若松孝二監督の遺作となりました。
原作者 中上健次さんの生まれ故郷 和歌山の海辺に隣接する山村が舞台です。
産婆オリューは自らの子供を失い、産婆となり、夫に僧侶を迎えた。いのちの誕生と、野辺送りを司る巫女のような存在。
村の、中本一家に流れる破壊的な「血」の悲劇を描いて、悲しい。
1992年8月に亡くなった中上さん。
一昔前なら「血」の呪縛にも実感が伴ったかもしれないけれど、現代は血縁や地縁が希薄化してきて、遺伝子組み換えなどが現実味を帯びる時代。
中本家の息子たちは、奪い取った人妻の夫に刺し殺され、次の男はヒロポン中毒に犯され、また次の男は破戒労働争議で、死に絶えていく。
若松監督は、なぜここまで血にこだわるのか。
中上健次さんは、永山則夫が日本文学協会に入会希望を出し、死刑囚だからと断られたときに抗議して協会を脱会。
そして、湾岸戦争反対から、、、、自滅の道を歩む。
この映画は、中上さん含め、幾多の先に逝った、意思を貫いた同時代人に向けた手向けの墓標だ。
過剰の生命力をもてあまして、その過剰性により自滅していく中本一族。
それは若松監督の「血」そのものであり、時代とともに滅びゆく「血」のたぎりを惜しむ心根。
若松監督と志をひとつにした方々へのオマージュ。
「血」に手向けられた孤独な一本の蝋燭といえる映画である。
産婆オリューオバアは、死の床で、それを語り続ける。まさに若松監督そのもの。
若松監督の遺作となりました。