「遠州の葬儀屋」についての感想をぼつぼつと見てみる。
非常に興味深い、それぞれの「演劇観」というものが透けて見える分余計に。
自分は素直に「自分が演っていたらできないことをやってる」という意味で凄い、
と感じた、ただそれだけ。
いろいろな場面で出ていたお辞儀の角度と空気の合わせ方、
これだけでも入場料分の価値はある。
けれど、「俺たちゃこの稼業に命掛けてる」という気持ちが強すぎて
肩に力入っちゃったのかなぁ、そこが気に入らなかった人が2人ぐらいか?
「自分がからめばもっと良くなったのに」と思う人が見たところ2人、
「違った色合いのプレイヤーを交通整理できなかったよね」というのが1人。
・・・まあ、この公演を計画した人たちにとっても、福岡の演り手や見手にとっても
同じくらいの収穫と課題をもらった感がする。
収穫は、「福岡でもこれだけのことができる」という自信、新しいつながり。
課題は演じること、見て感じることそれぞれの技量がまだまだ足りない。
思い入れや期待をある程度「フラット」にしてそれから見手と演り手が
お互い納得できるものを作り上げていくためのやり方、考え方の構築。
・・・とにかく、「これっきり」にしないこと、ただそれだけ。
Jリーグの経営に関するデータとオフィスのTさんが紹介してくれた
仙台の舞台関係者の書いた文章のことは明日。