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賑わいのイメージ。

2006-08-11 | ことば。thinking.
毎週日曜日、日本経済新聞のコラム「漢字コトバ散策」が、中国古典学者・興善宏さんによって書かれています。
言葉の原典を、中国の古書に訪ね、その原点の意味を探るという、なかなか想像力をかきたててくれる読み物になっています。
最近、「市場」・賑わいのイメージ・今は昔、と称した文章が載っていました。
「大昔から、市(いち)は経済活動の中心だった。「易経」の繋辞伝(けいじでん)によると、「市」の創始者は太古の帝王神農(しんのう)で、彼は日が中天に昇るころ市を開いて、民衆を呼び寄せ、広く物資を交易して、各人のほしい物を手に入れさせたという。都市計画には必ず「市」の場所が定められた。唐の長安には東市と西市が設けられていて、この構造は平城京や平安京にもそのまま取り入れられた。これは北京でも変わらない。「市」の周辺には、大勢の人が集まる歓楽街が生まれた。
李白の「少年行」という詩には白馬にまたがったいなせな若者が、颯爽(さっそう)として市のあたりを行く姿が描かれている。
五陵(ごりょう)の年少、金市(きんし)の東、
銀鞍(ぎんあん)の白馬、春風を度(わた)る。
「金市」とは、西氏を指している。
「市」を二字に伸ばしたのが、「市場」である。この語の成立はずっと遅れるが、それでも宋代以前の文献にすでに見えている。「市場」は「いちば」と訓読みするのが早くからの習慣になっている。日本でも近い過去には、中小の都市に至るまで、この種の市場が必ずあり、小規模の商店が軒を並べて、庶民の生活に密着した賑わいを見せていた。ところが多くの市場は大型スーパーに押され、次々と姿を消している。現在の「市場」は、もっぱら「しじょう」と音読みする語として、昨今の情報中に溢れかえっている。この「しじょう」は、かっての「いちば」のように具体的なイメージの無いのが特徴である。六本木の超高層ビルに陣取る策士たちが、ちょいと小才をめぐらすや、たちまち株式市場は大騒動になる。世には市場原理なるものが、さながら「至上原理」のような顔をして、傲然(こうぜん)と我々を威圧している。」
確かに、地方の市場では、空き店舗が目立ち、シャッターを下ろしたままの寂しい姿をさらしているとことも多いです。
だけど、最近行った、沖縄の公設市場や、京都の錦市場は、大変な賑わいでした。
築地や黒門、先日の天満、高知の朝市だって、特徴を出している「市」は栄えているような気がします。

写真は先日行った、スウェーデン、ストックホルムの繁華街の真ん中の広場で開いていた「市」です。肉、魚、野菜、果物など食料品の外に、北欧の短い初夏を大切にするように、お花がとっても沢山売り出されていました。色とりどりの鉢植えで、美しく、北欧の生活ぶりが偲ばれました。

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