて食べられないと断るとそれ以後はそれが断った理由で食べられなくなるのです

そんなことから四国の人達はお遍路さんに「接待」をよくする習慣があるようです 

今回の短い山旅は山女よしえちゃんから借りた「四国百名山」をコピーしてそれを参考に登っていますが昨日の「讃岐冨士」(飯野山)も今日の「我拝師山」も標高は低いですが讃岐平野に誰かが置いたような山で想像以上に険しく愉しめます

下山して昨日インターネットで調べていた山の近くの温泉に行くと「休業日」でした

慌ててまたインターネットを繋いで「萩の湯」(入浴料一人600円)をみつけやっと入る事ができました

明日は香川県と徳島県の境にある曼陀トンネルから「雲辺寺山」(八十八箇所寺)に登る予定です

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香川県に居ます

2008年01月07日 17時52分31秒 | 日本三百名山に登る旅
昨日の昼過ぎ、久しぶりに簡単生活用品を積み込んだキャンピングバスに二人が乗り込んで出発しようとしたら・・・

「ヨットで出るあのときに別居していたらよかった」と突然何の前触れもそれらしい問題も発生した覚えがないのに美由紀がそう言うのです

だいたいオンナと言う生物はどのような脳構造になっているのかオトコには計り知れないものであることは解っていても・・・腰を抜かしそうでした

そんな突然宣告を受けながら高速道路を使わずに脇町から塩ノ江を抜けて高松の石橋家に到着。

出迎えてくれた西松建設副社長の石橋さんは一年半前に東京で会った時から比べると白髪が多くなっていましたが以前にまして元気そうでした

そして新年の挨拶もそこそこに「実は美由紀がいきなり・・・」と今朝の話から始まったのです

まあ世の中多くの人がいても新年早々久しぶりに会った人にそんな話しから始まる会話は珍しいと思うのですが

石橋さんはお父さんも一部上場会社の社長だった人で生まれも育ちも僕らとは全く違うんですが・・何故か気に入ってくれて家族ぐるみで35年ほど付き合いをさしてもらっています

すぐ後の続きの屋敷に住む次男一家も交えて宴会はスタートしました

話はアチコチに飛びながらですが美由紀の発言の元をたどれば「私もそんなこと思ったことなかったけど突然何故かそう思った」と言うのですから・・まあ何がどうということもなくいつのまにか正常というか平静というかモノ騒がせ発言は消えていましたが・・・訳がわからない出来事でありました

食い慣れない美味い牛肉のすき焼きを腹一杯食べさしてもらって「家で泊れ」というのも聞かずバスに戻って爆睡  バスで寝るのが好きなのですから・・

今日は徳島の得意先へ年始の挨拶に行くと言う石橋さんと一緒に朝食をとって、迎えの車が来たので見送りをして今度は奥さんと色々お話を

昼前に雨も上がったので出発。 目的地は四国百名山で「新日本百名山」の讃岐冨士こと「飯野山」です

香川県には富士山のような形をした小さな山が幾つもあるのですが・・奇遇?な事に正月に石橋さん一家もこの飯野山に登っていました。「階段から登った」と聞いていたので僕等もそれを登れば将来石橋さんが引退した時に一緒に遊ぶ場合の計画に役立つと考えて東側の一般的でないコースを選びました

駐車場にバスを停めて歩き始めたら一人の男性(田中さん)に会いました 毎日のようにこの山に登る人は多いそうで田中さんも定年退職後年老いた親を見るために香川に来て数年前から毎日の様に登っている人でした

案内をお願いして一緒に色々な話をしながら登ったのですが・・・「急登」です 階段が1300段 第一展望所に着いた時はかなり汗がたれ、第二展望所では遂にバッグを下ろして休憩。

高さは422㍍しか無いけれど海抜30メートルから登るから・・なめて掛かったこともありかなり疲れました 勿論毎日登っている田中さんは涼しい顔でしたが・・でも石橋さんの体力も僕と変わらないくらいあるのが解って「あなどれない

現在道の駅「ふれあいパークみの」の駐車場です。 ここには温泉があるのです。しか~し・・・入館料一人1570円と異常に高いのです

中には温水プールもあるそうなのですが・・・風呂に入るだけで3000円以上の出費は高すぎます

フロントで「回れ右」をしてバスに戻って体を拭いて温泉は中止しました でも今夜はここで泊ります。

明日はこの近くの四国百名山「我拝師山」に行く予定です

最後の温泉でつまずいたし昨日の朝の美由紀発言に慌てたけれど・・他は愉しい正月気分で過ごしております
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フグ再宴会しました

2008年01月06日 12時39分19秒 | キャンピングカー旅
昨日のことですが、一応最後の歯の修理は削った歯に被せ物をして先日作った「入れ歯」の当たり具合を調整して・・アタリは不満ながら・・終了しました。

不満と言うのは強く当たり痛い部分を削ってもらったのですが・・まだ痛かったから「もっと削って」と頼んだけれど・・・「次回」と言われたのです そんな具合だから・・今は其処が擦れて痛くて使えません


一昨日に続いて残りのフグで再宴会しました。 学友で専業農家をしている柳田夫妻と大川氏、我が家の三人の6人。


柳田氏は家で作っている野菜を多量に運んで来てくれました フグ鍋は一昨日に続いてながら同様に美味しく釣りの話や息子、娘の話で「泣き笑い」愉しく過ごしました

今日は高松(香川県)の石橋さんの家に行く約束があり、ついでに讃岐冨士他幾つかの山に登ってこようと朝から美由紀の布団や数日分の食料をバスに積み込み準備しました

ほぼ積み込みが終ってこのブログを書いています もうすぐ出発。久しぶりのキャンピングカー旅なので嬉しいです

ではいってきま~す


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フグ鍋はうまい~!!

2008年01月05日 11時16分49秒 | ヨット世界一周クルージング
昔先輩に「酒はな~・・・・」と教えられたことを今朝思い出しました。

「呑む人」と「呑まれる」人がいるのだそうですが・・・昨日の僕は後者でした

そして過去を遡って考えて見ると僕の「人生」に酒はいつも傍に居て常に「後者」であったようです

でも・・です。 必ずしも後者が「悪」だとは言えない様に思うのです。 呑まれてもそれほど人に迷惑を掛けていない(と思っているだけですが・・)しそれで一番苦しむのは自分だけれど「ストレス解消」だったり「呑んでいる間(酔っている)は特別愉しい」のです

そんな具合で昨日は昼過ぎよりゼラチンタップリの美味なフグ鍋を北海道のきみちゃん、山女よしえちゃん、ゴルフのみかちゃん、ヨットクラブの三谷さん、松葉母娘さんプラス我が家の三人の9名で5時過ぎまで・・・

松葉氏娘が22歳の超美女であったが故に僕の焼酎のピッチが上がり下半身のボルテージも異常に上がり宴会がお開きになったとたんにダウン。

バスの中の布団に潜って意識を失いました

今回のフグ鍋は今まで使っていなかった「皮」も使ったのですがこれがゼラチンの宝庫でダシはスッポン鍋のような感じに仕上がりました

もともと肝を溶かさないと濃厚さが出ないあっさり系のフグ鍋ですが肝を溶かす前から濃厚に仕上がったのは大正解でした

余りに美味かったので・・寒いこの冬の間にもう一度フグを調達したいと考えております

今日の午後は歯医者さんで右下奥歯に被せ物ができます。 これで歯の修理はひとまず終了

夜は・・・小宴会の計画です。

忘れていましたが昨日の株式市場はパニック状態で日経平均が600円以上の大暴落となり僕の予想は「大ハズレ」

今年が最悪と書かれていた「高島易断」の僕の運勢も暦に反して年明けから良いことが続いていたのですが・・・またまた不吉な予感

このさき一体どうなるのでしょうか・・・
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フグ調達出来ました

2008年01月03日 18時21分50秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日は反省を要するほどの呑みすぎでしたが理由はあるのです。

午前に美由紀(手伝い)と海に行ってナマコを拾ってきました

戻ったら丁度お昼で、久しぶりのナマコだし正月だから・・ナマコを肴に呑み始めたのです

ところがこのナマコは小型ながら柔らかく大根おろしとダイダイの酢と醤油と一味のマッチングがなんとも素晴らしかったのです

お酒はススミ一時間ほどの間に3合ほど呑んで、もう「酒を置こう」としたところへ柳田氏が野菜のほか秋に獲って自宅横で餌を与えて飼っていた大きな「モクズ蟹」の茹でてまだ暖かいのを届けてくれたのです

脚を一本食べてみるとしっかり身が詰まって味は極めて濃厚です

この蟹にお酒がなければ余りに蟹が可哀相ですそこで一度は仕舞ったお酒をだしてお喋りしつつ(蟹を食うときは余り出来ないものですが)蟹とお酒を口に運んでいると・・すっかり「完酔い」となってしまったのです

これはもう寝るしかないとバスに入って布団にもぐりこむとすぐ深い眠りに入ってしまいました

ところがいきなり「けたたましく」美由紀の声が

そしてフラフラしながら起き上がると「テク近藤氏」がバスの席に座って僕が目覚めるのを待っていたのです

早速家に戻ると新たに大川氏から「アオリイカ」が到着していました更なるナマコとアオリイカを調理して「迎い酒」を始めました

芋焼酎を二合ほど呑んだところでヨットクラブの三谷さん一家四人到着

こうなるともう呑み過ぎなど気にしていては愉しくありませんから・・・・ドンドン呑んで気が付けば日付が変わっていました

「これでは・・・」と体調の心配しながらバスで近藤氏と二人、枕を並べて寝たのですが・・・朝少し背骨の横が痛いだけで頭も結構すっきりしていました

朝食を食べて九時に近藤氏のランクルに潜水機材を積み込んで出発11時20分潜水開始。

水温暖かく透明度高く視界がいいので気持ちよく沖へ泳ぎグレ(メジナ)やカマス、青ブダイ、イサギ等の群を愉しみながら約一時間の海中を愉しみました

帰り久しぶりに(16年ぶり)宍喰の「ひこうせん」に寄って超大盛りの「海の子ピラフ」を注文 奥さんが覚えていてくれて・・・
でも今日も大盛り過ぎて全ては食べつくせませんでした

相席になった二人の女性とキノコの話で盛り上がりながら食べたので美味しく愉しい昼食でした。

家に戻って潜水機材を洗って干し、二匹のフグを明日の「なべ用」に料理 大きいのとフグは捨てるところが無いので二匹を食べきるには15人くらいいないと・・・

大きな「肝」もありますよ~・・うまいですよ~・・・

そんな状況なので明日の昼に時間がある方は是非おいでください
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酔いました

2008年01月03日 01時01分19秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
久しぶりだったんですが橘湾へ潜りました

そして昼過ぎから獲物のナマコで呑んでいたら次々に友達が寄ってくれて

今になりました。

今日は日本酒5合、焼酎4合、ビール一本呑んでいますのでスミマセンが寝ます 明日潜って戻ったら今日の詳細も含めて報告しますね

いいお正月してます
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謹賀新年

2008年01月01日 19時41分10秒 | ヨット世界一周クルージング
新年明けましておめでとうございます

大晦日の夜テレビは紅白歌合戦を映しておりましたが・・僕は携帯から消えてしまった電話番号を一つでも入手しようと頑張っておりました

そのうち「みかちゃん」と連絡がとれ「初詣」を企画しました

なにしろ「暦」で「人生最悪の年」らしい僕はよくよく考えてみると・・・

すでに本を読むには眼球内のレンズとメガネの助けが必要

山に登るにも杖の助けが必要

物を食べるには入れ歯の助けが・・

もはや何の助けも借りず生存することは不可能なのです

だから今年の最悪年を生き抜く為には「神の助け」が必要でしょう

そして夜中除夜の鐘を聞きながら家を出発 外は雪が降っていましたが・・  お馴染みの地元の神様が住んでいる「津の峰神社」へ初詣に行きました もう山上は雪が積もっていました。

お賽銭を思い切って100円投げ込み鈴を鳴らして拍手を打って「世界平和」「家内安全」「無病息災」「株価上昇」を心よりお願いしてきました

そしてまた大枚100円を投入して「おみくじ」を貰い中を見ると「暦」と違い
「中吉」でした

そのおみくじに書かれていたのは・・

大勢の人のまとめ役を担う立場にあります。 まとめて志気をあげ目的に立ち向かうにはそれなりの旗印と大義名分が必要。  ただやたらに突っ走るのではなく、ここらで一度足元を見直して目的を明確にしましょう。  公私混同を避け情実にとらわれることなく事を処すれば必ず成功を手にすることが出来ます。

このように書かれていました

ここで注意することは「一度足許を見直す」にありそうです。 実は30日の夜から考えていた事がひとつあります。

僕は長い間、将来「恵まれない老人」のためのボランティアをするつもりで構想を練っていたのですが・・最近の世の中の情勢から「恵まれない子供」のほうが世の中の役に立つのでは・・・と思い始めていたのです

「足許」でないかも知れませんが・・

それはさておき、今日はよしえちゃんと約束どおり山に行きました

最悪の年だから「見晴らしの良い山」で開運を!! と選んだのは明神山です。

朝起きたら雪が降っていてバスの全面ガラスには薄っすらと雪がついていましたし空には黒く厚い雲が垂れ込めて今年の僕の暦上の運勢を現しているような天気でした

そこに電話が・・今年一番最初の電話は石橋氏でした西松建設副社長の所に大晦日行く予定が僕の都合とトラブルで流れていたのですが・・・長い間いろいろな愉しい話が出来ました

そこによしえちゃん登場です。一緒に行くよしえちゃんは名高い「お天気女」で一昨年東北の山登りで天気に恵まれなかった我々と合流したとたん不思議な事に視界が開き始め滞在中の一週間ずっと好天だった実績があります。そのよしえちゃんと三人が登山口に着いたときは雪も止み空から雲が減り始めていました

急な坂道を30分ほど登ったところで以前エノキタケを採った倒木群があります。
手前のほうには腐ってしまったハナビラニカワ。 でも奥に入って行くと

これぞ本物エノキタケが塊で何箇所かについていました
丁寧にそれを外して袋に入れました。 今年は意外にいけるかも

汗をかきつつ頂上の神社前の鳥居で拍手を打ちそれをくぐって小さな祠にまた拍手を打ってお願いをしました。

そして周りを見渡すと なんと素晴らしい展望でしょう

空はどんどん晴れ間が広がり視界は遠く南側では潮岬から室戸岬まで

北は友が島水道から淡路島、大鳴門橋から徳島市内、剣山地の始まりから高丸山や四国の峰峰が雪を頂いて広がっていました

慎重にことを運べば今年もいけそうな気配です

頂上で湯を沸かし3人でカップうどんを食べて下山。

家に戻ったら二時半でした。 お正月だから・・まだ時間は早いけど・・・お神酒を頂き始めました

そしてそこで今月4日にきみちゃんが寄ってくれる事になり、じゃあ僕がフグを獲って来ようという話に進み4日昼過ぎよりウマくいけばフグ鍋宴会と決まりましたので都合の良い方はおいでください




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